ロンドンの、船上の鍼灸師の日記

2012年から客船で鍼師として働いていましたが、2017年からロンドンで治療家として働いています。治療のこと、クルーズのこと。色々綴っていこうと思います。ウェブサイトはこちら。https://www.junjapaneseacupunctureandshiatsuclinic.com/

自分が匂うブログを書きたいな

お題「ブログをはじめたきっかけ」

 

なんでブログを始めたのだろう。最近お題をもとに、自分の記憶を思い返すのが楽しい。

 

ブログを始めたのは鍼灸師になって開業する時に、自分の考えを残しておくことが開業したときの財産になるからというものでした。まあいわば、クレジットカードの使用履歴があれば、大きな借金をしやすいというのに関係としては似ていると思います。(過去にクレジットカードでこれだけお金を前借りして返済してきたという記録があることで、もっと大きな借金をする、例えば家を買う、時に銀行から信用してもらえる)

そう思って、自分の考えをつづってきました。でも案外、自分の考えてたことって忘れ

るもんですし、こうして文章として形にすることで、自分だけど自分じゃない(考えてたことを忘れてるという意味で)ものを思い返すことって面白いなと思います。

 

改めて、自分はどういう人間なのか、どういうことが得意な人間なのかと昨日不意に考えることがありました。それはある方のこの記事がきっかけでした。

鍼灸が最高だと言える7つの理由 - 【ケアクル】

この文章に対して、Facebookグループのある方が、非公開のグループで批判に近い批評をされておられました。

コメントにはケアクルの文章があくまで鍼灸に対する宣伝文なんだからいいんじゃないですかという意見とか、とはいえこの内容は薄すぎて酷いんじゃない?など色々書かれてありました。

僕はこのケアクルの記事を書いた方も、批評をされた方とも面識があり、両方言いたいことがわかるなぁと思っています。

 

でも、この記事みたいな記事が多いからこそ、逆に僕なら鍼灸を受けないというか、受けたいなという用には響かないかなと思います。

僕がこういう文章を書けたらなと思っているのは糸井重里さんです。ほぼ日刊イトイ新聞

どういうことにも自分の見方・気持ちというスパイスを振りかけて、読んでいる人の目線でそのことを感じてもらう、そういう文章を書かれているなと、いつも感心してしまいます。

このほぼ日の中の対談なんかも読んでいると、糸井さんが自分の考えていることや現象など色んなことをずっと分析して言葉にして、それでなおわかりやすいように落とし込んでいるのがよくわかります。

こういう方が「鍼灸は最高だ!」なんていう文章を書くとどうなるんだろうと想像してみますが、そもそも最高だなんて言わないかなとも思ったり。

 

今までの文章を書いてみて、僕が文章に書きたくなることって、エッセイのような何気ないことに自分の想像を膨らませることなのかもと思いました。

ネットのコラムなんかを読んでいると、自分の言葉で書かれてない文章ってあるよなと思うんです。その書かれてある文章・言葉から書いた人の匂いがしないというか。

 

そういう文章を綴っていける人間でいたいな。

 

 

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クルーズ時代、トリュフハントのツアーに参加した時の一幕@スロベニア

 

ウェールズ最高峰スノードンへ

お題「キャンプ」

 

先週、ウェールズにあるスノードン山へ行ってきました。スノードン山 - Wikipedia

 登山は去年のベンネヴィスに引き続き2回目。

ウェールズ最高峰なのに1085mとかなりの低山でしたが、景観はよく、楽しんできました。

ベンネヴィスの時もそうでしたが、イギリスの北部の山を登ると宇宙の果てに来たような感覚に襲われます。

日本で言うと3000m級の山の中腹にいるような印象に近いです。(昔は同じような高さだったからそんな印象を持つのかなと思って軽く調べてみたのですが、そのサイトは見つかりませんでした。。。)

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ロンドンから片道4時間半かけて登山鉄道も走っている、山の麓の街「スランベリス」に到着しました。ここにあるCamping in Lanberisというキャンプ場に到着。Camping in Llanberis

久しぶりにキャンプをしてテントで寝ました。

 

どうでもいい話ですが、山の用品って購入するときは高いけど、その後はしばらく使えます。でも、年に何度も使わない(時には1年間まるまる使わなかったりします。)ので使える時はなるべく使いたい、そんなものです。

もう10年前ぐらいに日本で買ったテントを拡げ、その日は就寝。

 

スコットランドよりはましでしたが、イギリスの北部は虫が以上に多く、しかも、それが身体中を噛んでこようとします。

キャンプ場で虫除けスプレーを売っていたので購入したのですが、それがまあ、効かない(笑)

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横でテントを張っていた家族連れの子供が、「受付でスプレーを購入したけど全然効かない。」と。アジア人だから効かないわけじゃなかったみたいです。

横の人たちはクレームを言って返却したみたいですが、受付の人は「夜歩いてテントを確認する時に、こいつを塗ってるとまったく噛まれないんだ。」とのこと。

私は何となく効いた気がした気もするし、結構使ったので、そのまま買って帰りました。

 

翌日起きて、いざ、スノードンへ。この地域はイギリスでも天気がよくない地域らしく、実際、一週間前は雨の予報だったのですが、持ち前の根拠のない晴れ男の祈願によって、何と晴れました。

山自体は、下からとはいえ、1085mと1キロ強の登りですから、ゆっくり歩いて3時間ほどで着きました。登山電車は1時間ぐらいで着くそうですが、山に敷かれている線路の横を歩きながら、とぼとぼと登っていきました。

登山鉄道と言えば、大学生の卒業旅行でバックパックでヨーロッパを廻った時に、ユングフラウヨッホに寄りました。ユングフラウヨッホ - Wikipedia

その時は3月に行きましたが、吹雪に見舞われて何の景色も見えなかったので、今回はその線路が山にある不思議な景色に息をのまれながらの登山です。

遠目に電車がゆっくりと頂上目指して登っていく姿は、中々お目にかかれない不思議な景色でした。

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頂上はスノードンのWikipediaにもあるようにかなり混雑していました。

 

それでまあ、帰りは普通に降りてきて、テントに戻ってきて、翌日にロンドンまで帰ってきました。

 

とりとめもないことばかりですが、山やハイキングのブログって、いつも難しいなと書き始めて思います。

行く前は、興奮して行き方や天気、他にどんな山があるのか、どこにキャンプ場があるのかなど色々調べるのですが、いざ登り終わると、まあ目には景色が焼き付いているものの、イマイチ文章に起こしても面白みが出ません(涙)

 

まあでも、本当に綺麗な場所なので、イギリスに来ることが会って、何か特別なことをしてみたいと思ったら是非登山も考えてみられたらと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

インプットとアウトプットのバランス

ある患者さんに聞かれたことがあります。「どうしたら頭がよくなりますか?」

僕だって知りたいです。。。

とは言え、「どうでしょうねー」とお茶を濁すのも自分の性分に合わないというか悔しいので、考えてみました。

 

「頭がいい」を具体的にどういうものだろうと考えた時、その説明っていくつも切り口があるように思います。

1) 自分にはない感覚・視点で物事を捉えている

2) 誰でもわかるような説明をする

3) あることを詳細に語れる

4) あることと別のこととを結びつけて共通点を見つけたり、新しい観点なんかを見つけたりする

 

まだまだあるのでしょうが、今パッと思いついたのはこんなもんでした。

それをもう少し自分なりに噛み砕き・解釈してみようと思います。

 

1) 以前参加した勉強会で、「患者さんに侵害刺激と思われずに、患者さんに触れる。」という勉強会がありました。

こんなことなんて考えたことも想像したこともなかったのですが、デモンストレーションを見て、また、そういう観点で刺激を捉え直した時に、そういう刺激が存在するのかもと体験・感じることができました。

僕は鍼灸師という仕事柄、同じ職業の人と「身体」という同じ土俵で仕事をします。

鍼を使うにしてもどういうフィルター(考え方)で身体をみるかで、本当に様々に見えてきます。鍼じゃなくても指圧、カイロプラクティックオステオパシーなどなどその施術の仕方のフィルターを通してでも見え方が変わってきます。

 

2) わかりにくい例かもしれませんが、最近こういう会話を患者さんとしました。

ジャニーズが好きでEXILEがあまり好きでない方がおられて、「韓流スターはどうなんですか?」と質問しました。

私の中ではジャニーズが好きなら、甘いフェイスが好きという意味で好きなんだろうなと思っていたのですが、その方は「なぜかわからないけど、あまり好きではない。」という回答でした。

それでどうしてなのだろうと考えていて思いついたのが、「甘い顔なのにマッチョなのが好きになれないんじゃないのですか?」というもの。

それを伝えると、「そうそう!いい例えね。」とお褒めの言葉を頂きました。

「 誰でもわかるような説明」って、ようは、エッセンスの抽出のことを言うのかもしれません。

 

 3)これはまあわかりやすいと思います。(ちなみに、これの究極的なものは、詳細に自分が語れるかどうかは別にして、情報としては乗っているインターネットの世界だと思います。)

例えば、エヴァンゲリオンを私は何度かアニメシリーズは見ましたが、あまり詳細には語れません。でも、Wikipediaで検索してみるとこんなに長いページとなっています。

新世紀エヴァンゲリオン - Wikipedia

この情報を自分の口で語れたら、頭いいって思われるだろうなぁ。

 

4)これは、2)で出した例で説明できるのかなと思いました。

 

4)の説明でも書きましたが、実際は、1−4はそれぞれが絡み合い、また1が得意な人がいれば、2や3が得意な人など、「頭がいい」にも色んな「いい」があるんだと思います。

 

話を始めに戻すと、「頭がよくなるにはどうしたらいいのか?」という問いですが、当たり前ですが、頭がいいと思われないと、あの人は頭がいいなと認められません。

どれだけインプットして頭の中に知識が詰まっていても、アウトプットして人に伝えられなければ、頭がいいか悪いかわからないのです。つまり、アウトプットの仕方次第で頭がいいか悪いかが決まると言えるのではないでしょうか?

テストだって、1つのインプット▶︎アウトプットの経路の1つです。

 

最近みたYouTubeの中で島田紳介さんが面白いことを言っていました。(記憶の中の再現なので、多少間違っているかも)

 

「『阪神タイガースの選手で誰が好き?』っていう質問をされたのに対して、「掛布や金本って」答えたって何も面白くないし、そんなの視聴者は聞き飽きてる。

俺なら、サクセスストーリーを持ってる誰も知らんような2軍の選手を答えて、その選手がなぜ好きかを熱く語る。

野球のことを知らなくても、それだけでさも知ってるように見えるもんや」

 

多少のはったり、上記の3でなくても、1や4の工夫次第でいくらでも頭がいいと思わせることって出来るんだと思います。

 

話はそれますが、人を操ったりする人ってそうのを直感的?意識的?無意識的?にやるなと思ったのが、友達に誘われてアムウェイの勉強会に誘われた時のことです。

グループの代表の人に友人が僕を「クルーズで働いてる人です。」と紹介してくれた時に、その人が「俺もCelebrityというクルーズにアムウェイで招待を受けていってきたけど、すごく豪華だったなー。うんたらかんたら。」

そのCelebrityというのは実は5つ星で、その時、僕は6つ星のSillver Seaで働いていたことがあったので、そのCelebrityがそこまでいい船ではないのを知っていました。

まあ見た目は豪華でも、それこそはったりのクルーズなんていくらでもあります笑

 

でも、その代表の人は僕がクルーズのような豪華客船で働いてる人も僕のグループに来る、などなど、恐らく意識的だとは思うのですが、グループのメンバーに対してマウントポジションを取ろうとします。

そうなると、自分が知らない世界の場合、無意識に「この代表はやっぱりすごい。」と思っちゃう。

セラピストが本やDVDを出すのもそういう効果を狙った側面もあるだろうし。

 

脱線しましたが、つまりは、アウトプットの仕方次第で、どうにでも人は人を見る目を変えられるんだと思います。カメレオンのように。

そうなると、いかにアウトプットの練習をするかになります。

人に話すよりは、独白のようなこんなブログが一番僕は練習になると思ったので、一番始めに聞かれた患者さんには「ブログを初めてみたら?」と伝えました。

僕がブログをしてるのも、アウトプットの訓練なので。

 

もっと頻繁に書かないと。

 

セイウチもクレバーになれと応援してくれてます@ウルグアイ

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三菱重工を辞めて、鍼灸師になれたのはなぜだろう

大学を卒業して、三菱重工に入社して鍼灸師になりました。

それで、クルーズ船で働いて今、イギリスで働いている。

大学を卒業して12年経ったけど、こんな人生になるなんて思ってもみなかったです。

 

ブログのテーマで転機とあったので、こういう人生になるターニングポイントは何だったのかと思い返そうかと思うのですが、それは既にはっきりしていて、「三菱重工にいた時の上司とあまりにも反りが合わなかった。」それにつきます。

三菱重工の上司は、よく言えば「当人に考えさせて答えを出させる。」、「悪く言えば、意地が悪く、答えを教えない。」という人でした。

例えば、ある工場で納めるための品物の見積もりを出すのに際し、どう説明するか、どうすれば納得させられるかというメールを書くとします。

そのとき、私はそういう経験がないので、四苦八苦するのですが、上司は経験をさせるために私にその説明を考えさせました。

ところが、ノウハウがない私は、何をどう説明すればいいのかわからない。そして、何がどうわからないのかもわからないので、もはやどうにもなりません。

なので、上司にチェックしてもらう文章は支離滅裂でした。でも、彼は私に考えさせようとするので、答えを教えてくれない。

1日5時間ぐらい経ったまま怒られたり、他にも仕事があるのに、そのメールにかかってしまって1日1通もメールを送れなかったりすることはざらにありました。

そのせいで、こういう毎日を送るぐらいなら死ぬ方がましだなと思って(骨折ぐらいだとまた上司に会わないといけないと思ってました)、自転車通勤してたのですが、急なS字カーブをわざと勢いよく横切って即死しないかなと毎日やってました。

 

そういう時に、何とはなしに行ってみた鍼灸院で、すごく身体が楽になったんです。色々とはしょりますが、その経験が大きくて、鍼灸の業界に行くことを志し、学校にいくことにして、今に至っているのです。

 

患者さんにも言うのですが、上司とあまりにも反りが合わなかったからこそ、その会社を辞める決意が出来たなぁと思います。

だって、残業代も申請した分だけでるし、GWは10日ぐらい休めるし、定時で帰ろうと思えば帰れるし、日本でも有数の潰れない会社をやめる必要なんてないわけです。

だから、あの時は本当に辛かったけど、あれぐらい辛いからこそ、今があるんだなと思います。

 

私の影響を受けた言葉で、「過去が今を作るんじゃなくて、未来が今を作っているんだ」というものがあります。

今置かれてる状況は、実は未来のために布石なのかもしれません。人間は都合のいい解釈をする生き物だと思っていますが、未来が今を形作るなら、今置かれてる辛い状況だって、将来の肥やしにできるかもと思えるんじゃないでしょうか。

 

未来のために、もっと頑張らないと。施術家として精進したいな。

 

写真は南米にあるフォークランド諸島とパナマ運河。思えば遠くに来たもんだ。

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共感することの振れ幅

先日、患者さんから「患者は共感して欲しいものだ。」というアドバイスをいただきました。

 

例えば、「足むくんでますねー。」とか、「腰凝ってますねー。」などなど。

こんなすごくベーシックな共感もあれば、何回も来てくださってる方には「今回は特にここが凝ってる。」など以前との差異に対して患者さんの身体の状態に共感をする場合もあります。

 

僕も施術は月に一度は受けるようにしてるのですが、指摘して下さった方はもっと行っておられて、そんな方がそう言っておられるのは、やはり耳を傾けないといけないなと思っています。

 

その一方で、共感って何だろうとも考えます。なんだか耳触りがいいからこそ、ちゃんと考えないといけない気がします。

共感のテクニックとしてよく言われるのが会話のおうむ返し。いわゆる、相手が言ったことをそのまま繰り返すやつです。やや感情を込めて大げさにするといいとかどうとか。

でも今回書いてて気付きました。

僕はおうむ返しが嫌なのです。無意識の癖のようにおうむ返しをする先生は僕が今まで一緒に働いた中で結構おられます。

 

ある先生はとても受け答えがソフトで、やさしくおうむ返しをされます。なんだろう、「糠に釘付け」という言葉がありますが、その糠のような感じです。

それはいい悪いではなく、実際その方は忙しくされておられるので、そういう共感の仕方に共感されて、「また受けたい」と思う方が多くおられるから忙しいわけです。

患者さんの愚痴や症状という釘を糠のように優しく受け止める。

それは共感の仕方のあり方の1つだなと思います。

 

でも、その共感の仕方は僕にとって面白くないのです。そう、好き嫌いとかじゃなく、面白くない。

それは関西人の気質なのかもしれませんが、会話にボケを作ったりツッコミを入れるように、相手の身体の状態に何か別の視点的なもの(思ったのは僕というスパイスのようなもの?)を入れたくなるのです。

 

例えば、僕は患者さんが昔どんなスポーツをしていたかとか、女性の方には婦人科系のトラブルがあるかを聞きます。

僕の想いとして、縁あって診せてもらうことになった患者さんに全力で取り組みたいというのがあります。

不可能なのはわかっていますが、何かしらの症状があれば、過去から振り返ったりして、その症状の原因を突き止めたい。

その為に、人によってはプライベートと思われてしまうようなことも聞いてしまうことがあります。(これでも以前よりはマシになりました汗)

それはしかし、何の気なしに来た方にとっては鬱陶しいものになるのかもしれません。その場合、僕が面白いと思う共感の仕方は独善的になってしまいます。

 

おうむ返しの共感の仕方は深くいけないかもしれませんが、相手がどういう共感を求めているかを探る上では最善なのかもしれません。(=相手が不快に思わない程度で共感していこうとする)

おうむ返しを自分の中で、下位のものと勝手にみなしていましたが、そうではなく、巧みなおうむ返しをすべきだなと再認識しました。

 

初めに書いた患者さんにずっと前に「僕のことを気に入ってくれる方は気に入ってくれる。」という弱音を漏らしていました。今思うと、患者さんにそんなこと言うべきじゃないと反省してますが、その方が「共感していったら10人中1人のリピート率が、4人とか5人になるんじゃないんですか。」と言って下さいました。

 

ありがたい話ですね。

もっと幅広い人と共感したいなぁ。

 

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以前ロンドンであった水漏れ。これをみて大変だと思わない(=共感しない)人はいないだろうな。。。

 

 

 

 

 

「今、ここ」はどこのこと。感情の中にはないのかな。

私には瞑想のサイクルがあって、今瞑想ないし、自分への心を空っぽにしたくなっているサイクルが来ています。

私が以前参加していた瞑想会では、自分をメタ認知する「気付き」を入れていって自分を客観的に見ていくことを瞑想の目的としていました。

 

「イライラした」「なにがしのことを考えた」などという「気付き」を自分に与え、自分が自分に没入することを避けます。そうすることで、例えばネガティブな感情に引っ張られることなく、冷静に自分を見つめられるようになると考えます。

 

そういうことを自転車に乗っている時などに、瞑想と題して、どれだけ自分の頭をクリアに出来るかということをしていました。治療自体も、患者さんと私の瞑想なのかなと思うことがあります。

 

瞑想会の中で、「今、ここ」に集中しなさいという言葉が何度も言われていました。

「イライラしている」など自分の今の状態を客観視することで、「今、ここ」に集中出来ると私は考えていたのですが、最近、その考えを改めることがありました。

 

呼吸をしながら、「膨らんでいる」「縮んでいる」と、呼吸の瞑想をしている時に、「今、ここ」は膨らんでいる刹那刹那の瞬間であり、「イライラしている」というのは「今、ここ」ではないのではないということ。

「今、ここ」ではなく、「今の状態(=イライラしている)」は「今、ここ」ではないのではないか。

 

瞬間瞬間に感情というものは本当は存在せず、ただただ、「ある事象が起きている」それだけを指すのではないかと思ったのです。

感情というのは、ある事象に対する、自我の意識がつけた意味であり、それは「今、ここ」のものではない。

 

文章にすると、たいしたことないのかもしれませんが、私にとってはとても大きな気付きでした。

 

それに気付いてから、瞑想がより深くなったように思います。

そして「今、ここ」に集中することで、患者さんの身体によりフラットに触れられることにリンクしていけるように感じています。

 

ただ人の身体に触れている毎日の中で、自分が行き詰まっている時に、こういう気付きを得て、人に触れる行為が深くなっていく。

 

もっと色々なことに気付けるようになりたいな。

 

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風がたなびく、今、ここ。

ロンドン在住1年を振り返って思うこと

ロンドン在住から明日で1年と1ヶ月経ちます。

結婚記念日や誕生日じゃないですが、長い間住むということになった時、初めてその国に降り立った日のことって案外覚えているものです。

初めて行ったカフェとか。

 

この1年、日本にいるときと比べて何がどう変わったのかなと思い、振り返ってみることにしました。他人から見たら本当にどうでもいいことを今日は書くなのと、振り返りながら思います汗

 

・一人でいる時間が増えた&家にいることが苦にならなくなった

私は神戸の実家にいる時は、一人で家に何もせずにいることがとにかく苦手で、何か理由を付けては外に出ていました。美術館とか映画館とか行きたいところはいくらでもあるので苦ではありません。

ところがロンドンに来て、1人で家にいることが苦ではなくなりました。仲の良かった友達も減り、話し相手が減ったので当たり前と言えば当たり前なのですが、それとは違い、家に一人でいて本を読んだりするのがむしろ楽しいと思えるようになっているのです。

それはこの34年間で初めてに近い感覚なので、とても新鮮です。でもよく考えれば1人暮らしをするのが初めてなので、1人暮らしをするっていうのはこういうことなのかもしれません。船は1人暮らしと言えば1人暮らしですが、クルー全員が家族みたいな側面もあります。

 

・治療スタイルをカスタマイズさせた

私は治療経験が浅い状態で船で働くようになり、初めてここロンドンで陸地で治療家として働きました。

この1年で治療としての基本方針は変わりませんが、毎日人の身体に触れて何かしらの変化を起こさせるということをしていると、少しづつ気付くことが出来、少しづつ自分の施術が変わってきているように思います。

私の施術は基本的に、「痛い」と思われる施術をしていますが、船で働く前に働いていた治療院でしていた施術と基本的には同じでも、その「痛さ」は全然違うなと思います。

相手が痛いと感じようが感じなかろうが、筋肉を捌いていくというのが一番大切だと「学んだように錯覚していた」、治療家なりたての頃。

笑顔で挨拶を交わしてくれるのに指名が入らなくなってしまった患者さんに対して、すごく複雑な気持ちを持っていましたが、今ならその気持ちがよくわかってしまいます。

今でも私の施術は嫌がられることはありますが、気に入って頂ける方もいます。

もちろん、一切相手に「痛い」と思わせないような、クラニオやヴィセラルのようなアプローチもしていきますが、それはそれぐらい私の身体の診方に幅が出来たということなのでしょう。

 

 

つれづれ2点ほど書いたけど、美術や映画の趣味があう友達なんてのは日本でもあまり見つからなかったし、イギリスならなおのことかなと思いますが、話していてとても刺激を受ける患者さんにも恵まれたし、この1年はわりに充実していたなと思います。

来年の今頃再び振り返ったとき、同じことを書いていたくないなぁ。

 

私はなぜか昔から思い出話が嫌いで、昔に花なんて咲かせたくないといつも思います。今が明日が昨日より大きな花が咲くように。

楽しまないと。

 

 

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生ける屍なんて、なりたくない!