三菱重工を辞めて、鍼灸師になれたのはなぜだろう
それで、クルーズ船で働いて今、イギリスで働いている。
大学を卒業して12年経ったけど、こんな人生になるなんて思ってもみなかったです。
ブログのテーマで転機とあったので、こういう人生になるターニングポイントは何だったのかと思い返そうかと思うのですが、それは既にはっきりしていて、「三菱重工にいた時の上司とあまりにも反りが合わなかった。」それにつきます。
三菱重工の上司は、よく言えば「当人に考えさせて答えを出させる。」、「悪く言えば、意地が悪く、答えを教えない。」という人でした。
例えば、ある工場で納めるための品物の見積もりを出すのに際し、どう説明するか、どうすれば納得させられるかというメールを書くとします。
そのとき、私はそういう経験がないので、四苦八苦するのですが、上司は経験をさせるために私にその説明を考えさせました。
ところが、ノウハウがない私は、何をどう説明すればいいのかわからない。そして、何がどうわからないのかもわからないので、もはやどうにもなりません。
なので、上司にチェックしてもらう文章は支離滅裂でした。でも、彼は私に考えさせようとするので、答えを教えてくれない。
1日5時間ぐらい経ったまま怒られたり、他にも仕事があるのに、そのメールにかかってしまって1日1通もメールを送れなかったりすることはざらにありました。
そのせいで、こういう毎日を送るぐらいなら死ぬ方がましだなと思って(骨折ぐらいだとまた上司に会わないといけないと思ってました)、自転車通勤してたのですが、急なS字カーブをわざと勢いよく横切って即死しないかなと毎日やってました。
そういう時に、何とはなしに行ってみた鍼灸院で、すごく身体が楽になったんです。色々とはしょりますが、その経験が大きくて、鍼灸の業界に行くことを志し、学校にいくことにして、今に至っているのです。
患者さんにも言うのですが、上司とあまりにも反りが合わなかったからこそ、その会社を辞める決意が出来たなぁと思います。
だって、残業代も申請した分だけでるし、GWは10日ぐらい休めるし、定時で帰ろうと思えば帰れるし、日本でも有数の潰れない会社をやめる必要なんてないわけです。
だから、あの時は本当に辛かったけど、あれぐらい辛いからこそ、今があるんだなと思います。
私の影響を受けた言葉で、「過去が今を作るんじゃなくて、未来が今を作っているんだ」というものがあります。
今置かれてる状況は、実は未来のために布石なのかもしれません。人間は都合のいい解釈をする生き物だと思っていますが、未来が今を形作るなら、今置かれてる辛い状況だって、将来の肥やしにできるかもと思えるんじゃないでしょうか。
未来のために、もっと頑張らないと。施術家として精進したいな。
写真は南米にあるフォークランド諸島とパナマ運河。思えば遠くに来たもんだ。