喜怒哀楽と身体表現
喜怒哀楽などの感情表現と身体表現とについて考えていました。
感情表現と身体表現とは面白い関係があります。
特有の感情表現には特有の身体表現があるなぁということです。
喜怒哀楽によって表現のされ方は違います。
例えば、哀しくて怒号をあびせたりしませんし、怒っている時に喜ぶように飛び跳ねたりしません。
当たり前じゃない?って思うかもしれませんが、哀しい時に怒号を浴びせないって誰が決めたのか。
なぜ浴びせないのかと改めて考えると、とても面白いなと思います。
そこを考える前にまず、感情表現自体も改めて考え直してみます。
感情は自分の体験に基づいて作られます。
例えば、「自然」に対してどういう感情を抱きますか?
私は大学時代探検部だったり、会社員時代にある登山会である程度本格的な登山やクライミングをやっていた経験から、自然を崇拝すべきものと捉えています。感情に翻訳するなら、「美しい」でしょうか。(「きれい」だと収まりがよすぎます。)
その一方で、アウトドアでバーベキューぐらいしかしたことない方なら自然は身近で楽しいものと思う人もいるかもしれません。
これは私の個人的な考えですが、自然は厳しいところに行けば行くほど、美しいものを見せてくれ、また裏の側面として怖さも見せてくれます。
ある方に先ほど述べた私の自然に対する印象を述べたところ、そんなものとんでもない。と言われました。
彼にとって自然とは「恐怖」そのものだそうです。
と言うのも、その方は以前自衛隊で飛行機のパイロットをしておられ、詳しい経緯は忘れましたが、山の中のある場所から怪我をした状態で全く動けなかったことが3日あったそうです。
その記憶が「自然」から消えないため、恐怖そのものだと言うのです。
私はクライミングの最中に岩を踏み外し、骨が皮膚から見えるというような怪我をしたこともあります。
また探検部時代に洞窟(観光洞ではないので、つなぎにヘルメット、ヘッドランプで真っ暗闇の中を進んでいきます)で詰まったことがあり、このまま死ぬんじゃないか。。。と本当にパニックになったこともありましたが、瞬間瞬間は怖くても、トータルで私は自然に「恐怖」という観念はありません。
その方が抱いた恐怖とはどんなものだったのでしょうか。計り知れません。
このように各人の経験によって、あるものへの感情は変わってきます。
話を戻します。
特有の身体表現には特有の感情表現があると1番初めに書きました。
これを詳細に分類してみました。
1)特定の感情につながる身体表現
2)特定の感情につながらない身体表現
3)状況で変わる(未分類の)身体表現
今まで書いたもので、1)、2)はわかると思います。
例えば、貧乏ゆすりは1)で怒とはなりえても、2)で喜とはなり得ない。
では3)はどうなんでしょうか?すごくわかりやすい有名な例があります。
続きは次回に。
*手探りで書き進めているので、わかりにくいところも多々あると思いますが、よければお付き合いください。