精神的なものが精神を隠してしまう
この言葉をご存知でしょうか。
MixBというサイトでロンドンで本を引き取った時に、河合隼雄さんの対談集「こころの声を聴く」を偶然いただいて、その中で白州正子さんと河合隼雄さんの対談の中で出てきた言葉です。
白州さんの「いまなぜ青山二郎なのか」という本の中で青山さんが元々言った言葉らしいけど、対談集を読んでいて、心の裏側をぐっと掴まされたような気持ちになった。
この言葉は本当に色んな意味を持っていて、人によってもきっと捉え方が違うと思います。
僕はこの言葉を自分なりにどう解釈して日記に残すかうまく言えないので、代わりに最近体験したことを例として書いてみようと思います。
以前、鶏をさばいた日記を書きましたが、その友達の家に先週行ってきました。
動物が肉になる、その行為はまさしく「精神的なものと精神との差」の1つだと思うけど、その友人の家で今回彼の育てている畑を手伝ってきた時の一こま。
さつまいものつる返しって知ってますか?
サツマイモのツルが伸びすぎて歩く場所がなくなってきました。ツルを切るの... - Yahoo!知恵袋
僕は全く知らなかったのですが、さつまいもは地中に塊根としてさつまいもを育てますが、地上には葉っぱが育ち、つるが地面を這うように伸びます。
そのつるが地面に付くと、そこからまた水分を吸い上げようと根を生やすのです(そこにさつまいもはできません)。根が生えてしまうと、塊根としてのさつまいもに栄養が行き渡らないため、芋が小さくなってしまう。
それを防ぐために、つる返しと言って、つるから根が生えるのを防ぐために、地面からつるをあげていく作業をします。
畑に入って作業をするなんて、人生で初めてでした。家庭菜園を実家ではやっているため、それを手伝うことはありましたが、さつまいもなんて育てたことはありません。
つる返しをさせてもらってほんとに実感したのが、さつまいもは生きるのに一生懸命だということです。
鶏をと殺する時に、僕らが捉まえることから逃げるのと同じように、さつまいものつるは自分たちが育つように地面に触れれば根を生やす。
つるを地面からひっくり返したらわかりますが、彼らは生き延びるために本当に一生懸命になっていることを実感します。
そして、その一方で、食べ物としてのさつまいもをよりよく収穫するために、人はまたそれに対抗しようとする。
さつまいもはただ本能のままに地面一杯に自分たちのつるを葉を拡げていきますが、その本能をうまく調整してやって、人がさつまいもを大きくし、収穫する。
それは植物と人間の会話のように感じられました。
その一生懸命に生きるその様はまさしく「精神」だと思うのです。
「栄養たっぷりの野菜」とか、オーガニックの野菜は人工的に作られた野菜や農薬まみれの野菜なんかより「生命力がある」とかなんとか、色々な飾り言葉を目にします。
でも、そんな「精神的なもの」を言う人はその「精神」をどれだけわかっているのだろうか。
地面に根を一生懸命早そうとするいもとその生命そのものの「精神」に勝てるはずがない。
本当に美味しい肉を食べたことがある人と、自分で殺めた肉を美味しいと思うこと。そこには大きな、本当に大きな差がるのではないでしょか。
わかりやすい言葉に僕らは往々にしてだまされてしまいますが、その「精神的」ではない、その「精神」に少し近づけたとき、いかに精神的なものが見せかけで言葉に重みのないものかが、すぐにしてわかってしまうように思います。
もちろん、農家の方が「精神的なもの」を消費者に伝えることがあると思いますが、そこにどれだけ「精神」が反映されているか、また、その言葉を受け取る側にも「精神的なもの」ではなく「精神」を拾い上げる度量がなければ伝わらないと思います。
偉そうなことをつらつら書きましたが、精神を少しでもわかって、優しい人間になれたらなと日々思います。
山には、登らないとわからないことがある@Ben Navis, Scotland