ロンドンの、船上の鍼灸師の日記

2012年から客船で鍼師として働いていましたが、2017年からロンドンで治療家として働いています。治療のこと、クルーズのこと。色々綴っていこうと思います。ウェブサイトはこちら。https://www.junjapaneseacupunctureandshiatsuclinic.com/

末端を緩めて体癖を戻す

最近、「末梢から揺さぶりをかけて全身を緩めていく」「関節という制限の中で骨が自由に動く」ということが僕の施術における関心事になっています。

 

骨が身体の土台として存在し、関節は骨と骨とを繋ぎます。筋肉が骨と骨に付着する事で骨が動き、関節(及び周辺組織)が骨の接着剤としてその動きを滑らかにします。

肩、肘、手首、指と腕を分解して行った時、肩から順に骨は小さくなり、また骨の数も多くなります。(上腕骨は1本ですが肘から先は2本(尺骨と橈骨)になり、手首は手根骨といって8本あり、その先は指の骨が親指は3本、その他の指は4本となります)

その事実から考えるに、肩は体幹からのパワーを伝えていくことが大きな役割の関節として考えることができ、先になるに従い、肩から伝わってきたパワーを正確に対象物に伝えていくのが目的となると推察されます。

例えば「大根を切る」という行為を考えてみます。まず、背中ないし下肢から重力を押すことに対する反作用で生まれた力が肩を伝わります。

そこでは360度どこでも動かせる肩がまな板の上で固定されて力を送り、肘がその力をさらに斜め前に伝えつつ、捻りの力を伝え、手首と指が包丁の形に合うように骨の位置を変え、その力を対象である大根に伝えます。

 

肩は自分の力を伝えるだけの役割ですが指や手首は相手の対象に合わせて骨の位置を変える(対象物を持つ)役割を持つように、体幹に近い関節は「自分の力」を伝える(=能動的と言える)のに対して、末端の関節は対象物に合わせつつ力を伝える(=受動的と言える)と言えます。「本人」単位で考えた時、体幹→末端の流れは能動→受動の流れとも言えます。

 

本来、人間は様々な運動、行為をしてきました。洗濯物を干したり、食べたり、歩いたり。そのようなことを通して、対象に合わせて身体を様々に動かしてきました。

ところが最近は良くも悪くも、1日の中の行為が非常に限られてきています。料理をせずに外食をしたり、パソコンをしたり。

行為が制限されるということは、色々な行為を通して、体幹→末端、末端→体幹のやり取りがあったのに、その動きのパターンが減ってしまうということです。

つまり、能動→受動という形を通して私たちが外の世界に対して働きかけると同時に受動→能動という反作用を受け、自分たちの身体を外の世界に対して適応させてきたのが、パソコンやスマートフォンに向かう時間が増えすぎた為に私たちの体がすごく不自由になり、パソコンという形に私たちの身体を適応させるという外の世界の外圧が私たちの身体を形作るという現象が起きています。

体幹→末梢=能動→受動」だったのが、「末梢→体幹=受動→受動」という図式になっているわけです。

 

今までもこういう形の職業というのは存在してきました。

料理人や金型職人、アスリート、僕たち治療家などいわゆる「職人」という範疇に入る人たちは、自分の力を伝えるという側面もさることながら、対象物を1日の大半触れて過ごすため、その対象物に合わせて身体が形作られていきます。

僕がどこかで聞いた金型職人の話ですが、ギックリ腰で来られた方の腰を治したところ、金型に対する感覚がわからなくなり納得のいくものが作れなくなった(痛みがなくなり時間が経つにつれ納得いくものがまた作れるようになったそうです)という話を聞いたことがあります。

 

 

ただ、僕ら職人とされる人たちとパソコンをずっと使っている人との違いは対象物からの情報の入力の仕方の違いです。

例えば、僕は基本的にベッドの上で患者さんをマッサージをするような時間が多いため、そのような骨格になっていきます。

基本的な形は決まっていますが、足、腰、肩、背中などは形がもちろん違い、パーツ、場所など状況に合わせて自分の身体も形を変えます。

料理人だって、魚もあれば肉、野菜もあるなど、手は微妙に形を対象物に変えています。

一方、パソコンに一日向かう人の場合、キーボードの中だけで指の形が成立し、目からの情報の入り方、距離感も基本的には変わることはありません。オンライン会議での聴覚情報だって同じところからしか聞こえてきません。

つまり、触覚も視覚も聴覚も情報が基本的に固定されています。

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固定されたイエス像@シチリア、イタリア

 

 

それを考えれば、職人的な職業の人よりも「末梢→体幹=受動→受動」とい流れが促進されざるを得ません。

 

人間は怠惰な生き物で、歳を重ねれば重ねるほど、自分が見たいものを見、聞きたいものを聞き、動くのが好きな人だけが身体を動かし、また、動かす筋肉だけを動かします。

そういう性質が備わっているので、入力を受ける情報がワンパターンだと、身体もワンパターンな形にしかなりません。

 

それをほどいていくには、マッサージによって筋肉を柔らかくしていくのも重要ですが、固定されてしまった末端の手や足の形を元に戻していく、固定された癖を戻していく必要があるように感じています。

筋肉は動きを作り出すことはできますが、動きを固定させることは苦手です。

癖を根本からほどいていくには、固定するために作られた組織(靭帯など関節周囲の組織)を緩めていく必要があるんじゃないかなと考えています。

つまり筋肉は骨と骨とを繋いで動きを作り出しますが、筋肉を使わない関節の動きというのも存在し、その自由を獲得させていく必要があると思うわけです。

 

具体的には骨や関節の動きの中で制限があるギリギリのところでアプローチをする(この形のままでは身体がどんどん固まってしまうよというメッセージを送っていく感覚)ことで形の記憶を薄めていくイメージで施術しています。

 

あるポジションを獲得する(パソコンの姿勢)為に筋肉が一定の形で固まり、それが骨にも影響を与えていく。

筋肉をほぐして一定の範囲内で自分の動きの自由を獲得できたとしても、その筋肉を使わない部分までが(筋肉が硬いのが恒常化して)固定されてしまっていたら、そこは筋肉をほぐすだけでは元に戻らないので、「自由な動き」の幅が制限されてしまうのではないでしょうか。

そんな気がしています。

 

上記のような考えから、手足の緊張をほどいていくことの大切さを最近よく思います。

 

YouTubeでとある先生が神経は末端をほぐす方が効果が出ると言っておられました。

神経は木のように中枢にあるものが末端に散らばっていく形をしています。

そのため、末端を刺激すれば中枢に届くし、(これは先生が言っていたかどうか定かではないのですが)中枢から距離があればあるほど、末端から引っ張った刺激がしなりを受けて中枢に届くのではないかという気がしています。

 

末端の神経に揺さぶりをかけて筋肉の緊張を落とし、「パソコンに向かうこと」に適応させていった身体を自由にさせていく。

 

まだまだ深掘りできそうな内容ですが、まだこれ以上は思索が及んでいません。

 

また何か考えがまとまれば書いてみようと思います。

 

#体癖 #手足の緊張 #末端