共感することの振れ幅
先日、患者さんから「患者は共感して欲しいものだ。」というアドバイスをいただきました。
例えば、「足むくんでますねー。」とか、「腰凝ってますねー。」などなど。
こんなすごくベーシックな共感もあれば、何回も来てくださってる方には「今回は特にここが凝ってる。」など以前との差異に対して患者さんの身体の状態に共感をする場合もあります。
僕も施術は月に一度は受けるようにしてるのですが、指摘して下さった方はもっと行っておられて、そんな方がそう言っておられるのは、やはり耳を傾けないといけないなと思っています。
その一方で、共感って何だろうとも考えます。なんだか耳触りがいいからこそ、ちゃんと考えないといけない気がします。
共感のテクニックとしてよく言われるのが会話のおうむ返し。いわゆる、相手が言ったことをそのまま繰り返すやつです。やや感情を込めて大げさにするといいとかどうとか。
でも今回書いてて気付きました。
僕はおうむ返しが嫌なのです。無意識の癖のようにおうむ返しをする先生は僕が今まで一緒に働いた中で結構おられます。
ある先生はとても受け答えがソフトで、やさしくおうむ返しをされます。なんだろう、「糠に釘付け」という言葉がありますが、その糠のような感じです。
それはいい悪いではなく、実際その方は忙しくされておられるので、そういう共感の仕方に共感されて、「また受けたい」と思う方が多くおられるから忙しいわけです。
患者さんの愚痴や症状という釘を糠のように優しく受け止める。
それは共感の仕方のあり方の1つだなと思います。
でも、その共感の仕方は僕にとって面白くないのです。そう、好き嫌いとかじゃなく、面白くない。
それは関西人の気質なのかもしれませんが、会話にボケを作ったりツッコミを入れるように、相手の身体の状態に何か別の視点的なもの(思ったのは僕というスパイスのようなもの?)を入れたくなるのです。
例えば、僕は患者さんが昔どんなスポーツをしていたかとか、女性の方には婦人科系のトラブルがあるかを聞きます。
僕の想いとして、縁あって診せてもらうことになった患者さんに全力で取り組みたいというのがあります。
不可能なのはわかっていますが、何かしらの症状があれば、過去から振り返ったりして、その症状の原因を突き止めたい。
その為に、人によってはプライベートと思われてしまうようなことも聞いてしまうことがあります。(これでも以前よりはマシになりました汗)
それはしかし、何の気なしに来た方にとっては鬱陶しいものになるのかもしれません。その場合、僕が面白いと思う共感の仕方は独善的になってしまいます。
おうむ返しの共感の仕方は深くいけないかもしれませんが、相手がどういう共感を求めているかを探る上では最善なのかもしれません。(=相手が不快に思わない程度で共感していこうとする)
おうむ返しを自分の中で、下位のものと勝手にみなしていましたが、そうではなく、巧みなおうむ返しをすべきだなと再認識しました。
初めに書いた患者さんにずっと前に「僕のことを気に入ってくれる方は気に入ってくれる。」という弱音を漏らしていました。今思うと、患者さんにそんなこと言うべきじゃないと反省してますが、その方が「共感していったら10人中1人のリピート率が、4人とか5人になるんじゃないんですか。」と言って下さいました。
ありがたい話ですね。
もっと幅広い人と共感したいなぁ。
以前ロンドンであった水漏れ。これをみて大変だと思わない(=共感しない)人はいないだろうな。。。