AIは私たちをペット化するか
以前に書いたこともあるかと思いますが、私は患者さんに接する時、この方の身体を機械的に診るか有機的に診るかをまず考えます。
「機械的に診る」というのは身体を建物(破れないテントが一番近いでしょうか)と捉え、どこがどう引っ張り合いっこしてるから、ここをこうすれば引っ張り合いがなくなるというようなイメージで、「有機的に診る」というのは、身体を生命体というか気などが流れるものとして、オステオパシーで提唱されている脳脊髄液の流れなどにアプローチします。
身体とこころは切っても切れない関係であるとは充分承知していますが、ある医療系のサイトが発行してるメールマガジンで「患者さんにアドバイスや症状の説明をする時に、右脳に働きかけるか左脳に働きかけるかを使い分けよう」という一節があり、なるほど、私が考えていたのはそういうことなのかなと腑に落ちたのを覚えています。
つまりは、左脳が発達している人には機械的なアプローチ、右脳が発達している人には有機的なアプローチを先行して行うということです。
ご存知の方もおられるでしょうし、先生ご本人のブログを読めば1番わかると思うので具体的な説明は省きますが、私は栗原先生が考案された整動鍼というものを鍼を用いる時の基本的な考え方として用いています。
整動鍼とは – 一般社団法人 整動協会 SEIDO Association
そのセミナーがバルセロナであったので先日参加し、先生とAIについて話す機会があったのですが、尻切れになったので今回考えをまとめて書こうと思います。
私はまず、人間という存在が「コンピューター(先にあるものとしてのAI)と動物」との間に位置するものじゃないのかなというのが考えとしてあります。
雑に書きますが、人間は他の動物に比べて脳が発達しているため今のような高度とされる文明を築いたとされています。この発達した脳は私にはフリーズできないコンピューターのように思えてなりません。
コンピューターと脳との大きな違いは強制終了できるかどうかだと思っていまして、気が上に上っている状態の患者さんに手を触れた時のこの何とも言えないモヤモヤした熱はフリーズしたパソコンの熱感に似ていると感じませんか?
パソコンの強制終了のようにボタン1つで、神経のネットワークを一度リセットしてくれたらどれだけ楽だろうなとそういう方に触れるたびに思います。
その一方で、以前のブログにも書きましたが、人は自分達と同じ属(同じ属であっても、肌が黒かったり黄色かったり、どこで生まれたかというだけで差別がある)以外のものに対して、平気で自分たちには出来ないことをします。
動物の肉を食べるということ自体がそれにあたると言えばそうですが、犬や猫に対して私たちは避妊手術をしたり(優生保護法という名のもと最近まで日本でも同じことを人間に対してしていました。)、薬の開発のために用いたりしています。優生保護法とは - コトバンク
その点からすると、人が生み出した、人の進化の先にあるものと私が思う人工知能は、我々人間に対しても同じようなことをするのではないでしょうか。
中国では人工知能を使ってチャットができるサービスがあります。知らなかったですが、ラインでもあるらしいですね。Xiaoice(シャオアイス)に託された大きな夢 - News Center Japan
信憑性に足るかどうかは別にして、シャオアイスという人工知能の女性に対して、ユーザーの4分の1が「愛してるよ。」と言ったとこのサイトにあります。
私の趣味や癖を全て知り尽くした上で、私の思ってることに対して私がこう返して欲しいというような言葉(先に書いた右脳を使う人には右脳を刺激するような答え方)を書いてくれたら、もう人工知能の思うツボと言うか、術中に自らハマりにいきますね!
それはでも、一節で言われている「犬は自ら選んで家畜」となったということと文脈では繋がっているような気がしてなりません。
犬を可愛がるように、私たちは人工知能に可愛がられる時代はもうすぐ来る!というか、もう半分以上来てるように思います。どっぷりそのマーケティングに浸かってるよなぁ…
セミナーの中で、あるツボをデモンストレーションで使った時に「身体がゆるんでリラックスした」という感想を述べた人がいました。その時、栗原先生が「身体が緩めば心が緩むからです。」と説明されてました。
もし仮にAIの精度が進み、私たちの性格・精神の奥の奥まで分析して理解して、私たちの悩みに対して、ドストライクの言葉で言ってくれたら、AIが心を緩めてくれて、身体が緩んでくる時代だってくるのかもしれません。いや、抗鬱薬なんてのもなくなる時代は本当に来るかも。
岡田斗司夫さんのだいぶ前のPodcastで面白いことを言ってました。(記憶が曖昧なので、私なりに編集して書いている可能性があります。)
「車が開発されてなかった時代、人間はどのようにして早い乗り物を想像していたか。なんと、馬車にエンジン的なものを取り付けたりしていた。(実際、そういう想像をして描かれた絵があるそうです。)つまりは、私たちが想像することなんて、ちっぽけなもので、それを超えるものが現実として出てくる。」うんたらかんたら。
手書きだけで仕事をしていた人が、どのようにして、パソコンで手書きの数倍の速度で文章を書き、それを一瞬で届けたい相手に届くように想像出来るでしょうか?しかもここ、20年ちょっとの話で。
人工知能の開発をされてる方が患者さんで来られたので「鍼灸やマッサージがロボットに変わられる時代は来ますか?」と聞いてみましたが、その方は「開発の投資に対して、利益の回収が見合わないから、そんなことはない。」という答えでした。
その時はほっとしたものの、本当に変わられることはないのか。
びくびくしつつ、目先の生活を考えて(笑)、今日も精進して行こうと思います。
ナマケモノは自ら人に触られることでエサをもらうことを望んだのか…@マナウス、ブラジル