鶏を殺める1 生が死に、物体に変わる
前回は自給自足をする友達のもとで鹿を捌く経験をさせてもらったことを書きました。
今回は鶏です。
鹿よりも鶏を入手することは田舎の方では簡単というか、家畜として飼っている方が多く、鹿を持ってきてくれた方に鶏を譲ってもらえないか相談したところ、2つ返事でいただくことになりました。
今回は彼の家の外で飼っている鶏を2羽いただきました。
基本動物とかを触るのが苦手な私です。動物を殺めてみたいというのが主旨だったので、「鶏をまずは捉まえて」と言われました。
鶏を捉まえるのって難しい。周りに言われたのは、「こっちがびびってたら、向こうもびびって逃げる」ということ。間合いの問題です。
びびることなんて昔はありませんでした。
小学生の時はカマキリをつかまえ、コオロギやバッタを捕獲し、カマキリに食べさせたりしていました。今思い返すとどうしてあんな残酷なことをしたのだろうと思いますし、コオロギのぷにぷにした感触とカマキリが食べて肉がはみ出てくるのは記憶に残っています。
それがトラウマになっているからなのかはわかりませんが、僕は思春期を迎えてから動物が苦手で見る分にはいいのですが、触るとあの生々しい感じが、触った先にいわゆる無機物の温度とは違う、生の「暖かさ」が怖くなってしまいます。
それが前回のブログで書いた「どろっ」とした感覚に近いとは自分でもわかっているのですが、触りたくない近寄りたくないという気持ちと同じぐらい、触れてみたいという感覚があります。
磁石のN極とS極のように。
話を元に戻します。10羽ぐらいその囲いにはいましたが、いざ捉まえようと思うと中々出来ません。「足を捉まえるんだ」と言われても、逃げようとする相手の足を捉まえるって、相手が捉えられないために羽をばたつかせる中で足を狙うのは覚悟がいります。そうです、結局僕は覚悟が足りないのです。
覚悟が足りないというのが相手に怖さとして伝わり、余計に逃げられてしまうのです。
それでまあ、冷静に覚悟を(やや)決めて、捉まえたら端に追いやられて逃げ場をなくした2羽の鶏の足をようたく捉まえることが出来ました。
それまでギャーギャー僕も鶏も騒いでいたのですが、足を捉まえたら大人しくしてくれました。足を縛った後、左右の羽を持ち上げて羽の隙間に紐を通します。
足と羽を縛る、4足動物でいう手足を縛って米袋の中に入れて捕獲完了です。
ありがとう@今回お世話になった鶏
時間がある時に捌くということで、捕獲して2、3日後にまず1匹目を捌くことになりました。その間に実は卵を産み、生まれて初めてできたての卵を食べました。
鶏を殺めるにあたってまず何をするのかご存知ですか?
それはお湯をわかすことです。薪をくべてお湯をわかしながら、友人から鶏の殺め方を手ほどきしてもらいます。なぜお湯を沸かすのかは次回に書きます。
まず鶏を捉まえ、足を右脇に挟み、羽を前腕と大腿部に挟む。そうすることで両手足を抱きかかえることになります。
挟む間に左手で鶏の頭と首の付け根を持ち、頸動脈をはっきりさせるために鶏の首を伸ばします。人間で言うと、頭を空の方向に向け、さらに顎を突き出すような感じでしょうか。
右の脇と前腕で手足を固定するため、実は右手は空いています。その右手で包丁を持ち(固定した段階でもう持っている)、左手ではっきりさせた頸動脈に刃を入れて鶏の命を絶つわけです。
友達はいとも簡単に操作して、刃元を鶏の頸動脈まで近づけていましたが、びびりまくりの私がいざやろうとすると、右腕と大腿部の挟みが緩いため、羽をばたつかせてまあ暴れる。ここでも友人が一言。「こっちが怖がっているから相手も怖がるんだ。」と。
ばたつかせる鶏を相手にようやく固定できるコツが掴めたため、きっちりと挟めるようになりました。
友人はまた一言。
「鶏の首を伸ばしてこっちが殺めようとすると、鶏は覚悟を決めたように大人しくして、目をつむる。これはきっと鶏が長年人間として一緒に住んで家畜としていきる中でこうなる運命をDNAとして知ってるからだと思う」と。
彼の言うように、最後、刃を入れる前、観念したように目をつむります。
そして覚悟を決め、刃を首にいれました。
鶏は暴れます。とても暴れます。刃のあて方が悪いと中途半端に動脈が切れるため、痛がるからか羽と首を一生懸命動かします。血が首から垂れてきても渾身の力を込めて暴れます。
私は怖くなって刃を入れるのを止めてしまいましたが、すっと楽にさせるのが殺める側のせめてもの責任だと言われ、我に返り、再び刃を入れました。
ノコギリのように包丁を押したり引いたりしてしまったからか、最後鶏の首が取れ、地面に落ちてしまいました。
それでもまだ、羽は少しばたついていたけど、そのうちそれも止まります。
1つの生命が終わった瞬間でした。
人によっては動物を殺める前に、包丁を研ぐ人もいるそうです。命をいただく側としてせめてできることが、楽に早く逝ってもらうことだからそうです。
その気持ちがよくわかりました。
これ以上書くのは、思い出してくるとちょっとしんどいので、続きは次回に。
*この記事を書いていたら、ランダムでi Tunesの中からマタイ受難曲が流れていました。偶然なのか必然なのか。
この経験は、カマキリの思い出も含めて、一生忘れちゃいけないなと改めて思います。