シン・ゴジラで思い出す海外で拠点を作りたい理由
先日、シン・ゴジラを観に行きました。
放射能を食べて蘇ったゴジラとそれを退治しようとする日本の政府や自衛隊といったチームジャパンとが繰り広げる物語。
政府の対応がとてもリアルだとか、ゴジラはエヴァンゲリオンの使徒の延長線上にあるなど、色々な話が様々なメディアで飛び交っています。
日本の興行的な映画(ミニシアターのような映画館で上映される映画ではないという意味で)で、こんなに議論が盛り上がり、様々な世代・考え方が異なる層が観た映画ってそんなにないんじゃないのでは、と勝手に思っています。
私が観た感想は、そもそも日本を脱出すれば、ゴジラからの被害に遭わなくてすむのになぁというもの。
私が海外で働きたいと強く思い、結果としてイギリスへ行く準備をしているのは、「日本という沈みつつある船から抜け出しておきたい」というものです。
多くの方が感じておられるであろう、「日本は将来どうなるのか」という不安。
私はそういう不安に苛まれるなら、苛まれないように動けばいいという極端な
考え方をしてしまう人間なので、その不安がモチベーションとなり、海外へ行こうと考えてしまいます。
その考え方は船で働いていた時により強くなりました。
クルーズ船でどの国の人たちが1番多く働いているかといえば、フィリピンの人たちです。
理由は映画が話せる上に、船で働けば給料がいいからです。
同じことをしたとしても、もらえる給料が米ドルというだけで現地の給料よりよくなる。
実際、家族の中の誰かが船で働いて、一家全員を養う(親とか子供とかは関係ない)のはフィリピンでは普通のようで、それはまた養えるぐらい給料が貰えるという意味でもあります。
話を戻すと、日本が貧しくなるかもしれないという漠然とした不安の中、もう1カ国働ける国を作っておくというのは、個人や個人の家族という単位でいかに周りに束縛されずに動くかという観点では重要な気が個人的にはしています。
とはいえ、そうは言っても、そういう状況が起きた時に、他人に理解を求めるというのは難しいようです。
東日本大震災があった時に、スイスで暮らしている日本人の私の知人が放射能に怯えて暮らすならスイスに来ればいいと退職した両親に声をかけたそうですが、言語の問題等々で渋り結局来なかったそうです。
見えない不安より、コミュニケーションができるのかというような見える・想像できる不安のほうが、大きかったのではないでしょうか。
私にとっては、見えるものより見えないもののほうが怖い。
見えるもののほうがより生活に直結し、変えることのほうが困難に思えると思うかもしれません。
言語の問題、仕事や家庭の問題などなど。。。
「あなたは環境に恵まれたから、できる。それだけ」と言われる方もいるかもしれません。
ですが、自分にとっての「前提」、「当たり前」は自分が作り上げたものであり、ある種の幻想です。
例えば、仕事の観点で言えば、日本人の常識はフィリピン人の常識ではない。だから、海外で働いてお金を稼ぐことに本人も周りも抵抗がないわけですから。
見えるものを変えることは難しいから、我慢してここにいる。
でも、それを変えることは自分次第でできるし、見えないものも、変えれないけれど逃げられる・リスクを最小限にすることができるかもしれない。
シン・ゴジラは私のその思いを改めて思い起こさせてくれました。