今と昔の感性にどんな違いがあるのだろうら。1万年の旅路を読んで
一万年の旅路という本をご存知ですか?
イロコイ族という実際に存在するネイティヴ・アメリカンが一万年前にアジアからベーリング陸橋を渡りアメリカ大陸に渡ってきて、いかに五大湖のほとりに定住するかまでを綴った口承史です。
みんなのレビュー:一万年の旅路 ネイティヴ・アメリカンの口承史/ポーラ・アンダーウッド - 紙の本:honto本の通販ストア
これはアジア大陸で生活していたイロコイ族が氷河期の天変地異に見舞われた後に、アジア大陸にいてはまたこのような天変地異に見舞われるということで、アメリカ大陸に渡ってくるところから始まります。
その物語はなんだろう、単なるフィクションにしては言葉が生きていて、本当にこういうことがあったんだなと本当に思わせる不思議な本です。
この本は口承史という「口伝えの物語」であるということを字面では知っていますが、実際にどんなものかはもちろんよくわかりません。
アイヌなんかも似たような形で自分たちの歴史を伝承していたようです。
この本で面白いと感じたのは、一万年前も現在もそんなに変わらないなということです。ただ、何でもインターネットで調べると情報を入手出来る現在と比べて、情報を知る手段が、その一族のコミュニティの中だけでのみとなり、また違う一族で当たり前となっていることがイロコイ族の中では全く新鮮なことです。
例えば、子供を産むのは女性だけであるということとか、寒さをしのぐために毛皮を身につけた人がイロコイ族の他の人たちから怪しまれて一族になじむまでにすごく時間を要したことなど。
今では当たり前になっていることって、よく考えれば当たり前じゃない。
あと、狩りで生活を立てている一族がある一方、イロコイ族は様々な穀物の種を地面に植えて生活していましたが、イロコイ族のような生活は他の一族からは理解し難いものであったようです。
すでに定住している一族の縄張りにイロコイ族が入り込んで、共生しようとしている一節も面白いです。
イロコイ族は一族で話し合いを通して様々な知恵を身につけてきましたが、他の一族は男尊女卑として女子供を低くあつかっていたり(イロコイ族は男女同権です)、違う一族とは交わりを拒否したりして、中々イロコイ族と共生したがりません。
そこで、イロコイ族はまず言葉を理解しようとし、ある時は女性や子供を定住している一族に送り込んでその一族が持つ知恵をイロコイ族にもたらしたり。
その衝突は数年前にNHKでやっていた「大アマゾン」に近いような緊張感があり、イロコイ族のような柔軟な姿勢で他の一族と付き合おうとするのは、今の時代にも中々出来ないよなと思いました。
鍼灸の学生だった時に、食べ物や生活スタイルの変化によって現代の人たちは昔に比べて、身体に鈍感になっているというような話を学生同士でしてました。
でも僕はそうは考えません。
鈍感の定義によるのでしょうが、例えば僕たちが今携帯電話でもって目の前に存在していない人とコミュニケーションがとれることを、昔の人はどう思うでしょうか?
それは、昔の人が自然にもっと近くて、今の私たちには感じ取れない何かを感じられることとどんな違いがあるのだろうと思います。
きっとそんなに違いがないというか、人として本来持っている性質が時代時代によって適応しているだけなんじゃないのかな、と。
昔の当たり前と今の当たり前と思っていることは本質として違いがあるようでないんじゃない。
でもだからこそ、1万年前の話が今でも面白いんだろうな笑
アジアとヨーロッパを結ぶボスボラス海峡@イスタンブール、トルコ
1万年前にもこの海峡はあったのだろうか