筋肉隆々の意味を裏返して考える
強靭な筋肉と柔軟な筋肉
選ばなければならないなら、どちらが私たちにとって重要なのでしょうか。
考えることがあります。
身体を鍛えることは自分の精神にとってもよい。
よく言われることで、実際患者さんにも身体を鍛えたらどうですか?と(もちろん患者さんの容態ごとに具体的に)アドバイスすることがあります。
心と身体に相関性があるならば、コアの筋肉を鍛えれば、自分の心にもコアができていくはず。
そう思って体幹のトレーニングを一時勧めていました。
そんな時でした。
自分に自信が持てず、神経質なあるVIPを診る機会が船であり、その方に体幹トレーニングを勧めたことがあります。
その時に患者さんが、「今回一緒にきた私の友人はいつもトレーニングをしているが、いつも神経質だよ。それはなんでなの?」
と聞かれました。
その友人も一度だけ診たのですが、確かに神経質で、心を鍛えるために身体を鍛えると言うよりは、ストレス解消のために身体を動かし、結果として筋肉がついたと言う印象を持っていました。勿論体幹の筋肉もついていました。
そのVIPのコメントにうまく返信できずに、しどろもどろになったのは今でも覚えています汗
その後に悔しくて、自分なりに整理しました。
心と身体に相関性があるのはやっぱり間違いないと思います。
でも筋肉を鍛えるというのは、ある意味自分勝手な行為であり、それは強くみえても心も含めて強いのかはわかりません。
先ほど述べたVIPの友人の筋肉は神経質なのを紛らわすための鎧みたいなものだと思っていただければいいのではないかと思うのです。
つまり、自分の弱さを隠すために筋肉だけ大きくする。
その時、心と身体に相関性はありますが、その相関の意味は逆の意味ではないかと考えたのです。
つまり、心が強いから身体も強い。ではなく、心が弱いから、身体を強くみせる。です。
筋トレにはそういう意味合いもあることに気づきました。
その一方で、柔軟な身体に自分勝手にはなれないように思うのです。
続きは次回に。
ギリシャのパトモス島にある修道院での一枚。
どの宗教でも、描かれる人たちは筋肉隆々ではないことが多い。