鬱だったのかという時期を振り返ってー最終回。会社に復帰をして。
その1〜3はこちら
鬱だったのかという時期を振り返ってーその1。鬱から回復した人に鍼を受けたいか。 - ロンドンの、船上の鍼灸師の日記
鬱だったのかという時期を振り返ってーその2。鍼に出会うまで。 - ロンドンの、船上の鍼灸師の日記
鬱だったのかという時期を振り返ってーその3。会社を逃げ出したこと。 - ロンドンの、船上の鍼灸師の日記
前回書いたのが、会社を飛び出して、滋賀から大阪の堺まで向かったものの途方にくれて警察へ保護されに出頭したのが論文提出前日の日曜日のこと。
僕は月曜日の論文提出の日に会社を休みました。噂では会社が騒然となったらしいです。親が会社へ連絡したのかは忘れました。
月曜日か火曜日の夜に両親と食事へ行きました。この後どうすればいいのか検討もつかなかった中で父親が言ったのは「ここで会社を辞めるな。」と言うことでした。
それに後を押されて、僕は翌日だと思いますが出社しました。どういう挨拶をHさんにしたのかは覚えていません。無視されていたような記憶があります。
ただ、論文の指導教官は彼が外れて、僕と課長とでやることになりました。
もちろん夜中までかかることはありましたが、論文は無事に提出(と言っても、課長が殆ど作成した記憶があります)して1年目の大イベントは終わりました。
それでまあ、H氏との関係は一応ひと段落するかと思いきや、相変わらず僕とH氏との関係は論文を逃げ出す前の段階に戻り、5時間以上怒られ1日もメールが送れない日々は続きました。
その一方で僕の東洋医学や鍼灸に対する想いは募っていき、週末の休みはお世話になった鍼の先生の師匠の治療院へ見学に行ったり、勉強会に参加するようになりました。
そして論文を出した翌年の3月に会社を辞め、4月から鍼灸師、あん摩マッサージ指圧師になるために学校へ通うことになりました。
有給はほとんど使っていなかったので、全部使わせて欲しいと言ったら何を抜かしているんだと言われたり、最後の出社日もすぐに終わって家に戻れるのかなと思ったら、Hさんはなかなか帰らせてもらえなかったのも覚えています。
僕が鬱だった時にどういう風に鍼灸に救ってもらったかを改めて書こうと10年以上ぶりに記憶を思い返して書いてみましたが、やはり会社を逃げ出した日のことは殆ど記憶がなく、また逃げ出すまでの数ヶ月は精神的に本当に辛かったです。思い出す各シーンは自分の感情も含まれているせいで苦しく、途中で書くのも嫌になるほどでした汗
結局自分の思い出を消化したいためだけに、この日記を書いたのかもしれません。
でも、自分が鬱だった時に鍼に出会ってなければ、あの時どうなっていたのかなと思うことはあります。
会社の同僚にも話しづらかったし、親やその時の彼女にも自分のことを言いにくい中、治療師という他人(他人だけれども、肌に触れられることをこちらは許した人)にしか気や心を緩められないことってあると思います。
もし色々悩んでおられる方がおられたら、お金はかかるけれどもそういう距離感の存在に頼ってみるのもありなんじゃないのかなというメッセージも込めて書きました。
もし治療費は高いというのなら、宗教に救いを求めたっていいと思います。(ただ、周りの人に強要しないでください。)
お互い、悔いなく生きれるようにしましょうね。
読んでいただきありがとうございました。
これぐらい無為自然な心持ちになれるように@フィレンツェ、2019