クルーズの経験を振り返って思う、どこが何が一番綺麗だったんだろうということ。
今週のお題「芸術の秋」
私がクルーズで働いていたと患者さんに伝えた時に、「一番よかった国や街はどこですか?」と聞かれることがあります。
卑怯だろうと思われるかもしれませんが、それはずばり「南極」です。
クルーズ船での鍼灸師として働いていた時に、幸運なことに私は南米を2度周遊する機会に恵まれ、そのうち2度目はフォークランド諸島と南極の南米側の端を遊覧するという機会に恵まれました。
フォークランド諸島は夏でもとても風がきつい地域らしく、1度目の南米周遊でも立ち寄ろうとした時に風が強くて断念したという苦い経験があります。
ちなみに、その時に横にいたクルーは、「僕はフォークランド諸島には5度目だが、未だに立ち寄れないんだ」と言ってたので、2度目で立ち寄れたのは運がいい方なのかもしれません。
フォークランド諸島でも南極でも、びっくるするのはペンギンが普通にいることです。
世界の南端に行ったことがない人にとって、ペンギンは水族館にいるものであり、陸地にいるものではありません。
私にとってもそうでした。
ところが、当たり前の話ですが、ペンギンはそもそも野生の動物であり、水族館に生息している動物ではありません。
そのペンギンが、何の隔たりもなく目の前に在る。
くじらが船の横で優雅に潮を吹く。
アザラシが氷の大地の上でふてぶてしく座っている。などなど
それは彼らにとって当たり前でも、私たちにとって当たり前じゃない。むしろ当たり前じゃないのに、水族館という場所で当たり前にみれることが、昔じゃ考えられない、当たり前じゃないことです。(水族館のすごさに今回改めて気付きました)
患者さんを治療していて、不意に気付かされるのは、その人が命を持って存在していることの存在感であり、すごさです。
それは美術品としてどんな綺麗な絵画や彫刻などを目の前にして感動したとしても、やはりそれは生きておらず、その存在感には敵いません。(気を宿していることはあっても)
オノ・ヨーコさんが発表した、「暮れていく太陽を、窓ガラスか何かに映した」作品(タイトルを検索してみたものの見つからず…)のように、生きているモノが宿す、自然に生きている中で醸し出される存在感に勝るものはありません。
うつ伏せになっている患者さんの、浅く早かった呼吸が少しずつ鎮まっていき、深くゆっくりとなっていくあの瞬間は、いつでも私に命を宿していることの尊さを思わせてくれます。
囲われた場所でしか見たことのなかった動物が生き生きとその動物本来の姿を見せてくれた南極。
やっぱりそこがクルーズの経験の中で一番綺麗であり感動した場所です。