英国の、船上の鍼灸師の日記 the diary of acupuncturist on Great Britain, cruise ship

2012年から客船で鍼師として働いていましたが、2015年はイギリスで働くために有機食品の会社で働き、2017年からロンドンで再び治療家として働いています。治療のこと、クルーズのこと、食べ物のこと。色々綴っていこうと思います。

後妻業の女の悲喜こもごもさ

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私が購読していメルマガの執筆者の1人が映画評をされていて、この「後妻業の女」を「伊丹十三監督へのオマージュ」と書いていました。

 

私は伊丹監督の作品を観たことがないのですが(早くビデオ屋さんで借りないと!)、NHKの番組で取り上げられているのを観て、いつか観たいなと思っていた時に、この映画評があったのです。

伊丹さんの作品より先にオマージュした作品を観るのはどうかと思いますが汗、

すごくバランスがいいなというのが私の印象でした。

 

映画やミュージカル、舞台などが持つ素晴らしいことの1つは、「普通じゃあり得ない設定を設けることができる」だと思っています。

例えば、以前に書いたシン・ゴジラゴジラという生命体が地球に現れるという物語ですが、そういう設定は現実には今のところない(将来は誰もわかりませんが)。

 

そういう有事の中で描かれるリアリティや感情の有り様に人は惹きつけられる。それは超大作のアクションやSFなどでもそうかなと思っています。

 

一方、この「後妻業の女」は、裕福な独り身の高齢者の婚活パーティーの男性を狙った後妻業(妻となり財産を狙う)の話です。

まああり得なさそうで、あり得る話です。

騙す方、騙される方のすったもんだの一悶着を描いた話で、後妻業として騙す方がもちろん悪いのですが、騙される人の寂しさ、その騙された人の親族がその財産がなぜ欲しいのか。。。などなど、一方的に片方が完全に悪で、もう片方が善ではない。

その、人間の、どうしようもない欲の深さや汚い部分。と、それを見せないようにするために綺麗に取り繕うとする潔ぎのなさ。

 

いわゆりアクション映画の場合、主人公が善で敵が悪という勧善懲悪的なものが、私の観てきた映画の中では多く、主人公に悪や汚い部分があることはそうありません。

 

しかし、この映画は加害者という悪の中にある人間としての業としての優しさ(主人公の大竹しのぶは母であり息子が嫌いながらも面倒をみている)や、被害者という善とその被害者の生々しい欲。その両面を笑いという布で包む。

また、人間は汚い部分と綺麗な部分両方あり、そんなところをみると人と付き合うのが嫌になるし面倒だけど、楽しい部分もある。

 

そんな絶妙なバランスを持った映画でした。