ラジオでのリスナーとパーソナリティのすれ違い それは甘えなのか愚痴なのか
先日のラジオでの一コマ。
リスナーが、自分たちの不満をぶちまけるというコーナーでした。
「ある主婦からの投稿で、旦那さんが大きなマラソン大会に行くことにした。トレーニングをするのはいいが、トレーニングしてない日でもマッサージをさせられたり(トレーニング後はもちろん)、当日には応援かけつけたりしないといけない。こんな旦那にうんざりです。」
と言った内容。
これに対して、パーソナリティの人が、「旦那さん甘えてるなぁ。微笑ましいね。」というコメント。
同情というよりは、そんな関係いいなぁというようなコメントをされておられました。
皆さんはどう思われますか?
リスナーは同情して欲しいから投稿したものの、パーソナリティからはその逆でむしろやっかみ的なものを受けてしまう。
実はラジオで時々あるシーンです。
リスナーが精神的に落ち着いていて、自分の状況を相対的にみれる人であれば、そのコメントを聞いて嬉しいと思えるでしょう。
でも、とりあえず聞いて欲しい!自分の不満にパーソナリティの人達が理解して旦那にきつく言って欲しい!という気持ちで投稿してたら、私ならそのラジオを嫌いになります汗
投稿の場合、とりあげてもらうのはそれだけで有り難いですが、そのコメントが期待していたものでないと、投稿なんてしなければよかったと思われてしまうでしょう。
当たり前かもしれませんが、投稿者は投稿したあと、何もできないことが多いんだなと気づきました。
先ほどの例で言うと、パーソナリティのコメントに対して、「そんなつもりで言ったんじゃない。」とリスナーがツイッターやメールで再度投稿しても、まあ取り上げられませんよね。。。
討論番組だと取り上げられる可能性はあるでしょうが。
その一方で、パーソナリティの場合は、仮に自分が失言したとしても、すぐに自分でフォローできるので挽回できるチャンスはあります。
ラジオはほとんど生放送であり、リスナーとパーソナリティのやり取りが生で行われるとても魅力的なメディアだと、私は今の仕事に就いてから思うようになりました。
でもだからこそ、投稿でのディスコミュニケーションが起きても訂正がききません。
生放送、特にリスナーのコメントを紹介して番組を展開するラジオはパーソナリティのコミュニケーションスキルが相当に求められることを知った一コマでした。