ロンドンの、船上の鍼灸師の日記

2012年から客船で鍼師として働いていましたが、2017年からロンドンで治療家として働いています。治療のこと、クルーズのこと。色々綴っていこうと思います。ウェブサイトはこちら。https://www.junjapaneseacupunctureandshiatsuclinic.com/

治療感想メモ 2日目

ある治療院で治療を受けた時の私のメモ。

当日と翌日の計2回をわけて載せます。今回の掲載は2回目。

 

 

ちなみに、主訴は以下の通りです。

1.左脛の知覚鈍麻

2.左肩甲骨内下側部の知覚鈍麻

3.集中力が散漫

4.記憶力が悪い

 

前日と比べ、1と2はましになったもののまだある。3、4は判定が難しい。

 

――――――――――

 

・同側性歩行障害

片方の肩を屈曲させ、腕をあげたほうの首をその側に回旋させる。

それで、大腰筋と同じ筋力テスト。(足を持ち上げ、股関節をやや外旋させた状態で、足側に立った術者の内側の手でPSISを、外側の手で足首を持つ。そして、足を挙げられるか。)

 

腕をあげた側と同じ足の筋力が逆より強い=同側性歩行障害

 

アクチベーターで上部胸痛の悪いところを刺激する。

 

同側性歩行障害は、本来、歩行時は右手と左足をリンクさせているはずが、右手が出たときに反射的に右足を出そうとしてしまう障害。しかし左足を出すため、脳が混乱し疲れてしまう。

 

 

・右乳首下の肋骨の疼痛と左肩甲骨内側のしびれの関係

 

肋骨は左右の肋骨で円を描いていおり、肩甲骨内側のしびれは右の疼痛部からくることがある。

痛む場所があり、ピンポイントのツボを見つけたとしても、それがどの方向に伸びているかはわからない。つまり三次元で考えれば、形は様々。

今回、その疼痛部と内側部のしびれがツボの形。

実際、呼吸時にその疼痛部は膨らんでおらず機能不全を起こしていた。

 

先生にタッチでツボの入口と出口を繋げてもらうと、身体はそれを認識。「南極と北極みたいなもの」とのこと。

横の軸を整えてもらう(今回の施術)ことで、身体の縦の軸がまっすぐになった印象をもった。

ツボをつないでいると、ツボの入口出口が膨らんでくる。そこで終了。

 

 

漏斗胸は悪いことではない。私の場合、外傷として受けた衝撃が、背中の後ろで止まり、抜ききれていないのが問題とのこと。その衝動を入口出口をみつけて抜く。やり方はさっきと同じ感じ。

それは乳首下の疼痛と関連あり。

・脳が疲れる螵感情が不安定になる。(決断できなくなるのもその一部では?)

→先生は左右の海馬のバランスを調整されていた。耳の上あたりを触れ、海馬の調整。

 

 

・感情の問題は左側に出ることが多い。(→右脳の問題?)

精神的に疲れたと思ったら、兪府とへそを一方ずつの手で触れて回して同調させるとよい。

私の場合、緊張すると無意識に左肩が前に出ている。力を抜いたと思っていても、そこは反射的に反応している。私が無意識に緊張していることを肝に命じておく。

 

 

・頭を両手で支え、頸椎全体をまっすぐ・伸展・屈曲させた状態で頸椎がしなやかに動くかを確認。

私の場合、屈曲が駄目だったので、左顎と鎖骨を繋いで改善させた。

 

 

・前鋸筋の筋力テスト

仰臥位。肩を前鋸筋の筋走行に合わせる。(60度ぐらい屈曲でやや外転。手首は内旋。)

その状態で上にあげさせ力が入るかどうか。

 

 

・治療後の感想

右乳首下の疼痛と左肩甲骨内下側部の知覚鈍麻とが、ツボとして入口出口がつながった瞬間は感動した。

また、身体がツボの三次元の形状をそこだと認識できることに感動した。

身体の縦の軸がまっすぐになったのは、身体が先生の施術を受け入れ自動的に修復したという感じだった。

 

兪府に触れて、どこに出口があるのか帰りの電車で探していると、身体がリラックスして眠気がくることを知る。

自分の無意識の緊張として身体の反応が出ているところに気づけたのかもしれない。

自分の身体にとって大切な場所を大切にしたいと思った。

経絡の存在を信じるか2

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「胃の調子を改善させて欲しい。」

 

勿論、その病態は多様です。胃潰瘍もあれば、逆流性食堂炎、胃下垂などなど。

 

それらの問題に対し、脈診や問診、触診などを用いて東洋医学的な診断を下し、使う経穴やその経穴に用いる手技(鍼を刺すという行為にも様々なバリエーションがあるためです)を決定します。

オーソドックスなものとして、足の脛にある胃経に足三里という経穴があります。(松尾芭蕉が行脚している時にお灸を据えていたと言う有名な経穴です)

足三里含め胃経は頭から足の指先まで流れているとされる経穴であり、この流れを触診して、反応のあるところに鍼をすると皆さんは思われるかもしれません。

しかし、背中には胃兪という膀胱経に属する経穴があり、膀胱経は胃を含め大腸、小腸など全ての臓器の名が冠された経穴があります。

 

「臓器自体に症状があるものは膀胱経の経穴に、臓器から派生して経絡に問題があるなら各々の経絡の経穴に施術しなさい」というのが、鍼灸の学校で教えられるような一般的な説明です。

 

しかし、その考えは本当に正しいのかと、臨床を重ねるうちに疑問に思うようになりました。(そもそも経絡に派生するとはどういう意味かもわからなくなってきました。)

船で働く前は、ある先生が1人で経営されている鍼灸院に弟子のような形で勤めていたので、その先生の考えにあまり疑問を持たず施術していました。

しかし、船において自分で考え、責任を持ち治療をすることになると、先生の考えをただ信じて治療し、自分としては効果を出せた感触を持っても、現実に結果が伴わないことが起きました。

 

こういう壁は、鍼灸業界含め医療一般で臨床に携わる先生は誰しもがぶつかるのではないでしょうか。

こういう問題がなく答えが見つかっているなら、すでにそのやり方が全世界で普及しているはずですから。

 

私の周りはそれに対して様々な反応を示しています。

そもそもそういった東洋医学的見方に興味がない者、東洋医学書物を読み込み答えを探していく者、なんとなくのまま施術する者などなど。

私の場合は新しい尺度を入れることで解決しようと思いました。

例えば、姿勢の分析です。

どうしたら足三里と胃兪を使い分けられるのか考えていたのですが、患者さんの姿勢を見ていて、胃をかがめるような姿勢をする人もいれば、していない人がいることに気づきました。

その違いに気づき、胃をかがめている人には胃兪をそうでない人には足三里をするのが効果的ではないかと思ったのです。

私はそのように、姿勢を確認して施術する経穴を判断していくようになりました。

この文章を書いて初めて気づきましたが、その私が気づいたことが、先ほど書いた「臓器自体に症状があるものは膀胱経の経穴に、臓器から派生して経絡に問題があるなら各々の経絡の経穴に施術しなさい。」という解釈の1つかもしれません。

 

しかし、私の考えも毎回正しいわけではなく、効果が出ない時もありました。

それは私の診立てが間違っているのか、経穴はあっていても施術が良くなかったのか、要因が多すぎてわかりません。

 

「経絡と呼べるかどうかわからないけど、内臓と手足につながりはあるが、12個に大別できるほど単純なものじゃない」

 

経絡を信じるかという問いに、私はこのような玉虫色の回答をしました。

自分自身がどんな意見を持っているのかしばらく考えていたのですが、やはりこの回答になりました。

何かを強く信じるかことはとても大切ですが、盲目になってしまうこともあります。

曖昧は柔軟ですが迷走しているともとれます。

 

どうすれば、自分はしなやかに強く太くなれるのか。

 

精進していくのみです。

治療感想メモ 1日目

ある治療院で治療を受けた時の私のメモ。
気になったことは言われたことなども項目に分けて書きました。
当日と翌日の計2回をわけて載せます。

ちなみに、主訴は以下の通りです。
1.左脛の知覚鈍麻
2.左肩甲骨内下側部の知覚鈍麻
3.集中力が散漫
4.記憶力が悪い

――――――――――
・障害ではなく個性。
集中力が散漫であったり、記憶力が悪い私の状態を、癖や障害とみずに個性と捉えてみる。
障害と思うから、自分を責めてしまう。
発達障害の子を障害としてしまうことで、周りがその子に及ぼす影響。
個性とみれば、その子がその子として輝けるかもしれない。

・視野を広げる(左の目が見えていなかった。)
→頭蓋を調整してくれた。左右の後頭下筋郡に触れて軸を通した感じ。視交叉→視床→視覚野のラインを観ていって調整したのかも。

治療後、視野が拡がったのを実感。視野の左側がはっきりした。
ただし、私の癖として、その左側を見ないで視野を構成しようとするのがわかった。
なるべく左側を意識してみることで、その癖を改善したい。
ちなみに、左側の視野が明瞭になることで、人を観たようとした時により三次元で観えるようになった。(患者さんの問題のある箇所がくっきり観える。)

・左足三里の知覚鈍麻
足の軸を通す(左足関節の中心と股関節の中心を繋ぐ)
仰臥位。足をあげ、両手で足を持ちつつ、足関節屈曲。内側の手で足関節、外側の手で足の指を持つ。(足関節をやや強めに外反させ、踵が地面に着いた状態での軸を想定しているのでは。)
そして、足関節の軸の中心を股関節の軸の中心とつなぐ。直線でない足と股関節の軸をまっすぐにするイメージ。

巨刺のように、右の腓骨を調整されていた。右の股関節やや屈曲させ、足関節を底屈、外反させ軸を調整。調整中に知覚鈍麻側の腓骨がピクピクと反応し出した。

・左側頭葉を補強
頭蓋の調整。後頭蝶形関節は自分の思うまっすぐに対してずれていた。ずれていたその線が私にとっての本来のまっすぐだったのか。

・左肩甲骨下内側部の知覚鈍麻
左3-4肋骨の胸肋関節が固着し浮き上がっていた。その固着した場所と知覚鈍麻がある場所とを繋いで施術。(→縱隔が左にずれていたのが原因か、それとも肋骨の固着が縱隔をもずらしたのか。)
上位の胸肋関節が固着すると、ダン中付近のチャクラが閉じるとのこと。

・上下後鋸筋の調整
肩甲骨下内側知覚鈍麻は呼吸とも関係。
肋骨の固着をはがせば、呼吸が改善し、後鋸筋が改善。
私の場合、左上後鋸筋の動き悪かったが、先に述べた胸肋関節の改善で回復。
そのため、右の上後鋸筋の動きが相対的に目立った。
上下左右で後鋸筋はバランスをとるため、右上後鋸筋と左下後鋸筋とを連動させて動きを改善。

・チャクラ開く
肝臓、みぞおち、胸に手を当ててチャクラを開いてくれた。

・左腹斜筋の筋力テスト
肩甲骨あげて、両膝まげた状態であげた側に足を倒す


・施術後の感想。
視野が明瞭になり、より観えるようになったことに驚く。
人が無意識に庇っている場所がくっきり観える感じがした。
初めての感覚であり、その感覚が続くよう努力したい。

身体がリラックスしているのを実感。緊張しなくていんだと言うのを身体が納得した感じを持ち、なんというかふわふわしている。

知覚鈍麻は共に改善。

経絡の存在を信じるか

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経絡の存在を信じるか

 

この問いにどう考えるかと言うのは、鍼灸師もとい治療家の治療スタンスを知るよい尺度になるのではないかと思っています。

例えば、治療を受けるにあたってその質問をし、回答に納得したら施術してもらうのは、自分と施術家との相性を知る上でいいんじゃないかと思います。

 

私は、「経絡と呼べるかどうかわからないけど、内臓と手足につながりはあるが、12個に大別できるほど単純なものじゃない」と考えています。

 

まず経絡は何だったのかから復習していこうと思います。

10個の内臓(肝臓、心臓、脾臓、肺、腎臓、胆嚢、小腸、胃、大腸、膀胱)に心臓をサポートするもの(心包)、水の流れを調整しているもの(三焦、定義には諸説あります)の計12個がそれぞれ身体に固有の流れを持ち、その流れを経絡と呼びます。

その流れは各々の臓器(肝臓の流れだと肝経)が1番強い影響を持っていますが、その他の臓器とも関係を持ち、流れを形成しているとされ、手足の末端などで流れが入れ替わり、流れの名前も変わったりします。

 

鍼灸師を目指し、独学で東洋医学を学び始めた頃から、先ほど書いたような考えだったかと言えば、そうではありません。

経絡の流れを信じていましたし、それが絶対だと思っていました。

会社員だった時、週末だけお手伝いという形で、ある先生のもとへ勉強しに行っていました。

私が初めてこの業界でお世話になった先生になのですが、その先生は色々な診断法を用いるも、脈診を最重要視され、どの経絡の流れに問題があるかを判断し、経穴に鍼やもぐさを用いて施術をされる方でした。

例えば、腎が弱っているからどこそこに鍼をするなどなど。

 

私もそれに倣って、腰が痛いという患者さんが来られたら、患部に鍼をしつつ、腰を司るとされる腎と関係の深い腎系の経穴に遠隔治療として鍼をしていました。

 

しかし、その考えの壁にぶつかる時が来ました。

客船で働いて、新規の患者さんを週替わりで多くみるようになってから、1つの疑問にぶつかりました。

それは時々言われる次の症状からの出てきたものでした。

 

それは「胃の調子を改善させて欲しい。」というもの。

(余談ですが、船は有料のレストランに行くことも出来ますが、選ばなければ1日3食無料でついてきます。

しかも、朝昼は共にビュッフェのところが多く、すごく肥えたアメリカ人なんかが、皿に大量のアイスクリームをのせ、その上にストロベリーソースをかけているのを何度もみました。)

 

それがどう、私の経絡の考えに影響を及ぼすのか。

 

続きは次回に。

ヒトはロボットと動物の間の進化の過程か

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前回書いた、「ロボットでは効率のわるいことを人間が仕事としてする時代」の続きにもなりますが、タイトルのように考えれば、様々なことがすっきりするかもと思っています。

 

ヒトは様々な進化を経て、ヒトとなりました。単細胞生物から、魚類、両生類爬虫類などなどを経て。

そしてまた、ヒトから様々なものが誕生しました。

火、計算機、車、電気、コンピューター、人工知能などなど。

 

これらは無生物とされ、ヒトから進化を経たものじゃなくて、ヒトが作り出したものとされています。

でもよく考えたら、ヒト以外に無生物のものを作り出した生物っているのだろうか。

 

自然にあるものを活用して生活することが生命にとって生きる内容であるなら、ヒトのそうした創作活動もそれに含まれる。そこに入らないものなんてありません。

で、あるなら、そうした無生物のものたちもまた進化の歴史から見て、ヒトから進化した形態の1つ1つになるんじゃないのか。

 

そう思うのです。

単純な例でいえば、計算機はヒトの「計算をする」という能力を特化して進化したもの。

その他もっと複雑なものも、計算機のようなシンプルな進化を遂げたものが大きくなっただけのものであったり、また大きなことをなし遂げたいヒトの欲の結晶の進化の先にあるものと考えられないでしょうか。

 

そうであるなら、ヒトが犬や猫をペットとして飼うように、人工知能がヒトをペットとして飼う時代が来るのかもしれません。

「ロボットでは効率のわるいことを人間が仕事としてする時代」で、「ロボットによって人が動かされている」というような内容を書きましたが、それも見方を変えれば、ロボットがヒトを飼っているというように言えそうです。

 

人工知能がヒトの進化の先にあり、ヒトを支配する。

想像すると怖いもののように思うかもしれませんが、既に私たちはもう支配されているのでしょう。

 

犬や猫にとって、ヒトに飼われているという感覚はあるのでしょうか。

食べ物をくれる素敵な生物と思っているかもしれません。

 

その感覚は私たちが将来人工知能に抱く感覚と同じなのかも。

ロボットでは効率のわるいことを人間が仕事としてする時代2

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ロボットは私たちの社会のためにスマートフォンを製造するお手伝いをしている一方で、ミクロにロボットと私の関係を考えた場合にロボットが私のために働いているのではなく、「私がロボットのために働いている」な、と。

 

工場において、私とロボットどちらにより価値があるかといえば、ロボットです。

人間でもロボットがしていることをできるかもしれませんが、ロボットほど正確に早くすることはできません。しかも24時間フル稼働なんて不可能です。

 

その意味でロボットに代わりはききませんが(同じものを勿論作ることはお金を出せば可能)、人は代わりがききます。

だからこそ、日雇いのような入れ替わり立ち替わりで人が変わる体制でも工場を回すことができるわけです。

そこは日本語が話せるという条件もないにこしたことはありませんが、絶対に必要でもない。

前回にも書いたように、人はそこでロボットと話すわけですし、事実、工場では外国人労働者がいっぱいいました。

作業自体はボディランゲージや片言の英語で理解できる内容だと私は思います。

 

「お金をもらう」

には経済を回すお手伝いをしないといけません。

 

以前はどんな仕事も人間がしていましたが、ロボットが開発されたり、工場が海外に移転されていく中で、日本でより高い給料をいただくためにコミュニケーション能力を求められる時代になったとききます。

 

そうした中で、日雇いという不安定であり、社会的立場で言うと、決して高くないポジションにいる人達にとっては、人とのコミュニケーション能力というよりはむしろ、自分たちがロボットに寄り添い、ロボットとコミュニケーションをする能力が必要なのかもしれません。

そこでは自己主張は必要とされません。ただ、ロボットと共に製造工程の一歯車となることが求められます。

 

それはいいのか悪いのかという話ではなく、第二次産業で、そこに従事した経験がない人に残っている仕事がそれぐらいしかないという現実なのではないでしょうか。

サービス産業のように人と対話をして経済を回すのが苦手な人にとっては、こういった仕事しか、もしかしたら残らないのかもしれないなぁと、周りで一緒に働いた1日限りの同僚を見ながら思いました。

 

工場から出ると、すっかり暗くなっていました。

定時になるとバスが出発し、三宮や明石などの都市へ戻され、ニンゲンは電車などで家に帰り、明日またロボットとコミュニケートするために充電を始める(ご飯を食べて寝る)。

 

私たちの20年後はどうなってるんだろう。

もっと真剣に考えないと。

ロボットでは効率のわるいことを人間が仕事としてする時代1

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クルーズ船で働いている時、契約と契約の間で日雇いのバイトを時々していました。

主に行っていたのは、スマートフォンの部品を組み立てていく作業です。

 

時給は1000円で残業すれば1日1万円に手が届くというものでした。

 

ロボットがスマートフォン製造するために作業した部品が私が立っている手元に運ばれます。そして、私がその部品に少し処理を施し、次のロボットだったり人に渡していく。

そんな作業を1日中やります。

 

時給が1000円に届くバイトはそんなにないため、入れ替わり立ち替り(固定で数ヶ月入る人もいました)、常時何十人もの人が神戸や明石、姫路などの大都市からバスで片田舎に運ばれます。

このまま誘拐されることもあるんじゃないかなと真剣に思うことすら正直ありました苦笑

 

工場のロッカールームでマスクと帽子を被って(誰が昨日被ったかなどはわからない)、中に入ります。

 

チャイムが鳴ると、私が組み立て作業の流れの中でどのパートを担うか教えてもらい、あとはひたすら同じ作業です。

再びチャイムが鳴り、10分の休憩→再び作業→昼休み→作業→小休憩→作業→残業もしくは終了。

 

という1日です。

そこではほぼプライベートな会話をすることなく、回ってきたスマホの基盤に処理を施し、次の工程に回していました。

人と会話をすることはありませんが、作業中、自分とはずっと独り言のように話しています。

 

「何でこんなことしてるんだろう?」「今日は何を食べようか。」「周りの人はこんなことをずっとしていて幸せなんだろうか。」などなど。

妄想が頭を駆け巡ります。

 

仕事が終わりその日を振り返った時にきう思いました。

「今日は誰とも話してないな。」

 

その理由は簡単で、仕事の相手がロボットだったからです。

ロボットが相手だと、当たり前ですが、会話はしません。

ある作業をさせるために、数値を入力したり、故障したらその原因を探して修理するのが、もしかしたら「人とロボットとの対話」になるのかもしれません。

 

しかし、いわゆる人同士の会話のようなものは、ロボット、特に産業用のロボットの場合はありません。

そのロボットとのコミュニケーションと言えば、私が作業したものをロボットが作業するための台に置くことぐらいです。

 

そういうことを考え続けていて気づくことがありました。

 

 

続きは次回に。