鬱だったのかという時期を振り返ってーその2。鍼に出会うまで。
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鬱だったのかという時期を振り返ってーその1。鬱から回復した人に鍼を受けたいか。 - ロンドンの、船上の鍼灸師の日記
入社して、新人研修が終わり僕は輸出営業課に配属されました。
そこで上司になったのがHさんでした。この方は面倒見がいいと言えばいいのですが、悪く言えば、自分の思い通りにならないとダメな方でした。
例えば、ある重要なことを説明する英語のメールを送るのに際して、1日中手直しを受けても送れないことが多々ありました。1日で5時間以上怒られてる時も結構ざらにありました。大袈裟だと思う方もおられるでしょう。僕もそういう文章に対して冷笑的で「そんなのありえない」と思ってしまう方ですが、本当です。残念ながら。。。
彼としては、将来を見越して僕に自分で考えさせる訓練だったのだと思います。そういう気持ちを感じることもありましたが、ただ、ずっと怒られ続けていると、本当にHさんが考えていることがわからなくなってきます。
彼が何を求めてメールの送信を許可しないのかがわからないので、どこまで言っても納得が言ってもらえる文章が書けずに1日以上かかってしまう。CCを入れずに勝手にメールを送ってめちゃくちゃに怒られたことも幾度もあったな。。。
もちろん自分でも、大学まで勉強だけしてきて大した挫折も知らずに来たせいで、社会人になって初めて父親の苦労を身に染みて感じました。自分のやってるやり方が正しいと信じ、相手のこともあまり考えずに物事を進めようとしたせいで、相手に意図が伝わらないということでメールを1日かけても打てない。
「部下が上司を選べないように、上司も部下を選べないんだ。」とHさんに愚痴をこぼされたこともありました。その通りだなと思います。
この一連のことはパワハラになるのかな。パワハラってこういう風に入り組んできて途中から訳が分からなくなる気がします。正直分かりませんが、今思い出すと、よくこんな状態を毎日続けられたなと自分でびっくりしてしまいます。
仕事はもちろんこのメールを送るだけではないですから、他の仕事がズルズルと溜まってしまいます。そうしているうちに、まずは毎朝の動悸が始まり、日曜の夕方に吐き気がするようになっていきました。
そこで、自転車通勤の途中にあった鍼灸院に行ってみたのが今の道の始まりでした。今まで鍼なんて受けたこともなかったし興味もなかったのですが、その先生に薦められるがままに鍼を受けたところびっくりするほど身体が楽になり、それよりも心が楽になってウキウキして会社の寮に戻ったのを今でも覚えています。
あと、会社から現実逃避をするようにこの頃ハマっていったのがクライミングでした。大学時代は探検部に所属していたので、基本的なことは学んでいました。
登山は時々行っていましたが、歩けば着いてしまうことに飽きたというか刺激が足りなくなってしまい、もっとアドレナリンが出るクライミングをするために山岳会に入りました。今の趣味にクライミングがあるのは、これが原点です。
鍼とクライミングがなかったら、この頃の僕はどうなっていたのだろう。
その2つが、公私での今のロンドンでの生活を支えてくれているのですから因果なものです。
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鬱だったのかという時期を振り返ってーその3。会社を逃げ出したこと。 - ロンドンの、船上の鍼灸師の日記
鬱だったのかという時期を振り返ってー最終回。会社に復帰をして。 - ロンドンの、船上の鍼灸師の日記
透き通ってもいつか濁ってしまうかもしれない。鍼が濁りを透明にしてくれたように思います@弁天池、山口