ロンドンの、船上の鍼灸師の日記

2012年から客船で鍼師として働いていましたが、2017年からロンドンで治療家として働いています。治療のこと、クルーズのこと。色々綴っていこうと思います。ウェブサイトはこちら。https://www.junjapaneseacupunctureandshiatsuclinic.com/

仙水と飛影はなぜ黒の章に興味を持ったか。仙水編1

お題「#おうち時間

お題「好きなシリーズもの」

 

仙水編が書かれたのは1993年で僕は10歳でした。初めてこの漫画を読んだのは何歳か覚えていないのですが、10代の中頃から後半だったように思います。

初めて読んだ時は仙水編についてただ単純に面白い漫画だなぁと読み進めてい

ました。

でも、何度か読み込んでいくうちに幽遊白書って少年誌だから10歳に満たない少年だって読んでるんだよなって考え始めました。

僕なりに編集して仙水編のストーリーを書きますが、この内容はどう考えでも10歳とかで読む内容じゃないと思うんです…映画ならR15とか18になりそう。(ネタバレになるので、興味がある人はまず漫画を読んでください)

 

仙水は生まれた時から強い霊力を持っていたために小さな頃(絵から察するに10歳前後?)から邪霊や妖怪に命を狙われ続けてきました。彼にとって妖怪は自分の敵そして人間の的だった。

 彼はのちにこう言います。

「どうして僕だけ見える生き物がいるんだろう」「どうしてそいつらはボクを嫌っているんだろう」「きっとボクは選ばれた戦士であいつらは人間に害を及ぼす悪者なんだ」

彼はそういう疑問を持たずに、ただただ妖怪を倒していきました。

しかし、その価値観が180度ひっくり返る事件が起きます。

彼はその能力を買われ妖怪探偵となり、魔界に通じたトンネルを塞ぐという指令を受け敵を倒しに行きますが、そこでみてしまったのが人間の酷悪の極みとも言える営み…この世とは思えぬ悪の宴で、それは人間が欲望のままに妖怪を喰いものにしてる光景でした。

その光景をみて仙水は人間を護る側から、人間を倒す側へと価値観が変わっていきます。実際、彼はその場にいた人間を全員殺しました。

 

仙水の精神が崩れてから、彼は魔界に来たいという夢を持つようになりそれを遂行するために同士を集め魔界へ行くための穴を空けようとします。

 その穴を塞ごうとする遊助と戦うわけですが、ちなみにその戦いの中で、仙水は多重人格者であったことが判明します。

前のブログにも書きましたが、遊助は一度敗れ死んでしまいますが、実は妖怪を先祖に持つことがわかり、妖怪として転生します。そしてその妖怪として眠っていた力を呼び覚ますことで仙水を倒した。

 

ざっとこういうストーリーです。

 

仙水の価値観が変わったり、仙水が多重人格だったり、ストーリーとしては中々に濃厚な伏線があり、これを少年誌でよく書けたなと思います。

価値観が変わる部分を丁寧に見ていきますと、酷悪の極みとされる人間の営みを見た時に、コエンマは「彼は人間の存在そのものに悪を感じてしまった。」「人間全てに罪の償いを求めようとしている」と彼の気持ちを推察しています。

 

遊助と仙水が対決している時、樹という彼の仲間のうちの一人が言います。

「オレは彼が傷つき汚れ堕ちていく様をただ見ていたかった」「「キャベツ畑」や「コウノトリ」を信じている可愛い女の子に無修正のポルノをつきつける時を想像する様な下卑た感覚さ。その点人間の醜い部分を見続けた仙水の反応は実に理想的だったな。割り切ることも見ぬふりもできずにただ傷つき絶望していった。」

 これに続いて仙水が、「霊界探偵を続けていく内にね、心が何処かから腐っていくのがわかるんだ。だがそれを止めようとする気がおきない。何故かわかるかい。その腐食部分こそ本当のオレだということもわかってくるからさ。」

 

 幽遊白書HUNTER×HUNTERでは、この仙水編以外に登場人物がこのように自分の内面を赤裸々に語るシーンはないように思います。特に樹のセリフなんて、どう考えればこんなセリフを思いつくのかなと思います。(小児性愛者などはもしかしたらこう考えるのかもしれません…)この時期、作者の冨樫さんは精神的に相当追い込まれていたそうで、その精神状態がこのような設定を生んでしまったのかなぁ。

 

あと、この仙水編では黒の章という、このような人間の残虐な行為のみを集めたとされるビデオテープも存在しているとされます。何故かここで飛影がこのビデオテープに興味を示し、連れ去られた桑原を助け、仙水を倒す協力をしてくれたお礼として遊助はこのビデオを渡しました。

 

どうして飛影に興味を持たせる設定したのか。漫画には書かれていませんが、仙水と飛影に似たような根っこがあるからだと思います。

魔界統一編で躯が飛影の半生を語るシーンがありますが、飛影は「忌み子飛影」 として名を轟かせるほど、小さな時から盗賊として有名だったそうです。母の友人から生まれた時点で谷から落とされ、血が噴き出す寸前の真っ赤な肉の切れ目が好きで悲鳴を聞くと薄く笑うような壮絶な幼少期を過ごした彼の人生を考えれば、彼の嗜好も、もしかしたら仙水のように倒錯した部分があってもおかしくないなと思います。黒い服だけ着てるところとか、設定が似てる部分もありますしね。

 

この黒の章に関することには続きがありますが、長くなってしまったので今回はこの辺で。多重人格の部分ももちろん続きで。

 

コエンマの霊界告発と仙水とグレタさん。仙水編2 - ロンドンの、船上の鍼灸師の日記

誰にでもある多重人格。幽白:仙水編3 - ロンドンの、船上の鍼灸師の日記

 

戸愚呂弟の死と仙水の死の共通点 仙水編その4 - ロンドンの、船上の鍼灸師の日記

 

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遊助が否定した戸愚呂の価値観をなぜ肯定したのか 幽白その3

前回まではこちら。

幽遊白書その1、HUNTER×HUNTERとの性質の違い(主観) - ロンドンの、船上の鍼灸師の日記

遊助は何を守ったのか。戸愚呂に勝てた理由。幽白その2 - ロンドンの、船上の鍼灸師の日記

 

前回の最後に「妖怪となった戸愚呂が死を放棄することで求めた「力」と遊助が死を肯定することで生から生み出される「力」がぶつかり、遊助が勝った。」と勝ちました。

つまり、遊助は妖怪を選んで力を求めた戸愚呂の価値観を否定したわけですが、この戸愚呂との闘いの後に展開される仙水編で仙水と遊助が戦っている最中に、なんと、遊助は妖怪になります…

遊助のずっと前の先祖は妖怪で人間と交わった時にできた遺伝子が数十世代もの隔世を経て受け継がれる魔族大隔世という現象が、遊助には起きていて、仙水と戦い一度死んだ後に、妖怪となって甦るのです…

 

これ、どう考えれば、いいんだろう。どうして作者はそういう設定にしたんだろう。自分の妄想をベースに考えています。僕は戸愚呂のトラウマの浄化がここで行われたのかなと思いました。

 

目の前で弟子を惨殺されて二度とこのようなことが起きないようにと人間から妖怪に転生し、戸愚呂は自分の強さを求め続けたわけですが、自分の強さを求め続けても、もはや人間界に彼に匹敵する力を持つ相手がいなかった。

それは結局、生は死に向かっていくからこそ、その時に持てる力を出し切れた人間の遊助に倒される。(死までが長すぎる妖怪はそういう概念がないのかもしれない)

でも、そういう価値観を持っていた遊助が妖怪に転生することで(=死んでしまうからこそ発揮できる力の否定)、死なないことを持って弟子たちの死を償おうと決意した戸愚呂の無念が初めて浄化されたように感じます。

 

戸愚呂は冥獄界という、地獄の中でも1番の過酷なもの自ら選びます。

コエンマは戸愚呂を霊界から見送る時に、「たとえ優勝して(弟子たちを惨殺した)敵を討っても自分自身の中で罪の意識が消えなかったのだろうな。それからのヤツの人生は償いというより拷問だ。強さを求めると自分を偽って…」と述べていました。

 この償いの意識が消えた時に、遊助は妖怪に転生したんじゃないのかなと思っています。

ストーリー上、仕方なく編み出された結果なのかもしれませんが、そうであってほしいなという思いを込めて。

 

仕事も出来ず暇なので、幽遊白書について書こうかなと思ったら、とても長い文章になりました。

お付き合いいただきありがとうございました。

幽遊白書に関してはまだ書いてみたいことがあるので、いつか書いてみようかと思います。

 

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遊助は何を守ったのか。戸愚呂に勝てた理由。幽白その2

その1はこちら

幽遊白書その1、HUNTER×HUNTERとの性質の違い(主観) - ロンドンの、船上の鍼灸師の日記

 

そういう意味で、暗黒武術会以降の話、つまり戸愚呂編と仙水編、あと魔界統一トーナメント編は終わり方がいいなぁと思うんです。(HUNTER×HUNTERのキメラアント編もたまりませんが)

戸愚呂兄(以後、戸愚呂)は自分が最強と思っていた時に、妖怪に弟子を惨殺されてその時の自分を責め続けて妖怪になる決意をする。彼は妖怪になり老いを止めて、強さを求め続けていく一方、格闘仲間の幻海は老いて弱っていくことは仕方ないという考えでしたが、そういう考えを持つ幻海の弟子の遊助に最後倒されます。(戸愚呂は弟子を惨殺した敵を以前に出場した暗黒武闘会で倒し、その望みとして妖怪に転生しました。)

 

目の前で殺されたことを責め、強さをずっと追い求める一方、どこかでその虚しさというか強さを求めるという答えのない疑問に誰かに終止符を打って欲しかった。自分が強くなること、なってしまったことに対し、それを相手(敵)にも求めるようになっていきます。

遊助は桑原が殺されることで、自分は強くなるために全てを捨ててもいいという戸愚呂の価値観に自分がついていけないことに気づき(彼はどこかで戸愚呂に憧れていました)、自分の中に眠っていた力を解放することができ、戸愚呂を倒しました。

遊助は言います、「オレは…どこかで、あんたに憧れてた」「あんたが捨てたものの重みが…ようやく…わかりかけた」「オレは捨てねー!!しがみついてでも守る!!」「もう誰もお前に殺させねー、そのためにテメーを倒す!!」(コミック12巻参照)

 

この言葉の後に遊助の眠っていた力が解放されて倒すわけですが、ここで疑問に思ったのが、遊助が守ったものって何だったのだろうということです。

戸愚呂と比較して考えてみると、彼が自分の人間としての生を捨てて(妖怪になると寿命が人間とは比較にならないほど長くなる。漫画に寿命が書かれてあったかどうかは覚えていません)、妖怪になることで強さを手に入れた。

遊助は自分の人間の生を捨てずに、老いることを肯定し、生が死に向かうことによる人の生の儚さであったり脆さが逆に強さを生み出す(=つまり老いるからこそ、今ある力を最大限に使い切る)、それを守ったのかなと思いました。それは幻海と桑原が死んだ(実際は死んでいなかった)ことのショックがそうさせたこととも繋がってきますね。

戸愚呂が死を放棄することで求めた「力」と遊助が死を肯定することで生から生み出される「力」がぶつかり、遊助が勝ったわけです。

 

と、ところがなんですが、ここまで書いて後々のストーリーで矛盾が生じてきます。これは僕も今回のブログを書いて、考えを整理するまで全く気付きませんでした…漫画を読んだことがある人はわかると思いますが。

 

続きはこちら。 

戸愚呂が否定した価値観をなぜ遊助は肯定したのか 幽白その3 - ロンドンの、船上の鍼灸師の日記

 

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幽遊白書その1、HUNTER×HUNTERとの性質の違い(主観)

 僕が日本からロンドンまでわざわざ持ってきた漫画は6つあります。(もっと持ってくる予定ですが)

本棚にあるのが「陰陽師」「レベルE」「幽遊白書」「さよならも言わないで」「HUNTER×HUNTER」「ホムンクルス」です。半分が冨樫義博さんで偏りすぎだろうという話もありますが、僕はその中でもやはり幽遊白書が好きです。

何回も読み込んだ結果、僕は10巻からだけ持っていて、それはなぜかというと、そこら辺から単純なバトルものから少しずつ一線を画していくからです。

 

僕はドラゴンボールはそこまで読み込んでいませんが、だいぶ前に通して読んだ時にこの物語は「悟空がただただ強い相手と闘う、それが自分の生きる意味なんだ。」と確信をしていく物語なんじゃないのかなと考えていたことがありました。

それは初めに強い敵が来たら小さい悟空は死ぬし、そういうことってバトルものではありがちな矛盾なのですが、ドラゴンボールに詳しい患者さんに悟空が闘うことに関して考えるシーンがあったのか聞いてみたところ「オラワクワクするぞ」と言うコメントがメインだが、セルと闘った後に「自分がいるから強い奴らが現れる」という意味深なコメントを残していたそうです。

 

それはさておき、今回は齢36歳のおじさんの僕が改めて漫画を読み返して考えたことを書こうと思います。まずは幽遊白書から。設定などは説明し出すと長くなりすぎるので、興味がある方はこちらを参考になさってください。幽☆遊☆白書 - Wikipedia

未だにHUNTER×HUNTERは続いていますが、改めて両方を読み返した時に感じるのは、幽遊白書の方が内省的なストーリーになっていることです。敢えていうなら、HUNTER×HUNTERがサスペンスで幽遊白書がヒューマンドラマというか。

訳がわからないと思うので説明を加えると、僕個人の中で、サスペンスって「人が死ぬ」ことで展開するなと思うんです。その「死」という、もう過去には引き返せない事柄を巡り、どうしてそのことが起こったのかを読んだりすることで読み手の感情を揺さぶるわけです。

でも、死んでしまったら、なんというか、ある意味そこで終わりじゃないかと僕は思うんです。人ってそんなに簡単に死なないと思うし、ブログでも書きましたが、鬱っぽかった時に死ぬ以外に方法はないと勝手に思いつめて、急なS字カーブに自転車で毎日突っ込んでいましたが、中々死ねるもんじゃありません。

 

そこに至るまでに感情がとても揺さぶられることはあってもその後の余韻は残らないというか、僕の中で死を選ばせるのは「作り手にとって無難な手を選んだ」そんな気がします。

その一方で、ヒューマンドラマの特徴は人が死なない。(もちろん死ぬこともありますが、あえてサスペンスとそのように区別してみます)そして、その死なないことによって、物語が終わらないので登場人物の心情がズンと心に響くことがある。

そういう性質の違いが両者にはないかなと考えています。

 

続きはこちら。

遊助は何を守ったのか。戸愚呂に勝てた理由。幽白その2 - ロンドンの、船上の鍼灸師の日記

 

戸愚呂が否定した価値観をなぜ遊助は肯定したのか 幽白その3 - ロンドンの、船上の鍼灸師の日記

 

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これ何回読んだかなぁ。1993年発刊なので、もう25年以上前ですね。

未だに僕は読んでしまいます。

ゴーストタウン化したロンドンと時間が増えたのに全く足りないと感じる自分自身と

ロンドンは今ゴーストタウンのようです。

先々週ぐらいから不要不急の外出はやめるように勧告が出て、今週からついに私が勤めているマッサージ、鍼灸施術を行うクリニックも閉まりました。

自営の治療も休まざるを得ない状況になり、ここ1週間近くは仕事をすることなく基本家で家族と過ごしています。

 

日本がお花見をしたり、患者さんから電車は満員だという話を聴くと日本は本当に今のような対策でいいのかな、本当にコロナウィルスの感染者ってあんなに少ないのかなと勘ぐってしまいます。

それぐらい、ロンドン(きっとイギリスのそれ以外の都市はもっと酷いはず)の街は郊外も含め人気がありません。

 

それはさておき、じゃあ基本家に居ることになると自分の時間が増えるはずなので色んなことができるはず!と思っていたのに全然時間がない。1日1時間ぐらいは本が読めていますが、もっと時間はあるはずなのにどうしてなんだ!と思い、どうやって時間を消費しているか考えてみました。

 

考えた結果、子供と接する時間が大幅に増えていました。前まではクリニックへ週3回行っていたので、9時半ー20時まではいなかったですし、それ以外にも出張や自宅で診ていたので、1日1時間も接していなかった日がありました。それが今では基本ずっと一緒にいるわけで、今までいかに子供と一緒に時間を過ごしていなかったかを通過します。

子供といる時間は自分の時間のようで全く違うので、何かしてるようで何もしていないもどかしさがあります。

今まで自分中心で生活をしてきて自分の思うように時間を使ってきたのが、子供といるとそれができなくなる。勉強もしたい、映画も観たい、漫画も読みたい。世の中にはすでに自分の人生を全て文化に費やしたとしても、それを上回る量の文化の遺産があります。

 

子供が生まれる前は、あんなにライブや映画館に行っていたのに、どちらも行けていません…子供の成長する姿を見れれば何を犠牲にしても…なんていうのは、未だに僕は思えず、それなら自分の好奇心を満たしてくれる何かに接していたいという欲は消えません。

 

大人になると欲がなくなっていくといいます。高齢者になると同じものを食べる傾向が強いなと感じていますが、それは欲がなくなっていることの例だと思いますし、逆に言えば、それは自分の時間を自分の欲のためではなく、子供など人のために使えるようになるための人間の動物としての自然なプロセスなのかもしれないな。その一方、マーケティングという言葉が流行る中、私たちの脳を刺激しようとする業界は発展していくなら、僕の欲はいつになればなくなっていくのだろうか…

ずっと刺激を求めている気がしてなりません。

 

歳を重ねるにつれ、新しいものに挑戦したいという欲が消えていくのかな…と思うと寂しくなりますが、そんなことより目の前に子供がいるとそんな悠長なことも言っていれません。

 

子供と接しながら、いかに自分の欲を刺激できるか。それが僕の至上命題です笑

 

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こんなイベントはもうありません…

  

私の治療の特長

1.鍼とマッサージを組み合わせることで効果を最大限に高める
私はイギリスでは数少ない、日本で鍼灸と指圧師の両方の国家資格を持っている施術者です。(マッサージはしてるけど、鍼灸の資格しか持っていない人の方が実は多いです)。その特徴を活かし、治療の効果を最大限に発揮するために両方を組み合わせられます。
例えば、手では取りきれないコリを鍼で取り除き、柔らかくなった箇所と他の箇所とを調和させるためにマッサージを取り入れます。そうすることで深いコリをほぐしまた、それが長続きさせることができます。

 

2.人体の構造と生体力学(動き)から痛みの原因を取り除く
私は患者さんを治療するに当たって、まず身体の構造や動きを分析します。
私は痛みは原因ではなく様々な要因による「結果」だと考えています。
違う箇所にも書きましたが、あなたの過去(病気、怪我、手術)や今(趣味、健康状態、癖)、無意識の習慣や性格などがあなたの身体を作っています。それを丹念に紐解いて、あなたの症状の緩和に繋げます。
整動鍼の説明にも詳しいことを書いたので、ご参照ください。


3.鬱に苦しんだ経験
会社員時代、私はストレスと鬱に苦しんでいました。動悸で何度も目覚めたり、自転車で急カーブをわざと突っ込んだり、笑えなくなったりしていました。
その時に受けた鍼が私の人生を救ってくれたと考えていて、その状況から脱するためのエネルギーをくれたと心から思っています。
もし似たようなことで苦しんでおられる方がおられたら、ぜひ私にサポートさせてください。いつか、底が来る日がきます。
ブログにも書きましたので、よければ読んでください。

 

鬱だったのかという時期を振り返ってー最終回。会社に復帰をして。

その1〜3はこちら

鬱だったのかという時期を振り返ってーその1。鬱から回復した人に鍼を受けたいか。 - ロンドンの、船上の鍼灸師の日記 

 

鬱だったのかという時期を振り返ってーその2。鍼に出会うまで。 - ロンドンの、船上の鍼灸師の日記

 

鬱だったのかという時期を振り返ってーその3。会社を逃げ出したこと。 - ロンドンの、船上の鍼灸師の日記

 

前回書いたのが、会社を飛び出して、滋賀から大阪の堺まで向かったものの途方にくれて警察へ保護されに出頭したのが論文提出前日の日曜日のこと。

 

僕は月曜日の論文提出の日に会社を休みました。噂では会社が騒然となったらしいです。親が会社へ連絡したのかは忘れました。

月曜日か火曜日の夜に両親と食事へ行きました。この後どうすればいいのか検討もつかなかった中で父親が言ったのは「ここで会社を辞めるな。」と言うことでした。

それに後を押されて、僕は翌日だと思いますが出社しました。どういう挨拶をHさんにしたのかは覚えていません。無視されていたような記憶があります。

ただ、論文の指導教官は彼が外れて、僕と課長とでやることになりました。

もちろん夜中までかかることはありましたが、論文は無事に提出(と言っても、課長が殆ど作成した記憶があります)して1年目の大イベントは終わりました。

 

それでまあ、H氏との関係は一応ひと段落するかと思いきや、相変わらず僕とH氏との関係は論文を逃げ出す前の段階に戻り、5時間以上怒られ1日もメールが送れない日々は続きました。

その一方で僕の東洋医学鍼灸に対する想いは募っていき、週末の休みはお世話になった鍼の先生の師匠の治療院へ見学に行ったり、勉強会に参加するようになりました。

 そして論文を出した翌年の3月に会社を辞め、4月から鍼灸師あん摩マッサージ指圧師になるために学校へ通うことになりました。

有給はほとんど使っていなかったので、全部使わせて欲しいと言ったら何を抜かしているんだと言われたり、最後の出社日もすぐに終わって家に戻れるのかなと思ったら、Hさんはなかなか帰らせてもらえなかったのも覚えています。


僕が鬱だった時にどういう風に鍼灸に救ってもらったかを改めて書こうと10年以上ぶりに記憶を思い返して書いてみましたが、やはり会社を逃げ出した日のことは殆ど記憶がなく、また逃げ出すまでの数ヶ月は精神的に本当に辛かったです。思い出す各シーンは自分の感情も含まれているせいで苦しく、途中で書くのも嫌になるほどでした汗

 

結局自分の思い出を消化したいためだけに、この日記を書いたのかもしれません。

でも、自分が鬱だった時に鍼に出会ってなければ、あの時どうなっていたのかなと思うことはあります。

会社の同僚にも話しづらかったし、親やその時の彼女にも自分のことを言いにくい中、治療師という他人(他人だけれども、肌に触れられることをこちらは許した人)にしか気や心を緩められないことってあると思います。

 

もし色々悩んでおられる方がおられたら、お金はかかるけれどもそういう距離感の存在に頼ってみるのもありなんじゃないのかなというメッセージも込めて書きました。

もし治療費は高いというのなら、宗教に救いを求めたっていいと思います。(ただ、周りの人に強要しないでください。)

 

お互い、悔いなく生きれるようにしましょうね。

読んでいただきありがとうございました。

 

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これぐらい無為自然な心持ちになれるように@フィレンツェ、2019