鬱だったのかという時期を振り返ってーその1。鬱から回復した人に鍼を受けたいか。
自営に切り替えるにあたり自己紹介を兼ねて、自分が鍼と出会うきっかけになった会社員時代の鬱の時の話を書こうと思います。
僕に近い症状の人が鍼やマッサージに行って少しでも気が楽になればと思います。
僕は大学を卒業して大手メーカーに就職したものの、2年で辞めて鍼灸師及びあん摩マッサージ指圧師の資格が取れる関西医療専門学校に入学し、資格を取って今に至っています。
会社員であった2年間のうち、1年以上は鬱のような症状(医者にかかっていないので診断がついていませんが、鬱と以降は書きます)でした。僕はそこでたまたま鍼に出会い、命を救ってもらったと思っています。
1番ひどい時は、急なS字カーブをワザとスピードを出して横切ってました。出会い頭に事故に遭って死なないかなと思ってたからです。上司に会うのが嫌で、骨折ぐらいだと数ヶ月後にまた会うのが本当に嫌だし、会うなら死んだ方がマシだと考えていました。
あと、笑いたくなかった。笑ってしまうと笑わなくなって素に戻った時に、その落差がすごくしんどくなってしまうから。毎朝すごい動悸で目覚めることもあったな。
自転車で30分ほどかけて通勤していましたが、帰りに意味もなく叫んでたりもしてました。それ以外にどうすれば胸に溜まったモヤモヤを吐き出せるのかわからなかったからです。
大げさだと思う人もいると思います。実際今この文章を書いて読み返している自分ですら、大げさだなと感じます。でも、あの時の記憶を辿り感情を思い返すと、やはりそう思ったなと言えます。
先日ラジオで精神科医の斎藤環さんが引きこもりの話をされておられた時に、「自立というのは、人間関係で甘えることのできる場所がたくさんある状態のこと」だと言っていました。
鬱の人にも同じことが言えると思います。甘える場所がどこにもなくなり(精神的に余裕がなくなってもきますが)、上司と自分との関係しか世の中にはないぐらいに思いつめていた、つまり自立できていないからこそ、死ぬ以外に選択肢がないというある種の強迫観念を持っていたんだと思います。
人によっては、鬱になった人の治療は受けたくないという方もおられるかもしれません。
先輩で潰瘍性大腸炎になってしまった方がおられたのですが、その方は自分の症状を隠して治療にあたっておられました。(今会うことはないので、その後公表したかは知りません) そういう症状を診る側の人間が、そういう病気になってしまう側になったことをどう捉えるかの問題だと思います。
でももう、なってしまったものは仕方ないし、治療には限界があることを治療家が知るのは悔しいですが、それもまた目の前にある現実ではないでしょうか。
クルーズでSilverseaという6スターのクルーズ会社で働いていた時、患者さんが会社経営者だったり、有名会社の上役でした。そういう方を相手にした時、「何も飾らず自分は自分のままでぶつかるしかない。」と不意に思ったことがあります。僕なんかよりよっぽど色々な人を相手に色々な経験をした人は、相手がどういう人かというのを見抜くといいます。
僕が偉そうに背伸びしたり、色々説明したところで相手はその背伸びしていることを見抜いてしまう。ならば、こちらは当たって砕けろではないですが、自分が持てる力で患者さんに当たるしかありません。なので僕は隠しません。
僕の患者さんで僕に近いような状態の方が治療に来られた時に「ミュージカルが楽しめない。終わった後に現実に戻ってしまって余計にしんどくなるから。」とこぼされた方がおられて、その気持ちが痛いほどわかりました。実際にならないとわからないことって絶対にあります。
振り返ってみると、精神的に参ってしまったからこそ会社を辞めて全く別の世界に踏み出す勇気を持てたと思います。残業代は支払われるし、ぬるいとてもある意味楽な会社でしたから。
とはいえ、上司に感謝しているかといえば、できません。できるようになるのかもわかりませんが、「お前のせいで俺の昇進はなくなった。」と言われたり、最後20日以上残っていた有給を当然のように使わせてもらえなかったことを考えると、やはり会社的には辞める僕なんてもうどうでもよかったんだろうなとも思います。
次回は具体的に鍼に出会うまでを書いていこうと思います。
続きはこちら
鬱だったのかという時期を振り返ってーその2。鍼に出会うまで。 - ロンドンの、船上の鍼灸師の日記
鬱だったのかという時期を振り返ってーその3。会社を逃げ出したこと。 - ロンドンの、船上の鍼灸師の日記
鬱だったのかという時期を振り返ってー最終回。会社に復帰をして。 - ロンドンの、船上の鍼灸師の日記
あの頃は頭に霧がかかっているようでした笑@モン・サン・ミシェル
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