英国の、船上の鍼灸師の日記 the diary of acupuncturist on Great Britain, cruise ship

2012年から客船で鍼師として働いていましたが、2015年はイギリスで働くために有機食品の会社で働き、2017年からロンドンで再び治療家として働いています。治療のこと、クルーズのこと、食べ物のこと。色々綴っていこうと思います。

初めて人の役に立てたのかもしれない 1

f:id:acupuncturistontheship:20160725221134j:plain

「今まで人の役に立てたことってある?」

親しい人に聞かれました。

皆さんはありますか?人の役に立ったこと。

道を譲ってあげた。

ハンカチを貸してあげた。

などなど。

「役に立つ」の幅はとてもひろいです。

でも、その方がその質問をした文脈はそういった不特定多数へ向けたものではなく、より身近な方に、深い意味で。

というものでした。

ある意味、親のようなスタンスで、その人に寄り添い、役に立つ。

私が自己中心的な考え・行動をすることを知っているからこそ、その方はそのような質問をしてきたのでしょう。

その言葉は私にとって刺さりました。

色々考えた挙句、今の職業である鍼灸ないし治療という分野以外で人の役に立てたことはないんだろうなぁと答えました。

「人の役に立っている」かどうかがわかる1つの指標は、「誘いの声がかかるかどうか。」だと個人的に思っています。

約束には2者の関係があります。

それは「声をかける」人と「声をかけられる」人です。

私は滅多に後者になれません。大体前者です。

前者の人はいいなぁと思春期によく思っていました。

しかし、年を重ねるにつれて、声をかけられる人はかけられるだけの理由があることに気づきました。

その理由は単純で、「声をかけたい」と思ってもらえるかどうかではないでしょうか。

どういう人に声をかけたいか。

居てて居心地がいい人。

自分のことを受け止めてくれる人。

趣味・思考が合う人。

などなど

色々考えましたが、あえて打算的?(うまい言い方が見つかりませんでした)な言い方をすれば、タイトルにも絡んできますが、ようは「自分にとって役に立つ人かどうか。」ではなのかもしれません。

こんなことを書いてる時点で、私は人の役には立ててないんだなと痛感します。

どうすれば人の役に表面的な意味ではなく立てるのか。

考えてできるようなものではないでしょうが、当人の持つ質によると言ってしまうと何も解決できないことになるので、考えてみようと思います。

続きは次回に。