海外に住んでいる日本人が日本の良さを伝えたいという違和感2
東洋医学の考え方の1つに、「気候や風土が病を作り出す」というものがあります。
例えば、湿度の高い地域では湿邪というものが関係した病がおき、寒い地域では寒邪が人の病を作るといったもの。
なんとなく想像できるのではないでしょうか。
私はその考えの延長として、「気候や風土が国民性を作り出す」と思っています。
寒い地域と暖かい地域で住んでる人の気質が違っている一例として、東北や北海道に住む人と沖縄に住む人との気質の違いでわかるかと思います。
であるなら、日本に馴染めないのは日本の気候や風土に馴染めないからだと言えないでしょうか。
特に島国であり、近年まで日本の島々の民族以外から侵略されてきた経験のない歴史を持ってきた地域はやはり他とは違う国民性を有しているのではないかと思っています。
日本が嫌いな日本人だっていてもいいと思うんです。日本が好きな外国人と真逆なわけですし。
ただ、お互いがお互いの人生にプライド(=自分で今の人生を選択してきた)を持ち、そのプライドを否定されたように思うことがポイントなんじゃないかなと思います。
海外で働く日本人の知人が、「私は日本が好きだが、欧米の文化・考え方が入ってきている今の日本が好きではない。」というようなことを言っていました。
欧米の文化や考え方って何なんだろうと考えることがあります。
どの国もそうかもしれませんが、ある文化が違う地域から流入してきたときに、咀嚼してその国に合わせた文化に変わり馴染んでいきます。
例えば、中国から来た漢字。
そのまま中国語として日本でも採用すればいいものを、ひらがなやカタカナを用いつつ、漢字も用いるという変化を遂げたと学校で学んだ記憶があります。
そうであるなら、欧米の文化だって日本流に吸収されて採用されているのでしょう。
ただ、ここまでグローバルになり、世界が均質化していくと、吸収する前に、文化を押し付けられているのではないかと思います。
私はその最たるものが消費主義、特に大きな資本がその資本をさらに拡大させるためにとるマーケティング戦略面、消費戦略だと思っています。
昨今、SNSで「いいね」が欲しいがために、見た目重視の料理が流行っていると見聞きしました。
そこには吸収し考え、咀嚼していくという人間の文化のプロセスを無視し、マーケティングで人間の思考を分析し、ただ消費させていくという構図が浮かび上がってきます。
こうは書いている私ですが、きっと想像以上にそのマーケティング戦略に洗脳されていることでしょう。
可能な限り抗いつつ、うまくすり抜けるには個人で生き抜いて行く力が必要だと思っています。(渡英はその考えの1つです。)
話が脱線してしまいました。
続きは次回に。