イギリスの生活に慣れてきたから物足りなくなる
今週のお題「卒業」
卒業にも色々な卒業がありますが、私は今、日本の生活から卒業しかけているような気がします。
イギリスに来て1ヶ月と少し。
家と職場の行き方にも慣れ、地下鉄で行っていたのをバスに変えて、最近は自転車になりました。
ネットでバスでの行き方を調べて初めてバスで行った時に、本当にバスで職場までたどり着けるのか不安に思ったのを今でも思い出します。(自転車の時はバスに沿って行けばいいだけなので、不安はそんなになかったです。)
家にいるのが苦手な私は、外に出て友人を作れたらいいなと思い始め、ヨガやその他の活動に参加し始めました。
大学時代探検部で、山登りにその後ハマっていったので、イギリスでサークルがないのか検索するも、平日が休みの私にはなかなか敷居が高い…
一人で行くしかないなと今は思っていますが、海外の山と日本の山はどう違うのか(手続きや道しるべのあり方等)まだよく分からないので、ためらっています。
イギリスの生活に慣れてきたからこそ、今、生活に飽き始めているのがよくわかります。
今振り返れば、船の生活を始めたのが2012年の暮れだったのですが、2・3ヶ月後に今と同じような心境になったような記憶があります。
船はまず船という生活環境に慣れるのに本当に時間がかかります。ゲストが移動するエリア以外に船員だけのエリアというのももちろんあり、後者のエリアはサインがあまりなく、よく迷っていました。
しかし、船はスパの仲間というある種の運命共同体や、食事を作らなくてもいいという快適な環境があったので、ホームシックを感じていてもそこまで深くなかったように思います。(自分のしたいことが出来る時間が多かったので、あまり物足りなさを感じない。)
イギリスでの生活は、職場に親しくしてくれる先生がいますが、帰ってくると一人です。
「「ただいま」と言ってくれる人が居ない」というのが寂しいなんてフレーズを聞いたことがありましたが、それはこういう意味なんだなと気付きました。
ラーメンをすする音が響き、暗闇がその音を吸い取っていく。
あぁ、この感じのことか。
こんなことを書き始めたらきりがない。
日本で普通にしてたこと(例えば、会いたい人に会い、観たいものを観る)が出来なくなると、人はそれを懐かしみ、欲するようになる。(この日本での感覚とイギリスの今の感覚の差をホームシックと呼ぶんですね。)
それは、カレーをしばらく食べてなかったら、食べたくなるようなものではないのかなと思いました。
懐かしむということは、以前はネットワークとして頻繁に繋がっていた神経を刺激したくなるということではないでしょうか。
新しい環境の世界に飛び込むということは、新しい神経のネットワークを構築しようとすること。
卒業するということは、今まで使っていた神経のネットワークを使わないようにすること。(もちろん、懐かしくなれば、またネットワークを繋げばいい。)
もっと今の環境を楽しむには、今までのネットワークを懐かしまないほうがいいのかもしれないなと思いました。
日本の日常という感覚から卒業して脱皮して、イギリスの日常が豊かになればいいなぁ。。。