イギリスと船上の患者さんの違い その1
イギリスに来てから10日間ほど経ちますが、色々な手続きをしたりとばたばたしています。
私が働いているクリニック(イギリスでそう呼んでいいのかわかりませんが)は日本人が多く、日本人しか診ない日もあり、また、スタッフも日本人のかたばかり(一人こちらで生まれたので、日本語を少ししか話せない人もいますが)なので、本当に日本にいるみたいです。
船で働いている時は、3千人や千人いる船の中で、日本人は私一人のことが大半だったので英語しか使えなかったのとは大違いです。
そういう意味では、イギリスでまず働いて船、ではなく、船で働いてイギリスというのは今になって思えばよかったかなと思います。
なぜなら、船のお蔭である程度英語を理解する耳が出来ているため、イギリスでも苦労しないからです。
逆にワーホリなんかでイギリスで働いて英語が出来ると思い込んで船に乗り込んだら全然出来ひんやん!と余計ショックが大きいような気がします。
こちらに来てまだ2週間も経っていませんが、その間に感じるというか、久しぶりに臨床の場を主戦場とすることになって、考えることがあります。
それは、「どのようにして患者さんと心の距離を縮めるか」ということです。
続きは次回に。
「君の名は」はロンドンでも絶賛公開中です。
渡英して最初に食べたものは?
先日、無事にイギリス上陸を果たしました。
神戸から来た身に取って、一番はじめに感じたのは寒い…ということ。
経由地のクアラルンプールは29度とかだったので、コートも脱ぎ、シャツも脱ぎなど半袖になっていたので、大違いです。(クアラルンプールから来た英国人はとても薄着の人もいましたが笑)
5時半に飛行機が着いてしまったため、会社の人と会うのにたっぷり時間がありました。
そこで、腹は減っていませんが時間つぶしのためにカフェに行くことに。
イギリス人は紅茶を飲むんだろうと思ったら、みなさんとてもコーヒーを飲みます笑
ほんと、びっくりするぐらい、スタバがあったり、他のコーヒーチェーン店があったりで、紅茶専門店ってあるのか?というぐらいです。
私たち日本人ももしかしたら、緑茶ばかり飲むと思われているのかもしれないなと言うのと、同じかもしれません。
入った店で、「English Break fast £5.5」とあったので、これはもう食べるしかないと思い注文しました。
クルーズ船でも食べたことがあるので、どういうものかは知っていたのですが、まあイギリスに来たし食べようと思って注文しました笑
まあ知ってはいましたが、写真のようにすごい量です。
目玉焼きやポテトも量があるので、胃にもこたえます。
どうして、こんなに朝から食べられるのだろう。逆に言えば、あまり夜に食べないのかもしれません。
イギリス人の友人に聞けば、「だから太ってるんだ。」と笑っていました。
これからも、私が持つイギリス人へのイメージは色々と変わるのでしょう。
また報告します。
渡英の準備がさあ大変。
前回、ビザが降りるのを待っていたと書きましたが、ようやく降りました。
先週の金曜日におりて、今週の木曜日に出発する。なんと、1週間以内に海外旅行のチケットを購入しました。
「そんなもん、取れるのか。」と思っていましたが、案外取れるもんですね。
今回はマレーシア航空で行くことになりました。
関西国際空港→クアラルンプール(マレーシアの首都)→ヒースロー空港(イギリス)
あきらかに、クアラルンプールが暑い…
空港は一定の温度が保たれているから大丈夫とはいえ、真冬の間に真夏を入れるとどうなるんだろうか笑
以前、11月末から船の契約が始まることがあり、11月上旬に日本を発ち、スイスの友人宅で2週間ほど居て人を診て、最終的にフロリダに行きました。
西海岸のカリフォルニアには船で働くためのトレーニングとして12月上旬に行ったことがあり、案外寒かったので、フロリダもそんなもんだろうと思っていたら大間違い。
常夏でした。。。来ていたダウンジャケットやズボンの下に履いていたヒートテックを脱ぎすて、ホテルに向かったのを思い出します。
そんなことはさておき、今回は船で7ヶ月過ごすための荷造りではなく、あちらで5年過ごすための荷造り。
何を持っていくのか案外悩みます。欲を言い出していけばきりがない。
航空券を取るまでは、20キロに収まるように色々と考えて荷造りしていたのですが、どうやら30キロまでいけるそう。
着物?お守り?治療の本?スーツ?冬服?お土産?
さあ何を持って行こうか。。。。
悩みます。
香川県にある金毘羅さんでの一枚。もちろん、お守りは買いました。
どういう価値観で生きるか。 今年の抱負に代えて。 その2
今週のお題「2017年にやりたいこと」
よく考えたら、治療家になる前までは、美術の学校に行った時には「美術家になりたい。」とか、それより前には「ミュージシャンになりたい。」とか思ったことはありましたが、そこまで強く思ったことはなく漠然としていました。
ところが色々な縁があり、治療家として道を歩み続けてから、夢が見えました。それは「私のところに治療を受けにきてくれた方、全員の症状をとること。」
叶わないことは知っています。心底では症状をとりたくない人がいる人もいます。でも、縁あって私が治療することになった方が、みんな症状が改善する方向に導けないかなぁと考えています。
ずっと追い続けることが私にとって、私を治療家としてより高みに連れて行ってくれる原動力なのです。
「なんて模範回答なんだ」と恥ずかしくなってきますが、夢は模範解答ぐらいでいいんじゃないかと自分を納得させます笑
「お金を追い求めること」と「技術を追い求めること」とのバランスを自分はどのようにとっていこうか。それをイギリスで働くに当たり抱負のようなものとして、もっと考えないといけないと考えています。
勿論、技術を持ち合わせる人がお金を追い求めるのは当然だと思いますが、いつの間にか、その技術が錬金術に変わっている人を何人も見てきました。
技術を持っている方が、お金をもらう手段としてセミナー講師として受講者に教えて受講料をいただくのはある種当然です。でも、そこにも技術が錬金術に変わっていく様をみることがあり、複雑な気持ちになります。
そういう先生方と接する中で、自分なりのお金と技術のバランスは今まで出会ってきた先生の中にはありません。
では、どのバランスがいいのかという話ですが、治療院の方向性としては「患者さんが自立していける」技術なり治療なりを模索していきたいです。
「どのぐらい治療すれば、この人を治療することができるかわかりますか?」という質問をセミナーの先生に質問したところ、「5回」が平均的な回数でした。
それが意味する所は、10回やって効果が出ていない人は、その先も効果は見込みにくいということにはならないでしょうか。
私もそういう感覚があり、精神疾患ではなく特に疼痛緩和を主訴に訴えられている患者さんに、「5回やって効果が出なかった人を10回来てもらえたら効果を出せる」とは正直、思えません。
私の見立てが正しく、その方の痛みを和らげることが出来れば、あとはその方の考え方であったり、リハビリを自分でやっていけば、痛みを管理出来ると個人的には思っています。
だからこそ、「何カ国かを転々としながら治療をする」というのは可能だと考えています。
新規の患者さんが循環で入れ替わりつつ、昔からの患者さんが調子が悪くなった時に来るのが理想ですが、果たしてどうなるやら。
早くイギリスで本格的に治療をしたいなぁ。。。
どういう価値観で生きるか。 今年の抱負に代えて。
今週のお題「2017年にやりたいこと」
あけましておめでとうございます。
昨年末にイギリスのビザセンターへビザの申請に行き、通常2−3週間かかると言われるビザを待っています。
スポンサーがいるので、ほぼ確実とは思いますが、まだ決定的ではなく、もやもやする日々を送っています。
12月から今までの間に、壮行会や送別会、新年会なども含め様々な方と会いました。
その出会いを振り返って思うのが、「どういう価値観で生きるか。」ということ。
治療家と言われる人たちには、本当に様々な方がいます。
技術はあるのに食べていくのに苦労している人や、技術はないけど裕福な生活をしている人、技術もあって裕福な生活をしているが性格に難のある人、技術向上を捨ていわゆるサラリーマンとして平穏な生活を送る人などなど。
正直、技術があって裕福な生活をしていて、幸せそうな人に、私はまだ出会えていません。
勿論、それは私の考える「幸せ」であり、その先生そのものは幸せと感じている可能背は充分あります。
では、私の考える「幸せ」って何なのか。
配達員としてこの一年お客さんのところに定期的に商品を配達し、私の仕事が終わる最後の方で、私が鍼灸師であり、イギリスに渡ることを伝えていきました。
そしたら、複数のお客さんが「夢が叶ってよかったね。」と言ってくれます。
実はその時、私は自分で思っていることを伝えます。(きっとお客さんが私がそう言い直していることに気付いてないと思いますが。)
「私にとってイギリスに行くことは、夢じゃなくて目標なんです。」
夢と目標に違いはあるのかと思われるかもしれませんが。私にとって夢はずっと追い続けるもので、目標は叶うもの・叶えるものです。だから、イギリスに行くことは叶うことなので目標なわけです。ちなみに、私の次の目標は「イギリスと日本、縁があればもう一カ国を一年で転々としながら治療を行うこと。」です。(これもいつか叶うと思っています。)
では、私にとって夢とは何か。
続きは次回に。
治療感想メモ 2日目
ある治療院で治療を受けた時の私のメモ。
当日と翌日の計2回をわけて載せます。今回の掲載は2回目。
ちなみに、主訴は以下の通りです。
1.左脛の知覚鈍麻
2.左肩甲骨内下側部の知覚鈍麻
3.集中力が散漫
4.記憶力が悪い
前日と比べ、1と2はましになったもののまだある。3、4は判定が難しい。
――――――――――
・同側性歩行障害
片方の肩を屈曲させ、腕をあげたほうの首をその側に回旋させる。
それで、大腰筋と同じ筋力テスト。(足を持ち上げ、股関節をやや外旋させた状態で、足側に立った術者の内側の手でPSISを、外側の手で足首を持つ。そして、足を挙げられるか。)
腕をあげた側と同じ足の筋力が逆より強い=同側性歩行障害
アクチベーターで上部胸痛の悪いところを刺激する。
同側性歩行障害は、本来、歩行時は右手と左足をリンクさせているはずが、右手が出たときに反射的に右足を出そうとしてしまう障害。しかし左足を出すため、脳が混乱し疲れてしまう。
・右乳首下の肋骨の疼痛と左肩甲骨内側のしびれの関係
肋骨は左右の肋骨で円を描いていおり、肩甲骨内側のしびれは右の疼痛部からくることがある。
痛む場所があり、ピンポイントのツボを見つけたとしても、それがどの方向に伸びているかはわからない。つまり三次元で考えれば、形は様々。
今回、その疼痛部と内側部のしびれがツボの形。
実際、呼吸時にその疼痛部は膨らんでおらず機能不全を起こしていた。
先生にタッチでツボの入口と出口を繋げてもらうと、身体はそれを認識。「南極と北極みたいなもの」とのこと。
横の軸を整えてもらう(今回の施術)ことで、身体の縦の軸がまっすぐになった印象をもった。
ツボをつないでいると、ツボの入口出口が膨らんでくる。そこで終了。
漏斗胸は悪いことではない。私の場合、外傷として受けた衝撃が、背中の後ろで止まり、抜ききれていないのが問題とのこと。その衝動を入口出口をみつけて抜く。やり方はさっきと同じ感じ。
それは乳首下の疼痛と関連あり。
・脳が疲れる螵感情が不安定になる。(決断できなくなるのもその一部では?)
→先生は左右の海馬のバランスを調整されていた。耳の上あたりを触れ、海馬の調整。
・感情の問題は左側に出ることが多い。(→右脳の問題?)
精神的に疲れたと思ったら、兪府とへそを一方ずつの手で触れて回して同調させるとよい。
私の場合、緊張すると無意識に左肩が前に出ている。力を抜いたと思っていても、そこは反射的に反応している。私が無意識に緊張していることを肝に命じておく。
・頭を両手で支え、頸椎全体をまっすぐ・伸展・屈曲させた状態で頸椎がしなやかに動くかを確認。
私の場合、屈曲が駄目だったので、左顎と鎖骨を繋いで改善させた。
・前鋸筋の筋力テスト
仰臥位。肩を前鋸筋の筋走行に合わせる。(60度ぐらい屈曲でやや外転。手首は内旋。)
その状態で上にあげさせ力が入るかどうか。
・治療後の感想
右乳首下の疼痛と左肩甲骨内下側部の知覚鈍麻とが、ツボとして入口出口がつながった瞬間は感動した。
また、身体がツボの三次元の形状をそこだと認識できることに感動した。
身体の縦の軸がまっすぐになったのは、身体が先生の施術を受け入れ自動的に修復したという感じだった。
兪府に触れて、どこに出口があるのか帰りの電車で探していると、身体がリラックスして眠気がくることを知る。
自分の無意識の緊張として身体の反応が出ているところに気づけたのかもしれない。
自分の身体にとって大切な場所を大切にしたいと思った。
経絡の存在を信じるか2
「胃の調子を改善させて欲しい。」
勿論、その病態は多様です。胃潰瘍もあれば、逆流性食堂炎、胃下垂などなど。
それらの問題に対し、脈診や問診、触診などを用いて東洋医学的な診断を下し、使う経穴やその経穴に用いる手技(鍼を刺すという行為にも様々なバリエーションがあるためです)を決定します。
オーソドックスなものとして、足の脛にある胃経に足三里という経穴があります。(松尾芭蕉が行脚している時にお灸を据えていたと言う有名な経穴です)
足三里含め胃経は頭から足の指先まで流れているとされる経穴であり、この流れを触診して、反応のあるところに鍼をすると皆さんは思われるかもしれません。
しかし、背中には胃兪という膀胱経に属する経穴があり、膀胱経は胃を含め大腸、小腸など全ての臓器の名が冠された経穴があります。
「臓器自体に症状があるものは膀胱経の経穴に、臓器から派生して経絡に問題があるなら各々の経絡の経穴に施術しなさい」というのが、鍼灸の学校で教えられるような一般的な説明です。
しかし、その考えは本当に正しいのかと、臨床を重ねるうちに疑問に思うようになりました。(そもそも経絡に派生するとはどういう意味かもわからなくなってきました。)
船で働く前は、ある先生が1人で経営されている鍼灸院に弟子のような形で勤めていたので、その先生の考えにあまり疑問を持たず施術していました。
しかし、船において自分で考え、責任を持ち治療をすることになると、先生の考えをただ信じて治療し、自分としては効果を出せた感触を持っても、現実に結果が伴わないことが起きました。
こういう壁は、鍼灸業界含め医療一般で臨床に携わる先生は誰しもがぶつかるのではないでしょうか。
こういう問題がなく答えが見つかっているなら、すでにそのやり方が全世界で普及しているはずですから。
私の周りはそれに対して様々な反応を示しています。
そもそもそういった東洋医学的見方に興味がない者、東洋医学の書物を読み込み答えを探していく者、なんとなくのまま施術する者などなど。
私の場合は新しい尺度を入れることで解決しようと思いました。
例えば、姿勢の分析です。
どうしたら足三里と胃兪を使い分けられるのか考えていたのですが、患者さんの姿勢を見ていて、胃をかがめるような姿勢をする人もいれば、していない人がいることに気づきました。
その違いに気づき、胃をかがめている人には胃兪をそうでない人には足三里をするのが効果的ではないかと思ったのです。
私はそのように、姿勢を確認して施術する経穴を判断していくようになりました。
この文章を書いて初めて気づきましたが、その私が気づいたことが、先ほど書いた「臓器自体に症状があるものは膀胱経の経穴に、臓器から派生して経絡に問題があるなら各々の経絡の経穴に施術しなさい。」という解釈の1つかもしれません。
しかし、私の考えも毎回正しいわけではなく、効果が出ない時もありました。
それは私の診立てが間違っているのか、経穴はあっていても施術が良くなかったのか、要因が多すぎてわかりません。
「経絡と呼べるかどうかわからないけど、内臓と手足につながりはあるが、12個に大別できるほど単純なものじゃない」
経絡を信じるかという問いに、私はこのような玉虫色の回答をしました。
自分自身がどんな意見を持っているのかしばらく考えていたのですが、やはりこの回答になりました。
何かを強く信じるかことはとても大切ですが、盲目になってしまうこともあります。
曖昧は柔軟ですが迷走しているともとれます。
どうすれば、自分はしなやかに強く太くなれるのか。
精進していくのみです。