鬱だったのかという時期を振り返ってーその3。会社を逃げ出したこと。
その1、2はこちら
鬱だったのかという時期を振り返ってーその1。鬱から回復した人に鍼を受けたいか。 - ロンドンの、船上の鍼灸師の日記
鬱だったのかという時期を振り返ってーその2。鍼に出会うまで。 - ロンドンの、船上の鍼灸師の日記
僕が務めていた会社は入社1年目の期末の3月に論文を提出し、プレゼンをしなければなりません。
上司と1年目がゼロから課題を設定し論文を書き上げるため、それは新入社員のみならず直属の上司にとっても一大事でした。
理系の人は課題を作りやすく成果もまとめやすいのかもしれませんが、文系はなかなか課題を策定しにくく、論文としても書き上げにくかったのを覚えています。
僕の場合は、担当していた製品の世界拡販戦略という壮大なテーマでした。この論文を書き上げるにあたって、僕にとっては大きな出来事がありました。
正直、論文提出までの最期の半年間の記憶はほとんどありません。ただ、毎日遅くまで残ってメールを書いたり、論文を作成したりしていました。鍼も受付時間に間に合わないので受けられないし、悪循環となっていきます。
精神面の方はどんどん悪くなっていくばかりで(苦笑)、その1にも書きましたが自転車に乗っている時に毎日S字カーブに直進したり、怒られている間ひたすら下を向いてました。
もちろん、笑えない。笑うのがしんどい。感情が身体から出てくるのがしんどく、感情に浮き沈みがないよう必死に生きていました。
あと、どうしてかはわからないのですが、とりあえず怒られてる時間を短くしたいという思いと、その場から逃げたい一心で、上司の質問に対して嘘をつくようになってました。
すぐバレる嘘とわかっていても、もうその場にいるのが嫌で嘘をついてしまうようになってしまってた。本当にどうしてかはわかりません。これ嘘ついてるよなと客観的にわかるし、これをつくことでまたもっと怒られるよなぁと心のどこかでわかっているのですが、もう2、3個手先を考える余裕が一切ありませんでした。
Hさんが怒っている中でちょっと冗談を言っても、口角を上げて笑うのがきつくて全く笑ってなかったな。他の鬱の人もこういう状態があるのでしょうか。
そういう日が続く、ある日曜日。確か翌日の月曜日が論文の最終〆切だったように記憶しています。
論文は何十回も何百回も書き直すもほとんどできてなくて、もう、なんともどうしようもない状態でした。
日曜日ですが出勤してHさんと2人で論文を書き上げていましたが、夕方になって「もう俺は帰る。あとは好きにしろ。」と突然の放棄宣言。彼は僕を置いて帰りました。上司と入社1年目の2人での共同さ御意じゃなかったっけ…???
その時の愕然とした気持ちは今でも忘れません。人ってこういう風に人を置いてきぼりにして、人を絶望させることってあるんですね。
彼が帰ったあと、どうしたらいいのかわかりませんでした。本当に文字通り頭が真っ白です。
目の前にある課題は終わっていない、論文の提出は明日。何回も書き直したのに上司からはダメ出しをくらい、そのダメを出した上司は帰った。
軽いパニックが起きた僕がとった行動は「会社を逃げ出す」ことでした。(ここから断片的にしか記憶がありません。。。) というより、それしかないと言う思いに襲われました。
工場は駅から歩いても30分以上かかったはずなのですが、その駅からJRに乗って滋賀から大阪へ。
会社でパニックになった瞬間と、電車で外を見ながらどうしたらいんだろうと思ったのは覚えています。
姫路まで向かえるその電車で過呼吸に襲われてとりあえず大阪駅でおりました。そこからどうしたらよいか分からず、ひたすら南へ向かって歩いて行きました。
そして気づいたら堺まで来ていました。(さっきグーグルマップで調べたら3時間かかるそうです。) 夜はもう真っ暗でした。夜道の上に街頭が照っていたのを何となく覚えています。
「どうしよう、どうしよう。」不意に我に返って、言いようもない不安に襲われました。心の底にあるこの後どうしたらよいかわからない不安が身体の外に吹き出し、泣け叫びながら道を走る。そしてまた我に返り、どうしようもなく不安になる。これを確か何度か繰り返していました。(側から見たら気狂いですね…)
それを繰り返して、僕はもう本当の本当にどうしたらいいかわからなくなり、どこかにあったビジネスホテルをとりました。その部屋でベッドにうずくまりながら、どうしようか途方にくれていたのは覚えています。
そして、不意に「警察に保護されに行こう。」と思いつき警察へ行きました。自分の状況をどう説明したのかは覚えていません。ただ、警察員が親に連絡をとってくれました。
この時のことは両親に聞いたことはありませんが、実家から堺までの片道1時間を彼らはどういう思いで迎えに来たのかなと思います。
それで家に帰り着いたのが、明け方の3時か5時だったように思います。会社を出たのが夕方だったので、それから10時間ぐらい。僕は保護されて実家に戻ってきました。
雨戸が閉まったドアにもたれたまま、眠れずにずっと目を開けていた気がしています。
次回に続く。
最終回はこちら
鬱だったのかという時期を振り返ってー最終回。会社に復帰をして。 - ロンドンの、船上の鍼灸師の日記
この時はこれぐらい人生に荒波が…