ロボットでは効率のわるいことを人間が仕事としてする時代2
ロボットは私たちの社会のためにスマートフォンを製造するお手伝いをしている一方で、ミクロにロボットと私の関係を考えた場合にロボットが私のために働いているのではなく、「私がロボットのために働いている」な、と。
工場において、私とロボットどちらにより価値があるかといえば、ロボットです。
人間でもロボットがしていることをできるかもしれませんが、ロボットほど正確に早くすることはできません。しかも24時間フル稼働なんて不可能です。
その意味でロボットに代わりはききませんが(同じものを勿論作ることはお金を出せば可能)、人は代わりがききます。
だからこそ、日雇いのような入れ替わり立ち替わりで人が変わる体制でも工場を回すことができるわけです。
そこは日本語が話せるという条件もないにこしたことはありませんが、絶対に必要でもない。
前回にも書いたように、人はそこでロボットと話すわけですし、事実、工場では外国人労働者がいっぱいいました。
作業自体はボディランゲージや片言の英語で理解できる内容だと私は思います。
「お金をもらう」
には経済を回すお手伝いをしないといけません。
以前はどんな仕事も人間がしていましたが、ロボットが開発されたり、工場が海外に移転されていく中で、日本でより高い給料をいただくためにコミュニケーション能力を求められる時代になったとききます。
そうした中で、日雇いという不安定であり、社会的立場で言うと、決して高くないポジションにいる人達にとっては、人とのコミュニケーション能力というよりはむしろ、自分たちがロボットに寄り添い、ロボットとコミュニケーションをする能力が必要なのかもしれません。
そこでは自己主張は必要とされません。ただ、ロボットと共に製造工程の一歯車となることが求められます。
それはいいのか悪いのかという話ではなく、第二次産業で、そこに従事した経験がない人に残っている仕事がそれぐらいしかないという現実なのではないでしょうか。
サービス産業のように人と対話をして経済を回すのが苦手な人にとっては、こういった仕事しか、もしかしたら残らないのかもしれないなぁと、周りで一緒に働いた1日限りの同僚を見ながら思いました。
工場から出ると、すっかり暗くなっていました。
定時になるとバスが出発し、三宮や明石などの都市へ戻され、ニンゲンは電車などで家に帰り、明日またロボットとコミュニケートするために充電を始める(ご飯を食べて寝る)。
私たちの20年後はどうなってるんだろう。
もっと真剣に考えないと。