呼吸解放の醍醐味は考えないでいられること
子供が保育園に行き始めることになり、少し余裕が出てきたのでブログを少しずつ始めたいなと思います。
というか、文章を書きたいという欲が出てきました。
先日、親の看病で日本にしばらく戻っておられた患者さんが、逆に参ってしまい、一時休養ということでイギリスに戻ってこられました。
こちらに来て20年以上になり、気丈で様々な社会活動にも積極的に関わってこられた方だったので、来院された時の衰弱ぶりに驚いてしまいました。
治療中に色々とお話しする中で私が気づいたのが、「この方は起きている問題に対して、原因を見つけ解決しようとしてしまう」方だということです。
親の看病に際して何もできない自分であったり、20年以上日本を離れて自分のコミュニティが日本になくなってしまっている状況はその方を余計に孤独にさせてしまったのではないかと推察します。
私は現在38歳ですが、歳を重ねたり、患者さんの取り巻く様々な環境について聞くたびに、「難しいなぁ」と感じたり考えたり回答したりすることが増えました。
それが意味することは、「いかに自分が動いたり解決しようとしたりしてもどうにもならないことがある」ことで、いい意味でも悪い意味でもなく諦めていくことを学んでいく、学んでいかなければならないということではないかと思うんです。
そしてそれは、歳を経るごとに直面することが増えて行く気がしています。(若い頃は何にでもなれる気がしてたのに笑)
その方と話しててハッと悟ったのが、私の設定している「呼吸解放コース」はこういう方にオススメなんだということです。
呼吸は自意識と無意識が交差する、おそらく唯一の運動です。
自分で呼吸は意識して操作できますが、緊張すると勝手に呼吸が浅くなるなど、自分では操作できないもの(自律神経など)でもコントロールされています。
考える癖がある人は、その逆で「考えるないでいる」状態にも慣れないと脳と身体ががパンクしてしまいます。加齢とともにその余裕は無くなっていくばかりです。
人間は「動物とコンピューター」の間にある生き物で「強制終了できないコンピューター」だと思っています。眠ることが強制終了だとは思いますが、それだって、精神状態によって終了できなくなってしまいます。
鍼や手技で呼吸を深く穏やかにしていくことで「考えない」ことを身体に染み込ませていかないと、自分では解決できない状況に直面した時に、答えを出せない自分を責めてしまいます。
カウンセリングなどで考え方を変えることができれば、その状況を解決できる糸口が見つかるかもしれません。
その一方で「考えないようにする」のも1つの手です。一時的かもしれませんが、その一時的な行為でも脳をすごくリラックスできます。そしてそれはカウンセリングを通してではできないことなのではないでしょうか。
なぜならカウンセリングには対話が必要だからです。施術は身体を相手にするので言葉は要りません。
私が鬱だった時に鍼で救われた時も、しばらく何も考えないでいられたからなんだとこれを書いていて気づきました。
考えてにっちもさっちのいかなくなってしまっている方がおられたら、ぜひ一度、呼吸を解放してあげましょう。
僕も受けたいな…
*徒手療法を生業としていて、目の前の人にどうしようもできなかったことは、数え切れないぐらいありました。
それでもなお、どうにかよくできないかなぁとあがいているという意味で、一番諦めが悪いのが臨床の現場にいる人です笑