AIが人間に興味がないのは、人間が他の動物に興味がないのと同じなのかも2
優生保護法という法律が日本の戦後にもあり、最近まで存在していたのをご存知でしょうか。
この法律は知的な障害を持っている人に対して避妊手術を行い、彼らの子孫ができないようにするものです。
いわゆる健常者を優性のものとみなして出来た法律だそうです。
私はこの法律が存在していたことを、恥ずかしながら知りませんでした。
こんな非人道的なことを私たちはしていたんだということを知り、恥ずかしいと思う一方、時代の倫理観なんて時代時代で全く違うんだなと納得しました。
LGBTの問題も同じようなものです。
イギリスでは同性愛の結婚を認められているそうですが、エニグマを作った博士の映画(イミテーションゲームだったかな)の中で、同性愛者である主人公が同性愛でなくなるために薬物療法を受けていたのも、今では考えられません。壮絶なシーンでした。
しかし、今から振り返ってみるとそれもまた非人道的にみえますが、その当時はそれがある種「当たり前」と捉えられていたんだなと思います。
ヨーロッパではそういった歴史があるからこそ、LGBTの方への配慮がとても進んでいるんでしょう。
話を戻すと、優生保護法について放送後あれこれ考えていた時に気付いたことがありました。
私たちは犬や猫に避妊手術をさせているということに。
また、そのことに何の違和感を持っていない飼い主が少なくとも私の周りには何人かいました。
私が犬や猫の立場であるなら、避妊手術を受け、子孫ができないようにされるのは絶対に嫌です。
あなたならどうでしょうか。
でも、「無意識のうちに避妊手術はしなくちゃということで受けさせる。」
この行為は、優生保護法で避妊手術を受けさせられた人や、昔に同性愛者だからと薬物療法を受けさせられた人たちへの行為と全く差はないと思うのです。
それがなぜ問題になるかといえば、人が人に行うからです。
同じ種同士がそういうことを行うとありえない話になるのが、違う種となると盲目になってしまう。
これは人工知能と人間との関係にも言えるんじゃないでしょうか。
前回書いた、「人工知能が人の職を奪っているかどうかなんて人工知能自体は全く興味がない。」はきっとそうなんだろうなと、優生保護法の考察から思いを深めました。
それにしても将来、どうなるんだろう。