人に触れること 侵害刺激のない触診2
「脳から身体、内臓まで通じる侵害刺激のない触診の真髄」
セミナーが始まり、まず先生がデモンストレーションされたのが、デモの患者が寝ていて、術者が3mほど離れたところから立ちます。
それで、検者が足を持ち力をいれて挙げられるかというテスト(=筋力テスト)を行うというもの。
術者が離れていれば患者は力を入れられるのに、ある距離以内に立つだけで力を入れられなくなるのです。
嘘だろうと思うと思います。私だってそう思います。
でも、患者としてこの二日間何度も足を挙げましたが、本当に力が入りません。
人は意識する・しないに関わらず、自分が快適さを感じられる空間には範囲があります。「その範囲において、相手にストレスを感じさせず近づいていく訓練」が今回のセミナーの主旨なのかもしれません。
侵害刺激と聞けば、普通、刺されるとか強く押されるとかを思いますが、そんな激しいものでなくても、人は人を侵害し刺激しています。
例えば私が電車に乗っていたとして、不潔そうな格好をしている人に近づきたいだなんて思いません。
「不快」という侵害刺激が、その人から私に届いているからこそ、近づきたくない。それはその方がたとえ意識していないとしても、受け手である私の意識には届いて刺激となっているわけです。
その「無意識の行為、放つ雰囲気→受け手には意識され、刺激を与えている」という図式はどこにでも当てはまり、「施術する術者と患者」との関係にも当てはまります。
治療という場合、先生と患者という立場、また、私の場合実費をいただいているので、相手が私を選んでくれているという状況だからこそ、術者側としては相手は受け入れてくれているはずだと思い込みがちです。
先生のデモンストレーションが示してくれたのは、その思い込みが正しいとは言えないということなのでしょう。
先生はこう言っておられました。
「何も考えず、人畜無害の気持ちでやれば、侵害刺激と認識されない刺激ができる。」
あえて例えるなら、
「水平線が広がっているイメージ」
「初めて自分の赤ちゃんを抱っこした時のイメージ」
「術者はうっすら笑っていること」
などをアドバイスとして言っておられました。
続きは次回に。
人に触れること 侵害刺激のない触診1
日本に居た時に書き留めていた内容をアップしておこうと思います。
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久しぶりに遠方までセミナーに参加してきました。
タイトルは「脳から身体、内臓まで通じる侵害刺激のない触診の真髄」です。
初めは予定の都合で行けなかったのですが、スケジュールが空くことになり、セミナーへ行くための道が出来ました。
これは行けと言われているなと直感で思い、行くことにしました。
大阪の一泊二日のセミナーが6月にあった時も同じことが起き、そのセミナーの参加が今回のセミナーの参加に繋がっていることを考えると、人生で「流れ」を掴む時はあり、そこに乗れるか乗れないかが大切なんじゃないかといつも思っています。
大阪のセミナーでは、懇親会が終わってから講師の先生の部屋に行って、自由に質問ができる時間が設けられています。
その一室で、見た目には変な練習がおこなわれていました。
術者が患者(役の先生)の頭に触れて、講師の先生が患者の足を持ち、挙げたまま力を入れられるかというもの。
「人は人に簡単に触れることが出来るというがそれは大きな間違い。」というのがある先生の考えで、実際、術者が頭に触れるまでは患者さんは容易に足を挙げられるのに、触れてから再度やってみると足が挙がらないのです。
「術者が頭に触れる」と言うのは、患者にとって侵害刺激であり、脳にとって邪魔な刺激なので、足を挙げようと思っても挙がりません。
私が初めてそれに挑戦した時も全然だめでした。
そして、その「ある先生」がセミナーをされるというので参加してたのです。
「侵害刺激のない触診」を研鑽しに行ってきました。
土曜日の半日と日曜日の一日、ある意味自分を否定されてきたような一泊二日でした笑
続きは次回に。
イギリスと船上の患者さんの違い その2
久しぶりに治療という場に復帰して思うことの続きです。
私は三菱重工に居た時に精神をストレスから病んでしまっている時に、鍼灸に助けてもらったという思いが強くあります。
そのため、ストレスで気がめいっていたり、その手前の人の気持ちが人よりはわかると思っていまして、それはひいては、他の施術者よりも相手の心の状態に敏感かなと考えています。
私の診方を先輩の方にした時に、びっくりされることがあるので、まあ何と言うか、間違ってはいないのかもと思っています。
話を戻すと、ストレスがある一定以上溜まってしまうと、ストレスを吐き出したいのに吐き出せなかったり、そっとしておいて欲しいけどそっとして欲しくなかったりします。
客船で働いている時は、相手はバカンスで来ているため、心がリラックスしているため私の感じることを素直に聞けたり、どうせもう会うことはないという思いから、将来に思い出してくれたらいいなという思いで私は敢えて感じたことを伝えます。
しかし陸地の場合、それはただ言えばいいというものではないというのに気付きました。私のクリニックにその方は前から来ていて、私はただの1新人スタッフです。
そんな若輩者が、いきなり相手の心のバリアを突き破って隠すことで保っているバランスを崩そうとする。
患者さんがそこは触れてくれるなと言葉ではない雰囲気で語ってくるような気がしてならないのです。
それはもしかしたら、イギリス人とアメリカ人(船にはアメリカ人以外も多数いましたが、大半はアメリカ人でした)との違いかもしれません。こちらに住んでいる日本人の方もイギリス人とそんなに変わらず、心のガードが硬い人が多いです。(という意味では、島国であるイギリス人と日本人の特性なのかもしれません)
どうやって信頼関係を築き、相手に心を開いてもらうか。あまり、先輩スタッフはそういうアプローチをしてる方がいなさそうなので、私なりに工夫しながら、楽しんでいきたいと思います。
エロスの像。有名だそうです。
イギリスと船上の患者さんの違い その1
イギリスに来てから10日間ほど経ちますが、色々な手続きをしたりとばたばたしています。
私が働いているクリニック(イギリスでそう呼んでいいのかわかりませんが)は日本人が多く、日本人しか診ない日もあり、また、スタッフも日本人のかたばかり(一人こちらで生まれたので、日本語を少ししか話せない人もいますが)なので、本当に日本にいるみたいです。
船で働いている時は、3千人や千人いる船の中で、日本人は私一人のことが大半だったので英語しか使えなかったのとは大違いです。
そういう意味では、イギリスでまず働いて船、ではなく、船で働いてイギリスというのは今になって思えばよかったかなと思います。
なぜなら、船のお蔭である程度英語を理解する耳が出来ているため、イギリスでも苦労しないからです。
逆にワーホリなんかでイギリスで働いて英語が出来ると思い込んで船に乗り込んだら全然出来ひんやん!と余計ショックが大きいような気がします。
こちらに来てまだ2週間も経っていませんが、その間に感じるというか、久しぶりに臨床の場を主戦場とすることになって、考えることがあります。
それは、「どのようにして患者さんと心の距離を縮めるか」ということです。
続きは次回に。
「君の名は」はロンドンでも絶賛公開中です。
渡英して最初に食べたものは?
先日、無事にイギリス上陸を果たしました。
神戸から来た身に取って、一番はじめに感じたのは寒い…ということ。
経由地のクアラルンプールは29度とかだったので、コートも脱ぎ、シャツも脱ぎなど半袖になっていたので、大違いです。(クアラルンプールから来た英国人はとても薄着の人もいましたが笑)
5時半に飛行機が着いてしまったため、会社の人と会うのにたっぷり時間がありました。
そこで、腹は減っていませんが時間つぶしのためにカフェに行くことに。
イギリス人は紅茶を飲むんだろうと思ったら、みなさんとてもコーヒーを飲みます笑
ほんと、びっくりするぐらい、スタバがあったり、他のコーヒーチェーン店があったりで、紅茶専門店ってあるのか?というぐらいです。
私たち日本人ももしかしたら、緑茶ばかり飲むと思われているのかもしれないなと言うのと、同じかもしれません。
入った店で、「English Break fast £5.5」とあったので、これはもう食べるしかないと思い注文しました。
クルーズ船でも食べたことがあるので、どういうものかは知っていたのですが、まあイギリスに来たし食べようと思って注文しました笑
まあ知ってはいましたが、写真のようにすごい量です。
目玉焼きやポテトも量があるので、胃にもこたえます。
どうして、こんなに朝から食べられるのだろう。逆に言えば、あまり夜に食べないのかもしれません。
イギリス人の友人に聞けば、「だから太ってるんだ。」と笑っていました。
これからも、私が持つイギリス人へのイメージは色々と変わるのでしょう。
また報告します。
渡英の準備がさあ大変。
前回、ビザが降りるのを待っていたと書きましたが、ようやく降りました。
先週の金曜日におりて、今週の木曜日に出発する。なんと、1週間以内に海外旅行のチケットを購入しました。
「そんなもん、取れるのか。」と思っていましたが、案外取れるもんですね。
今回はマレーシア航空で行くことになりました。
関西国際空港→クアラルンプール(マレーシアの首都)→ヒースロー空港(イギリス)
あきらかに、クアラルンプールが暑い…
空港は一定の温度が保たれているから大丈夫とはいえ、真冬の間に真夏を入れるとどうなるんだろうか笑
以前、11月末から船の契約が始まることがあり、11月上旬に日本を発ち、スイスの友人宅で2週間ほど居て人を診て、最終的にフロリダに行きました。
西海岸のカリフォルニアには船で働くためのトレーニングとして12月上旬に行ったことがあり、案外寒かったので、フロリダもそんなもんだろうと思っていたら大間違い。
常夏でした。。。来ていたダウンジャケットやズボンの下に履いていたヒートテックを脱ぎすて、ホテルに向かったのを思い出します。
そんなことはさておき、今回は船で7ヶ月過ごすための荷造りではなく、あちらで5年過ごすための荷造り。
何を持っていくのか案外悩みます。欲を言い出していけばきりがない。
航空券を取るまでは、20キロに収まるように色々と考えて荷造りしていたのですが、どうやら30キロまでいけるそう。
着物?お守り?治療の本?スーツ?冬服?お土産?
さあ何を持って行こうか。。。。
悩みます。
香川県にある金毘羅さんでの一枚。もちろん、お守りは買いました。
どういう価値観で生きるか。 今年の抱負に代えて。 その2
今週のお題「2017年にやりたいこと」
よく考えたら、治療家になる前までは、美術の学校に行った時には「美術家になりたい。」とか、それより前には「ミュージシャンになりたい。」とか思ったことはありましたが、そこまで強く思ったことはなく漠然としていました。
ところが色々な縁があり、治療家として道を歩み続けてから、夢が見えました。それは「私のところに治療を受けにきてくれた方、全員の症状をとること。」
叶わないことは知っています。心底では症状をとりたくない人がいる人もいます。でも、縁あって私が治療することになった方が、みんな症状が改善する方向に導けないかなぁと考えています。
ずっと追い続けることが私にとって、私を治療家としてより高みに連れて行ってくれる原動力なのです。
「なんて模範回答なんだ」と恥ずかしくなってきますが、夢は模範解答ぐらいでいいんじゃないかと自分を納得させます笑
「お金を追い求めること」と「技術を追い求めること」とのバランスを自分はどのようにとっていこうか。それをイギリスで働くに当たり抱負のようなものとして、もっと考えないといけないと考えています。
勿論、技術を持ち合わせる人がお金を追い求めるのは当然だと思いますが、いつの間にか、その技術が錬金術に変わっている人を何人も見てきました。
技術を持っている方が、お金をもらう手段としてセミナー講師として受講者に教えて受講料をいただくのはある種当然です。でも、そこにも技術が錬金術に変わっていく様をみることがあり、複雑な気持ちになります。
そういう先生方と接する中で、自分なりのお金と技術のバランスは今まで出会ってきた先生の中にはありません。
では、どのバランスがいいのかという話ですが、治療院の方向性としては「患者さんが自立していける」技術なり治療なりを模索していきたいです。
「どのぐらい治療すれば、この人を治療することができるかわかりますか?」という質問をセミナーの先生に質問したところ、「5回」が平均的な回数でした。
それが意味する所は、10回やって効果が出ていない人は、その先も効果は見込みにくいということにはならないでしょうか。
私もそういう感覚があり、精神疾患ではなく特に疼痛緩和を主訴に訴えられている患者さんに、「5回やって効果が出なかった人を10回来てもらえたら効果を出せる」とは正直、思えません。
私の見立てが正しく、その方の痛みを和らげることが出来れば、あとはその方の考え方であったり、リハビリを自分でやっていけば、痛みを管理出来ると個人的には思っています。
だからこそ、「何カ国かを転々としながら治療をする」というのは可能だと考えています。
新規の患者さんが循環で入れ替わりつつ、昔からの患者さんが調子が悪くなった時に来るのが理想ですが、果たしてどうなるやら。
早くイギリスで本格的に治療をしたいなぁ。。。