燃え尽いた畑には新しい作物ができるんだ(燃え尽き症候群について)
とある患者さん(Aさんとする)の話。
その方は仕事、なんなら人生に対してしばらく意欲が湧いていないと言っておられた。コロナが拍車をかけているのかもしれないが、それはわかりません。
治療の間にその方の歩みを聞きましたが自分の中でこれ以上はないというほどの仕事を以前に成し遂げ(チームも一体感があってすごく全体がノっていたそうです)、それに付随する達成感を得ることも含めあんなにエキサイティングなことは今後の人生でないんだろうなということを言っておられました。その思いが人生に対する意欲の低下に繋がっているそうです。
仕事柄、色々な方の人生の断片を聞いてきました。
船で出会ったある患者さんはオリンピックメダリストのコーチをやっておられた方で、そのメダリストはオリンピック後に目標がなくなってしまい鬱になってしまったそうです。
4年に1度のためにやってきたことが、ホイッスルが鳴ったかと思うと一瞬で終っている。選手として次また選ばれるかもわからないけど、4年後のために準備する。
アスリートの心情を思えばそうなってしまうのかなぁとついつい想像してしまいます。
「違う楽しみを見つければいいんじゃない?」と人はアドバイスするかもしれませんが、それは真剣に野球選手を目指している子供に、野球以外のスポーツを勧めるぐらい残酷なことかなと思ってしまいます。
人間が自分の人生の中で選択できる武器、強みって限られてると思いますし、人は自分の人生を肯定していく(していかないと生きていけない)生き物だと個人的に思ってます。だからこそ、自己肯定していくために自分の武器をどんどん研ぎ澄ませていきます。
一度自分の武器を使って達成した山から、違う武器を持って別の山を登れる人ってごく一部です。自分の武器で似たような山を登れる人もいるけど、名選手が名監督にはならないようにそれも中々難しい話です。
過去のものが捨てられない人がいますが、それはその思い出や自分が捨てられないわけで、それは昔の自分が今も輝いていて眩しいのかもしれません。退職した会社の資料とか今後使わない気もするけど捨てられない人がいると聞きます。
話がずれました。
別の患者さんで器械体操をしてた方がいて、10歳にも満たない年齢で「あなたは今後体操を続けても選手にはなれない」とはっきり言われたそうだ。
「今振り返るとそれは優しさだったんだと思えるけれど、言われた時は全く理解できなくてしばらく続けた」と仰っていた。
でも、プロでやってきた人(Aさんだって自分の仕事の分野に対するプロだ)が自分で選んだ人生の選択肢で実際に「勝ち」をもぎ取り、それ以上の「勝ち」やそれに付随する充実は今後の人生せ得られないんだろうなと思う時、そこに吹く心の空っ風はいかばかりのものなんだろうなと(上から目線ではなく)憐れに感じてしまいました。
イギリスにそういう雑誌があるのかはわかりませんが、日本で違和感を覚えていたことの1つに「世代を絞った雑誌」があります。
「40代から輝く」とか「50代でも若々しく」などのテーマを掲げて女性誌(最近は男性誌でも増えてきてるか?)は10年刻みでライフスタイルや価値観を提唱していて、こんなのがどうしてあるのかなと思っていました。
それはもしかしたらAさんのように不意にぽっかり穴が開いてしまった人の人生をポジティブに駆り立てるためにあるのかもしれないなと少し納得できました。
40代
50代
こっちにそういう雑誌がないのならそういう需要がないからですし、そんな価値観を世間から押し付けられたくない人が多いのかもしれません。
逆にいうと日本ではそういった提案に需要あるから雑誌があるわけで、提案を受けたい受け身な人が多いのかもしれません。
僕はセラピストという自分的にはとても面白い仕事に偶然出会えたことは人生最大の幸運だったと思うし、自分が腐らない限り一生更新できる仕事を選びました。
実際、一生完成しないジグソーパズルをしていたり、「完璧な」身体を求めて鍼と手で彫刻作品を作っていたりするような感覚に実際に何度も襲われます。
書き足りないことがまだまだパズルのピースのように浮かんできます。
まとめきれてないのでとりあえずこの辺で続きは次回にしようと思います。
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60代