ロンドンの、船上の鍼灸師の日記

2012年から客船で鍼師として働いていましたが、2017年からロンドンで治療家として働いています。治療のこと、クルーズのこと。色々綴っていこうと思います。ウェブサイトはこちら。https://www.junjapaneseacupunctureandshiatsuclinic.com/

出産を治療で助けられた実感と「子供が在る 」感触と 。生と死の無色。

先週無事に子供が生まれました。

 

朝6時半に陣痛が来て、15時8分に出産。8時間半かかった初産は悪くはない時間のようです。

ずっとそばにいましたが、24時間以上かかった妊婦さんもいる中で割に苦しくなく産まれたように思います。

もちろん彼女は本当に痛かったと言っていましたが、自分の髪の毛が抜けるほど強く握ったり、普通では考えられないような声で叫んだりもありませんでした。

 

彼女自身もお産を振り返って、「(僕の)治療とヨガのお蔭で短時間に出産できたと思う」と言ってくれました。

前回にも書いたように、いかに大きくなったお腹のせいで下腹部・太ももの内側に伝えられなくなった力を伝えて力みやすいように、施術を通してバランスを変えるかという視点は正しいと思うし、妻のお産で実感を得ました。

(大声を出すということは、声を出して空気を押すことで子宮に力を伝えることです。強くマッサージする時に壁を押すことで、患者さんに力を伝えるやり方に近い。それがなかったということは、声を出さなくても力を伝えることができたからだと感じています。)

 

 

産まれてから1週間経ちましたが、朝起きて子供を抱っこした時に、僕の脳と体が震えてしまうのが「この子は1週間前に、9ヶ月前には地球上には存在していなかった」ということです。

それはお気に入りのものや服を買って自分の棚にあるのをにんまりしながら見てしまうのとは全く別の感触で、まさしく死とは対極にあるもののような気がしています。

死とは昨日まであったものがなくなってしまうもので、この世に存在しないということの無色さが僕にはあります。その無色さに近いものができたての生にもあり、まだこの世に馴染めていない感じが2870グラムからは感じられます。

 

この感触を7歳の子供を持つ患者さんに伝えると、「7年経ってもその感触は消えないよ。子供が大きくなる時にいつもそう感じるよ。」と言われました。

 

死が無色が無に馴染んていくものなら、生は無色が有に馴染んでいくものなのだろう。

 

この感触は一生忘れないよ。

 

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子供が生まれる時に鍼でできること。いかに痛みなく子供を産みやすくできるか。

お題「どうしても言いたい!」

 

子供が今月中旬に生まれます。妻のお腹はとても大きくなり、今は最後の最後だからなのか、左右に拡がり下に詰まっていっているように思います。

 

イギリス、特にロンドンは世界の民族といっても過言ではないくらい様々な人種が混ざりあっています。そのためなのか、私たちの赤ちゃんはイギリスの基準で体重が小さいと言われ続け、3週間に1度のペースでエコーによる検診がありました。(イギリスでは、順調に育っている赤ちゃんの場合、確か2回しかエコーでの検査がなく、親が不安になるほど汗)

37週の検診でも、骨の長さから推察される体重がイギリスにおける胎児の体重グラフでは基準以下であるという診断が下り、様々なリスクを考慮して40週で陣痛誘発剤を打って子供を出そうと医者に言われました。ちなみに、僕の子供は日本における胎児の体重のグラフでは基準以下ではなく、アジア人を考慮した場合に下回るそうです。ヨーロッパ人基準だともっと下回るのは言わずもがな。

妻は誘発剤に反対で、39週に有料のクリニック(イギリスでは医療は全て無料なのです)でエコーを取って胎児の状態をみようかという話になっています。

 

と前置きがながくなりましたが、ということで37週から自然に子供が生まれるように、以前にも増して僕が妻を治療するようになりました。37ー42週がいわゆる自然分娩とされる期間に相当し、40週が目安ですが、37週でも何も問題がありません。

元々陣痛が来たら鍼で産みやすくするようにサポートしようとは考えていて、使うツボもアイデアがありました。

どうすれば産みやすいかと考えた時に、要は子宮ないし下腹部、大腿骨の内側に自分の力を伝えやすくすればいいだけだと思うのです。

 

妊婦さんはお腹が大きくなると、ペンギンのような歩き方をされると言われます。つまり、足を外側に大きく捻って歩きます。それにより、足の外側で歩くようになってしまいます。両腕もお腹につられて、脚と同じように外側に捻った状態で歩きがちです。

体幹の筋肉が弱いと、そういう歩き方に慣れてしまった妊婦さんは出産時に身体の中心、しかも普段より下の重心に力を入れることは中々難しいです。

 

その例として妊婦になって足がつりやすくなることが挙げられます。

妻は妊娠してから足がつりやすくなりましたが、それには2つの要因があると思います。

 

1) グルテンや乳製品などを代表とした身体に負荷がかかるとされるものの摂りすぎで、血流不全が起きる。

2) お腹が大きくなることで腰がうまく使えないため、脛以下でバランスを取ろうとし、脛以下の血流が悪くなる、筋肉が硬くなる。

 

1が2に及ぼす影響もあり、1を改善させることもとても大切です。

ただ、動きの考察から動かせていないところを探す整動鍼を軸とした鍼をする僕としては、2は得意とするところです。

 

早速、股関節から足の先までがスムーズに力が伝わるよう調整したところ、足がつらなくなり、また、歩く時に陣痛のような痛み(彼女曰く)が来るようになったとポジティブな意味で言っています。

もちろん、下肢がスムーズに力が伝わるようにするだけでなく、外側に捻れた上肢も調整して、上半身の重みが骨盤に伝わるようにもしました。

彼女は歯のバランスが悪く他にも色々調整しなければいけませんが、足がつらなくなるのと産みやすい状態に持っていくのとは相関関係があると僕は感じています。

 

出産間近で誘発剤や帝王切開をしたくないという方がおられれば、鍼を受けてみられてはいかがでしょうか?

薬に頼らなくてもできることってきっとあります。

 

 

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悩む前に相談してみよう。

 

身体の畑を耕す

 治療をどういう形で進めていくか。

それは患者さんがどういう治療を求めていくかによるのだと思います。

 

例えば、ギックリ腰や寝違えの時に来られる方は、痛い時にだけ来てそれ以外は来られない。

とても凝ったなぁと感じた時に来られる方もいれば、定期的に来ることで自分のメンテナンスを常にされておられる方もいます。

 

その患者さんの身体に対する価値観や自分のお財布状況などなど、諸々でどういう治療を求めるかが決まるのだと思います。

 

ある患者さんに言われて自分のやり方に気づかせてもらったのですが、僕のやり方は畑の耕し方でいうと焼き畑に近いのかなということです。

 

痛みの除去を目的に来られた方の場合、どういう形であれ痛みが取れれば結果が得られたということになりますが、内科的疾患の場合、その指標が得にくいことがあります。

舌や脈、腹などでもって治療者側が改善がみられたということで治療を終え、それを複数回重ねていくことで、内科的疾患の状態が改善され、治療の効果があったと患者さんの方が納得する。

そして、その効果に対してお金などの投資に見合わないとなれば患者さんが来なくなる。

 

大和整體という手技が日本にあり、そのセミナーに何度か参加させて頂いた時に代表の方が「私たちは派手さはない地味な技で施術します。数々の手技が一回の施術で大きな変化を出すものを目指すなら、私たちは大きな変化が出てもまた戻ってしまう技を目指すのではなく、毎回少しずつでしかないかもしれないが確実に変化を出す施術を目指す。」と仰っておられました。」

例えて言うなら、格闘技で一発KOを目指すのではなく、ローキックやボディで確実に攻めていくようなものだと。僕はこの考え方が好きで、あまりこういうことを謳う施術法ってないなと思います。

彼らはこうすればこうよくなるという図式があり、脈のように主観で判断するのではなく、患者さんもその変化に小さいながらも気づいていけることでさまざまな疾患に対応すると言うことでした。

これは僕は整動鍼にも通じていくところがあって、治療において相互が納得しながら進めていくことは可能じゃないかと考えています。

 

例え施術家の判断で脈がよくなったと判断しても、患者さんが納得していなかったり、よくなった脈がすぐ戻り状態が中々改善しないこともあります。

焼き畑に戻りますが、患者さんの体力を加味していけそうだなと思えば、僕は割に内科疾患をメインにされておられる方でも肩や腰のコリをまずきっちりとっていきます。

そこからでないと、良くなる土台が作れないように感じるからです。

 

畑を耕すのに、丁寧に手作業でやっていけばいつか畑は耕されるのかもしれませんが、まず畑に生えた雑草などをばっと取り払ってから作物を植える方が、早く畑から植物が芽を出すように思うのです。

 

患者さんとの会話を通して、自分の治療スタイルや好みを知ることって結構あります。

面白い気づきでした。

 

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「ツボがある本当の意味」刊行に寄せて。整動鍼との出会い

鍼灸師になって1年目に僕はクルーズ船で働き始めました。

3年間の学生生活で鍼灸学や解剖学、生理学などの基礎を修了して国家試験をパスし、晴れて人前で鍼灸師あん摩マッサージ指圧師として名乗れるようになって8ヶ月後の12月。

僕はカリフォルニアのロングビーチというところで行われたクルーズ船に乗る鍼師のための研修を終えて、ニューヨーク経由でカリブ海に浮かぶプエルト・リコに向かいました。

 

その時点で僕は整動鍼を知りませんでした。

鍼灸師になる前から頼み込んで研修に行かせてもらっていた先生は漢方薬と東洋はりという脈診をベースに鍼治療を行なっておられた方で、あとは中医学をベースにされておられた先生のもとで僕は勉強をしていました。また、自分なりに北辰会の本などを読んでもおり、それらが治療の軸となっていました。

 

クルーズ船という場所は陸とは違います。例えば、1週間という期間の中で何かしらの結果を出さないといけません。しかも、一回150ドル。1ドル110円として16,500円ですね。50分で。しかも、なんなら同時に二つのベッドを回します。

 

その中で僕が学生時代と合わせて3年8ヶ月学んでいたことは、正直にいうと歯が立ちませんでした。僕の勉強期間が短く、未熟だったことは認めます。英語もタジタジでしたし。

それでも自分なりに脈や舌、お腹を確認しつつ弁証論治を立てて自信があったものの、「なんとなく良くなった気がする。」という反応が多かった。

「なんとなく」って、どこまで患者さんは僕の治療に納得して150ドルも払ってくれたのかなと、ずっと罪悪感を抱えていました。

 

ある鍼灸師の方は、痛みが取れなかったとしたら、痛みが来る前に来なければならない。だから、1日2回、毎日通えば痛みが取れると説得していたと聞きました。

僕はそれにどうしても納得がいきませんでした。最低でも3ー5回である程度痛みが取れないようなら、患者さんではなく僕に落ち度があると、鍼灸師1年目ながらに勝手に思っていました。

船で稼ごうと思えば、前者のような考え方をする必要があると思います。

その患者さんと会うことはほぼ一生を通じてありませんし、1週間という期間の中でいかにその患者さんからお金をいただくかという視点で物事を考えなければならないからです。そういう意味では、僕はクルーズに向いている鍼師ではありませんでした。

 

プエルト・リコでのクルーズは1週間のものが多く、新しいクルーズが始まるたびにマネージャーは鍼師、美容師、マッサージ師など各クルーに割り当てられた目標金額を前にして叱責します。もちろん、僕は中々達成できませんでした。苦い思い出です。。。

 

達成できなくてもいいので、自分で納得のいく治療をしたいなと思う中で、治療の情報に飢えるようになりました。スーツケース2つしか船には持ち込めないため、持っていける本は非常に限られます。

 

前置きが長くなりましたが、そこで出会ったのが整動鍼(当時の古武術鍼法)です。

 当時は栗原先生の書かれたブログの一部に先生の身体に対するアプローチが載っていました。港に着いた時にネットカフェに立ち寄り、数ヶ月分自分のパソコンにコピペをして船で読み漁るということをしていました。

船にいるので、もちろんセミナーには参加できません。どこをどう刺せば身体にどういう変化を起こせるのかなど具体的なツボはその時点で知りませんでしたが、そういう身体の見方ができるんだという尺度を得たことは自分にとって大きな自信になりました。

例えていうなら、「メッセージ」という映画で、宇宙人が何を人類に伝えたかったのかを言語学者が理解した時のような感動というか、ハッとした感覚です。

メッセージ (映画) - Wikipedia

 

船で整動鍼に出会ってから5年ほど立ちますが、「なんとなく良くなった。」から、「あー、良くなりました!」と言う声が患者さんから少しずつ増えるようになりました。

 

 栗原先生ご自身が、バルセロナでお会いした時に、「こういう考えをしている人がいるなら僕が出会いたかった。」ということを確か仰っておられました。

僕はこうして先生の考えや、先生の考えに基づくツボの取り方を学ばせてもらっているだけですが、先生が何もないところから生み出すために費やされた時間というのは膨大なものだったのであろうと思うばかりです。

 

 本の刊行おめでとうございます。

「理論しか書かれてなくて、実際のツボなどの情報や臨床のことが書かれていない。」というコメントをされた知り合いの鍼灸師がおられました。

 

でも僕は思うんです。

どういう考え方で施術をするのかというバックボーンを理解することは、ツボを理解するより大切な側面もあるんじゃないかと。それは経絡の後ろに臓象論や陰陽五行思想があるように。

その背景があってのツボや使い方なわけですし、ただツボを知るというのは、ウェブサイトの記事を読むにあたってタイトルだけ見て中身を読まずにわかった気がするような現象に似ている気がします。

DVDも出るとのことなので、これと合わせて知れればいいのではないでしょうか。

  

滅多に人は褒めない僕ですが汗、以上、宣伝という名の応援でした。

 

 またよろしくお願いします。

 

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ガンマンとの決闘と手の腱鞘炎と女性美容師と

迷って迷って迷って、探して探して、決断して打つ。

 

鍼治療ってこの繰り返しです。

たかが肩こり、されど肩こり。

「こんな腰痛すぐに治せるな。」と思ったのに、全然良くならないぞ。。。

 

こんな日々を繰り返しながら、「どうしてここに痛みがあって、痛む場所とは違うここに硬いポイントが出てきてるんだろう。」という身体のパターンを学んでいます。

 

先日来た腱鞘炎の患者さん。

美容師の方で、普段はアシスタントに任せているシャンプー作業を自分でやったら痛みが出たとのこと。

僕の今までの経験から脊柱のコリを丁寧にほぐせば痛みが取れていたので、そこにアプローチするもイマイチ改善せず。

 

西部劇で2人のガンマンが銃を持って撃ち合いをするシーンってありますよね?鍼治療ってその決闘に近いようなイメージを持っています。

相手の症状という名のガンマン(表現悪いか。。。)に対して、自分の持っている銃に込められた弾でどう対応していくか。

その弾の数が多ければ多いほど、症状をうまく改善できます。

そこには相手の症状の評価という、ガンマンの特徴を見極めるという仕事も必要ですが、「自分なりに評価が出来た。」と思っていても、なかなかうまくいきません。

だからこそ、「こういう時にはこのツボを使う。」という銃弾の数が必要なのです。

 

その腱鞘炎の患者さんは背中の調整でうまくいかずに焦りはしましたが、初心に戻り手首の動きを1から評価し直すことに。

腕というのは肘を境に上腕と前腕に分かれ、上腕部は上腕骨、前腕部は尺骨と橈骨に分かれています。

大ざっぱに言えば、肩からの力が前腕で2つにわかれ手首から先でより細かく分かれていきます。1→2→多数という伝わり方をします。(それは足でも同じです。)

それがうまく伝わらなければ、力のかかり方に偏りが出て、痛みが起きることが多いです。

 

その方の場合は尺骨と上腕骨の接合部に負荷がかかっていて、その負荷を鍼で取り除くと痛みが一気に改善しました。

女性は男性に比べて上腕骨に対して前腕が外側に向いていることが多いです。そのためそこに負荷がかかりやすい。そのことを改めて思い知らされた症例でした。

女性の美容師の方は是非覚えておいてほしいなと勝手に思っています。

 

自分の持っている弾がまた増えたなと思うと嬉しい限りです。

自分での今までの判断で捉えきれなかったからこそ迷いが生じ、その中でまた決断を下して、弾が増えたと自画自賛していたら、また迷うんだろうな。

 

治療はこの繰り返しです。

おいガンマン、いつでも待ってるぜ笑

 

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時々やってくる試練

施術を365日していると、時々試練というようなものがやってきます。

 

日本にいるときに受けたセミナーで講師の方が言っておられた言葉があります。

「ある良くなった患者さんが、紹介してくださった患者さんの症状が良くなった症状より難しいことがある。その時にその難しい症状を良くできないと、紹介してくれた患者さんも来なくなって、閉院に追い込まれる。開院してから少し忙しくなってきた頃に、閉院してしまう治療院はこういうケースが非常に多い」

 

星の数ほどある治療院に縁あって来てくださった方の紹介ほど、私たちにとって忙しくなるための確実な拡がり方ってありません。

でも一方で、紹介するというのは紹介する側にも責任があり、紹介された人の症状が良くならないと次また来なくなったりします。しかも、紹介された人が紹介した人より難しい症状のことがある。

私も何度もそういう機会があって、紹介した人もされた人も来なくなってしまったことがありました。

 

紹介ではありませんが、普段定期的に通って来てくれる方が、突然症状が出てこられることがありました。

 

普段は腰痛のメンテナンスで来られる方が、2週間ほど前にスイスへ登山に行き、帰ってくると、突然左を向いた時にものが2重に見える、いわゆる複視の状態になってしまった。

ということで1週間前に来院されました。

 

目の動きを確認するも、取りたてて異常はない。ただ、言葉では説明しにくいのですが、左の目の周りが窪んでみえる。左の目の周りの骨が圧縮してる感じというのでしょうか。

私にできることはその圧縮された頭蓋を解放することだと思い、その圧縮の原因となりそうなところへ鍼と手技でアプローチ。

複視自体は変わらずも、頭蓋の骨がある程度戻って来たところでタイムアップ。

 

その方が昨日また来られたのですが、「1週間前にはかなり頭痛がしていたのが、今はかなり良くなった。MRIなので検査をするも異常はなし。まだ複視は残っているが続けてみる。」とのこと。

 

圧縮自体は先週よりも実際かなり改善していて、複視も改善されたのかと思っていたのですが、そこは改善されてなかったのは悔しいところ。

今回は上位頚椎のズレをメインに据えながら、僕が原因のように思う圧縮の解放に再度取り組みました。

 

ここでまた、僕が日本に勤めていた時の院長が言っていた言葉が蘇ります。

「慢性疾患を治療する時にやってしまうことの一つが治療方針を早めに変えること。結果が出ないことを焦るばかりに治療方針(=使うツボ)を変えてしまうと、結果が結果的に出なくなってしまう。」というものです。

 

人間の性質ってそんなに変わるもんじゃないです。すぐに変わるなら、もうとっくに自分を変えられているはず!なので、自分の病が出て来やすいところ、つまり、使われるツボもそんなすぐには変わりません。

今回も2回目ですが、この曖昧な圧縮の解放の方針を変えることもできますが、僕はやはりそこが気になる。

 

ということで、治療方針は変えずにアプローチしたところ、頭蓋の圧縮はかなり改善。複視の改善は見られませんでしたが、あそこまで戻れば視交叉の障害要素(例えば、血塊などの阻害。恐らくとしか言えませんが)を取り除けたのでは。。。と期待しています。

 

 

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自分の感覚で施術をすること

患者さんの身体および症状があるなら、それがどうすればよくなるかは「何故それが起きたか」がわかればよくなるはず。

 

それはどういう尺度であっても(理屈では)いいはずです。つまり、脈の診断を基にしたものとか、椎骨のズレを基にしたもにとか、などなど。そしてどういう手段を用いても。

全ては「なぜそれが起きて、どういうことをすればその症状がどう戻るか。」がわかればです。

 

あるSNSのコミュニティの書き込みで「てい鍼」、つまり、刺さずに刺激を与える鍼を批判するものがありました。

その提起に対して様々な議論が交わされましたが「身体の状態を読みきってしまえば、どういう鍼を使おうが問題じゃない。」とか「自分の感性や能力が一番発揮できる道具や技法を用いればいい。」というコメントがされてて、目から鱗でした。

 

つまりはそういうことだと思ったのです。

身体の状態を正確に判断できればいいだけの話なんだと。

 

今まで、ある症状を持って来られた患者さんに対して、自分の持っている知識や、惹かれる内容(これが知識になりやすい)を当てはめて理解しようとして来なかったかなと思います。

それはある程度仕方のないことだとは思うでも、「患者さんの状態を読み」きろうとすることに対して自分の尺度を当てはめすぎたんじゃないかなと、痛感しています。

その場合、ハマれば患者さんの信頼を獲得できて、また来ていただいたり人を紹介していただけそうですが、ハマらなければそれまでですし、そもそも良くなりません。

 

症状を改善する手立ては、患者さんの身体から発せられるもの(表情や声など全てを含みます)に必ずあるわけですが、それを自分の尺度で観ると見落としてしまいます。

触れた時点で身体との対話が始まるなら、自分の尺度という意識が人に向かう時点で、もう何かを観れていないように思います。

 

妻から「あなたは自分が正しくないと思うものは、ぼろくそに否定する。」と言われました。その意識って、絶対に患者さんに伝わってる筈だし、患者さんの状態を正確に判断しようとする上で、妨げの大きな要因になっているに違いない。

 

こういう意識で改めて身体を触れていて思ったのが、皮膚という表面だけで言えば、例えば50分という時間の中で全て触れることはできます。軽く触れるだけなら1分でできます。

深さを別にして、外から刺激を与えるという意味では、1分で全てに触れて判断して、刺激を与えるところを探すことも不可能ではないはずです。

また、どんなセラピストも身体の皮膚全てに触れた=つまり、ある症状に対して効くであろうツボに触れているはずです。

 

それなのに見逃しているから、あるセラピストは症状を軽減できるのに、あるセラピストはできないということになるわけです。

自分の尺度で見てしまうからそこを見逃してしまうんじゃないかなと思うと、毎回新鮮に身体に触れたいなと思う次第です。

 

ここまで書いた時に、ラジオで大竹まことさんが言ってました。

「コントの一番大事なことの一つは、毎回初めてやるつもりでやることだ。そうじゃないと誰も笑わない。」と。

 

なんだか、それにどこかで通じてるんじゃないかなと思っています。

 

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