ロンドンの、船上の鍼灸師の日記

2012年から客船で鍼師として働いていましたが、2017年からロンドンで治療家として働いています。治療のこと、クルーズのこと。色々綴っていこうと思います。ウェブサイトはこちら。https://www.junjapaneseacupunctureandshiatsuclinic.com/

私の治療の特長

1.鍼とマッサージを組み合わせることで効果を最大限に高める
私はイギリスでは数少ない、日本で鍼灸と指圧師の両方の国家資格を持っている施術者です。(マッサージはしてるけど、鍼灸の資格しか持っていない人の方が実は多いです)。その特徴を活かし、治療の効果を最大限に発揮するために両方を組み合わせられます。
例えば、手では取りきれないコリを鍼で取り除き、柔らかくなった箇所と他の箇所とを調和させるためにマッサージを取り入れます。そうすることで深いコリをほぐしまた、それが長続きさせることができます。

 

2.人体の構造と生体力学(動き)から痛みの原因を取り除く
私は患者さんを治療するに当たって、まず身体の構造や動きを分析します。
私は痛みは原因ではなく様々な要因による「結果」だと考えています。
違う箇所にも書きましたが、あなたの過去(病気、怪我、手術)や今(趣味、健康状態、癖)、無意識の習慣や性格などがあなたの身体を作っています。それを丹念に紐解いて、あなたの症状の緩和に繋げます。
整動鍼の説明にも詳しいことを書いたので、ご参照ください。


3.鬱に苦しんだ経験
会社員時代、私はストレスと鬱に苦しんでいました。動悸で何度も目覚めたり、自転車で急カーブをわざと突っ込んだり、笑えなくなったりしていました。
その時に受けた鍼が私の人生を救ってくれたと考えていて、その状況から脱するためのエネルギーをくれたと心から思っています。
もし似たようなことで苦しんでおられる方がおられたら、ぜひ私にサポートさせてください。いつか、底が来る日がきます。
ブログにも書きましたので、よければ読んでください。

 

鬱だったのかという時期を振り返ってー最終回。会社に復帰をして。

その1〜3はこちら

鬱だったのかという時期を振り返ってーその1。鬱から回復した人に鍼を受けたいか。 - ロンドンの、船上の鍼灸師の日記 

 

鬱だったのかという時期を振り返ってーその2。鍼に出会うまで。 - ロンドンの、船上の鍼灸師の日記

 

鬱だったのかという時期を振り返ってーその3。会社を逃げ出したこと。 - ロンドンの、船上の鍼灸師の日記

 

前回書いたのが、会社を飛び出して、滋賀から大阪の堺まで向かったものの途方にくれて警察へ保護されに出頭したのが論文提出前日の日曜日のこと。

 

僕は月曜日の論文提出の日に会社を休みました。噂では会社が騒然となったらしいです。親が会社へ連絡したのかは忘れました。

月曜日か火曜日の夜に両親と食事へ行きました。この後どうすればいいのか検討もつかなかった中で父親が言ったのは「ここで会社を辞めるな。」と言うことでした。

それに後を押されて、僕は翌日だと思いますが出社しました。どういう挨拶をHさんにしたのかは覚えていません。無視されていたような記憶があります。

ただ、論文の指導教官は彼が外れて、僕と課長とでやることになりました。

もちろん夜中までかかることはありましたが、論文は無事に提出(と言っても、課長が殆ど作成した記憶があります)して1年目の大イベントは終わりました。

 

それでまあ、H氏との関係は一応ひと段落するかと思いきや、相変わらず僕とH氏との関係は論文を逃げ出す前の段階に戻り、5時間以上怒られ1日もメールが送れない日々は続きました。

その一方で僕の東洋医学鍼灸に対する想いは募っていき、週末の休みはお世話になった鍼の先生の師匠の治療院へ見学に行ったり、勉強会に参加するようになりました。

 そして論文を出した翌年の3月に会社を辞め、4月から鍼灸師あん摩マッサージ指圧師になるために学校へ通うことになりました。

有給はほとんど使っていなかったので、全部使わせて欲しいと言ったら何を抜かしているんだと言われたり、最後の出社日もすぐに終わって家に戻れるのかなと思ったら、Hさんはなかなか帰らせてもらえなかったのも覚えています。


僕が鬱だった時にどういう風に鍼灸に救ってもらったかを改めて書こうと10年以上ぶりに記憶を思い返して書いてみましたが、やはり会社を逃げ出した日のことは殆ど記憶がなく、また逃げ出すまでの数ヶ月は精神的に本当に辛かったです。思い出す各シーンは自分の感情も含まれているせいで苦しく、途中で書くのも嫌になるほどでした汗

 

結局自分の思い出を消化したいためだけに、この日記を書いたのかもしれません。

でも、自分が鬱だった時に鍼に出会ってなければ、あの時どうなっていたのかなと思うことはあります。

会社の同僚にも話しづらかったし、親やその時の彼女にも自分のことを言いにくい中、治療師という他人(他人だけれども、肌に触れられることをこちらは許した人)にしか気や心を緩められないことってあると思います。

 

もし色々悩んでおられる方がおられたら、お金はかかるけれどもそういう距離感の存在に頼ってみるのもありなんじゃないのかなというメッセージも込めて書きました。

もし治療費は高いというのなら、宗教に救いを求めたっていいと思います。(ただ、周りの人に強要しないでください。)

 

お互い、悔いなく生きれるようにしましょうね。

読んでいただきありがとうございました。

 

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これぐらい無為自然な心持ちになれるように@フィレンツェ、2019

 

鬱だったのかという時期を振り返ってーその3。会社を逃げ出したこと。

その1、2はこちら

鬱だったのかという時期を振り返ってーその1。鬱から回復した人に鍼を受けたいか。 - ロンドンの、船上の鍼灸師の日記

 

鬱だったのかという時期を振り返ってーその2。鍼に出会うまで。 - ロンドンの、船上の鍼灸師の日記

 

僕が務めていた会社は入社1年目の期末の3月に論文を提出し、プレゼンをしなければなりません。

上司と1年目がゼロから課題を設定し論文を書き上げるため、それは新入社員のみならず直属の上司にとっても一大事でした。

 

理系の人は課題を作りやすく成果もまとめやすいのかもしれませんが、文系はなかなか課題を策定しにくく、論文としても書き上げにくかったのを覚えています。

僕の場合は、担当していた製品の世界拡販戦略という壮大なテーマでした。この論文を書き上げるにあたって、僕にとっては大きな出来事がありました。

 

正直、論文提出までの最期の半年間の記憶はほとんどありません。ただ、毎日遅くまで残ってメールを書いたり、論文を作成したりしていました。鍼も受付時間に間に合わないので受けられないし、悪循環となっていきます。

精神面の方はどんどん悪くなっていくばかりで(苦笑)、その1にも書きましたが自転車に乗っている時に毎日S字カーブに直進したり、怒られている間ひたすら下を向いてました。

もちろん、笑えない。笑うのがしんどい。感情が身体から出てくるのがしんどく、感情に浮き沈みがないよう必死に生きていました。

 あと、どうしてかはわからないのですが、とりあえず怒られてる時間を短くしたいという思いと、その場から逃げたい一心で、上司の質問に対して嘘をつくようになってました。

 

すぐバレる嘘とわかっていても、もうその場にいるのが嫌で嘘をついてしまうようになってしまってた。本当にどうしてかはわかりません。これ嘘ついてるよなと客観的にわかるし、これをつくことでまたもっと怒られるよなぁと心のどこかでわかっているのですが、もう2、3個手先を考える余裕が一切ありませんでした。

Hさんが怒っている中でちょっと冗談を言っても、口角を上げて笑うのがきつくて全く笑ってなかったな。他の鬱の人もこういう状態があるのでしょうか。

 

そういう日が続く、ある日曜日。確か翌日の月曜日が論文の最終〆切だったように記憶しています。

論文は何十回も何百回も書き直すもほとんどできてなくて、もう、なんともどうしようもない状態でした。

日曜日ですが出勤してHさんと2人で論文を書き上げていましたが、夕方になって「もう俺は帰る。あとは好きにしろ。」と突然の放棄宣言。彼は僕を置いて帰りました。上司と入社1年目の2人での共同さ御意じゃなかったっけ…???

その時の愕然とした気持ちは今でも忘れません。人ってこういう風に人を置いてきぼりにして、人を絶望させることってあるんですね。

 

彼が帰ったあと、どうしたらいいのかわかりませんでした。本当に文字通り頭が真っ白です。

目の前にある課題は終わっていない、論文の提出は明日。何回も書き直したのに上司からはダメ出しをくらい、そのダメを出した上司は帰った。

軽いパニックが起きた僕がとった行動は「会社を逃げ出す」ことでした。(ここから断片的にしか記憶がありません。。。) というより、それしかないと言う思いに襲われました。

 

工場は駅から歩いても30分以上かかったはずなのですが、その駅からJRに乗って滋賀から大阪へ。

会社でパニックになった瞬間と、電車で外を見ながらどうしたらいんだろうと思ったのは覚えています。

姫路まで向かえるその電車で過呼吸に襲われてとりあえず大阪駅でおりました。そこからどうしたらよいか分からず、ひたすら南へ向かって歩いて行きました。

そして気づいたら堺まで来ていました。(さっきグーグルマップで調べたら3時間かかるそうです。) 夜はもう真っ暗でした。夜道の上に街頭が照っていたのを何となく覚えています。

「どうしよう、どうしよう。」不意に我に返って、言いようもない不安に襲われました。心の底にあるこの後どうしたらよいかわからない不安が身体の外に吹き出し、泣け叫びながら道を走る。そしてまた我に返り、どうしようもなく不安になる。これを確か何度か繰り返していました。(側から見たら気狂いですね…)

 

それを繰り返して、僕はもう本当の本当にどうしたらいいかわからなくなり、どこかにあったビジネスホテルをとりました。その部屋でベッドにうずくまりながら、どうしようか途方にくれていたのは覚えています。

そして、不意に「警察に保護されに行こう。」と思いつき警察へ行きました。自分の状況をどう説明したのかは覚えていません。ただ、警察員が親に連絡をとってくれました。

 

この時のことは両親に聞いたことはありませんが、実家から堺までの片道1時間を彼らはどういう思いで迎えに来たのかなと思います。

それで家に帰り着いたのが、明け方の3時か5時だったように思います。会社を出たのが夕方だったので、それから10時間ぐらい。僕は保護されて実家に戻ってきました。

雨戸が閉まったドアにもたれたまま、眠れずにずっと目を開けていた気がしています。

 

次回に続く。

 

最終回はこちら 

鬱だったのかという時期を振り返ってー最終回。会社に復帰をして。 - ロンドンの、船上の鍼灸師の日記

 

f:id:acupuncturistontheship:20200310004206j:image この時はこれぐらい人生に荒波が…

 

 

閑話休題、雲ばかりのロンドンとオレンジのように太陽が眩しいバルセロナと

今、所用でバルセロナに来ています。

ここしばらく雨と曇りが続くロンドンからバルセロナに降り立った時、「あ、僕は太陽に浴びていなかったんだ。」と痛感しました。

この感覚は自分が意識的に感じるというより、本能というか無意識に味わうものでした。「パッと花が開いた」感覚かなと何となく思って、でももう少し実感のある言葉にしようと考えていたら、「植物が太陽が感じる方向に向かって茎を伸ばす」、あの感覚に近いんじゃないかと思いました。 


それは脳で感じるというもにではなく、脳や神経など感覚というもの以前の、植物であった頃の記憶からの悦び(植物に悦びなんてあるのかもちろんわかりませんが、バルセロナに着いた時に味わったあの太陽に対する悦びは植物のそれときっと通じるんじゃないかと思う)に起因する気がします。

ロンドンで生活していると、10ー11月の冬至に向かって日々日没が短くなっていく時が、1番精神的に堪えます(住んでいる人ならわかるはず…)

自営に切り替わるための自分なりの再スタートの気持ちを込めて、鬱になった頃のブログを書いていますが、ロンドンのあの季節がそうさせてくるのかな。

バルセロナにいるとああいうテイストの文章は書くのがバカらしくなる気がしてきます。


人は技術を発達させて自分のライフスタイルに自然を適応させてきても、やはり自然には叶わないしコントロールされているなと思うロンドンの冬とバルセロナの太陽でした。

 

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休みを利用してアンドラ公国へ行ってきました。何もなかった首都でしたが、アンドラの硬貨がお土産になりました。

鬱だったのかという時期を振り返ってーその2。鍼に出会うまで。

その1はこちら

鬱だったのかという時期を振り返ってーその1。鬱から回復した人に鍼を受けたいか。 - ロンドンの、船上の鍼灸師の日記

 

入社して、新人研修が終わり僕は輸出営業課に配属されました。

そこで上司になったのがHさんでした。この方は面倒見がいいと言えばいいのですが、悪く言えば、自分の思い通りにならないとダメな方でした。

例えば、ある重要なことを説明する英語のメールを送るのに際して、1日中手直しを受けても送れないことが多々ありました。1日で5時間以上怒られてる時も結構ざらにありました。大袈裟だと思う方もおられるでしょう。僕もそういう文章に対して冷笑的で「そんなのありえない」と思ってしまう方ですが、本当です。残念ながら。。。

彼としては、将来を見越して僕に自分で考えさせる訓練だったのだと思います。そういう気持ちを感じることもありましたが、ただ、ずっと怒られ続けていると、本当にHさんが考えていることがわからなくなってきます。

 

彼が何を求めてメールの送信を許可しないのかがわからないので、どこまで言っても納得が言ってもらえる文章が書けずに1日以上かかってしまう。CCを入れずに勝手にメールを送ってめちゃくちゃに怒られたことも幾度もあったな。。。

 

もちろん自分でも、大学まで勉強だけしてきて大した挫折も知らずに来たせいで、社会人になって初めて父親の苦労を身に染みて感じました。自分のやってるやり方が正しいと信じ、相手のこともあまり考えずに物事を進めようとしたせいで、相手に意図が伝わらないということでメールを1日かけても打てない。

「部下が上司を選べないように、上司も部下を選べないんだ。」とHさんに愚痴をこぼされたこともありました。その通りだなと思います。

 

この一連のことはパワハラになるのかな。パワハラってこういう風に入り組んできて途中から訳が分からなくなる気がします。正直分かりませんが、今思い出すと、よくこんな状態を毎日続けられたなと自分でびっくりしてしまいます。

 

仕事はもちろんこのメールを送るだけではないですから、他の仕事がズルズルと溜まってしまいます。そうしているうちに、まずは毎朝の動悸が始まり、日曜の夕方に吐き気がするようになっていきました。

そこで、自転車通勤の途中にあった鍼灸院に行ってみたのが今の道の始まりでした。今まで鍼なんて受けたこともなかったし興味もなかったのですが、その先生に薦められるがままに鍼を受けたところびっくりするほど身体が楽になり、それよりも心が楽になってウキウキして会社の寮に戻ったのを今でも覚えています。

 

あと、会社から現実逃避をするようにこの頃ハマっていったのがクライミングでした。大学時代は探検部に所属していたので、基本的なことは学んでいました。

登山は時々行っていましたが、歩けば着いてしまうことに飽きたというか刺激が足りなくなってしまい、もっとアドレナリンが出るクライミングをするために山岳会に入りました。今の趣味にクライミングがあるのは、これが原点です。 

 

鍼とクライミングがなかったら、この頃の僕はどうなっていたのだろう。

その2つが、公私での今のロンドンでの生活を支えてくれているのですから因果なものです。

 

続きはこちら

鬱だったのかという時期を振り返ってーその3。会社を逃げ出したこと。 - ロンドンの、船上の鍼灸師の日記

鬱だったのかという時期を振り返ってー最終回。会社に復帰をして。 - ロンドンの、船上の鍼灸師の日記

 

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透き通ってもいつか濁ってしまうかもしれない。鍼が濁りを透明にしてくれたように思います@弁天池、山口

 

鬱だったのかという時期を振り返ってーその1。鬱から回復した人に鍼を受けたいか。

自営に切り替えるにあたり自己紹介を兼ねて、自分が鍼と出会うきっかけになった会社員時代の鬱の時の話を書こうと思います。

僕に近い症状の人が鍼やマッサージに行って少しでも気が楽になればと思います。

 

僕は大学を卒業して大手メーカーに就職したものの、2年で辞めて鍼灸師及びあん摩マッサージ指圧師の資格が取れる関西医療専門学校に入学し、資格を取って今に至っています。

会社員であった2年間のうち、1年以上は鬱のような症状(医者にかかっていないので診断がついていませんが、鬱と以降は書きます)でした。僕はそこでたまたま鍼に出会い、命を救ってもらったと思っています。

1番ひどい時は、急なS字カーブをワザとスピードを出して横切ってました。出会い頭に事故に遭って死なないかなと思ってたからです。上司に会うのが嫌で、骨折ぐらいだと数ヶ月後にまた会うのが本当に嫌だし、会うなら死んだ方がマシだと考えていました。

あと、笑いたくなかった。笑ってしまうと笑わなくなって素に戻った時に、その落差がすごくしんどくなってしまうから。毎朝すごい動悸で目覚めることもあったな。

自転車で30分ほどかけて通勤していましたが、帰りに意味もなく叫んでたりもしてました。それ以外にどうすれば胸に溜まったモヤモヤを吐き出せるのかわからなかったからです。

 

大げさだと思う人もいると思います。実際今この文章を書いて読み返している自分ですら、大げさだなと感じます。でも、あの時の記憶を辿り感情を思い返すと、やはりそう思ったなと言えます。

先日ラジオで精神科医斎藤環さんが引きこもりの話をされておられた時に、「自立というのは、人間関係で甘えることのできる場所がたくさんある状態のこと」だと言っていました。

鬱の人にも同じことが言えると思います。甘える場所がどこにもなくなり(精神的に余裕がなくなってもきますが)、上司と自分との関係しか世の中にはないぐらいに思いつめていた、つまり自立できていないからこそ、死ぬ以外に選択肢がないというある種の強迫観念を持っていたんだと思います。

 

人によっては、鬱になった人の治療は受けたくないという方もおられるかもしれません。

先輩で潰瘍性大腸炎になってしまった方がおられたのですが、その方は自分の症状を隠して治療にあたっておられました。(今会うことはないので、その後公表したかは知りません) そういう症状を診る側の人間が、そういう病気になってしまう側になったことをどう捉えるかの問題だと思います。

でももう、なってしまったものは仕方ないし、治療には限界があることを治療家が知るのは悔しいですが、それもまた目の前にある現実ではないでしょうか。

 

クルーズでSilverseaという6スターのクルーズ会社で働いていた時、患者さんが会社経営者だったり、有名会社の上役でした。そういう方を相手にした時、「何も飾らず自分は自分のままでぶつかるしかない。」と不意に思ったことがあります。僕なんかよりよっぽど色々な人を相手に色々な経験をした人は、相手がどういう人かというのを見抜くといいます。

僕が偉そうに背伸びしたり、色々説明したところで相手はその背伸びしていることを見抜いてしまう。ならば、こちらは当たって砕けろではないですが、自分が持てる力で患者さんに当たるしかありません。なので僕は隠しません。

 

僕の患者さんで僕に近いような状態の方が治療に来られた時に「ミュージカルが楽しめない。終わった後に現実に戻ってしまって余計にしんどくなるから。」とこぼされた方がおられて、その気持ちが痛いほどわかりました。実際にならないとわからないことって絶対にあります。

 

振り返ってみると、精神的に参ってしまったからこそ会社を辞めて全く別の世界に踏み出す勇気を持てたと思います。残業代は支払われるし、ぬるいとてもある意味楽な会社でしたから。

とはいえ、上司に感謝しているかといえば、できません。できるようになるのかもわかりませんが、「お前のせいで俺の昇進はなくなった。」と言われたり、最後20日以上残っていた有給を当然のように使わせてもらえなかったことを考えると、やはり会社的には辞める僕なんてもうどうでもよかったんだろうなとも思います。

 

次回は具体的に鍼に出会うまでを書いていこうと思います。

 

続きはこちら

鬱だったのかという時期を振り返ってーその2。鍼に出会うまで。 - ロンドンの、船上の鍼灸師の日記

 

鬱だったのかという時期を振り返ってーその3。会社を逃げ出したこと。 - ロンドンの、船上の鍼灸師の日記

 

鬱だったのかという時期を振り返ってー最終回。会社に復帰をして。 - ロンドンの、船上の鍼灸師の日記

 

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あの頃は頭に霧がかかっているようでした笑@モン・サン・ミシェル

 

転職nendo×はてなブログ 特別お題キャンペーン #しごとの思い出

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症例報告 足首と腰痛と胃炎??

私は経絡の流れなどをベースとしたものではなく、患者さんの動きや癖、構造などを分析して症状を取り除く「整動鍼」というやり方をベースに治療をしています。


症例報告
10代女性 学生          主訴: 左足首の痛み

普段からBallet をしている女性で1ヶ月ほど前に左足首を捻挫。足の指を内に入れる動作と外に向ける動作で痛みが出る。

痛みが出る動作をしてもらったところ、腰で本来支えなければならない体重が身体をうまく使えていないために足首に負荷がかかりすぎていることがわかる。
話を聞くと、腰をうまく使えていない要因は消化器系のトラブル(慢性胃炎)からも来ていることがわかった。つまり、内臓の調子の悪さが腰の不安定さをもたらし、結果として痛みが足首におきていた。

 

腰をうまく使えるようにするために太ももと胃炎を和らげることにフォーカスを置いて治療したところ、痛みが消失。

 

明日からもBalletができると、喜んでおられました。
このように思わぬところに痛みの原因が潜んでいることがあり、それを除くと痛みがすぐに消失することもあります。

 

私の考えは、痛みは結果であり原因ではないというものです。
色々なところへ行っても痛みが取れずに悩んでおられるロンドン在住の方がおられましたらぜひ一度ご相談ください。