英国の、船上の鍼灸師の日記 the diary of acupuncturist on Great Britain, cruise ship

2012年から客船で鍼師として働いていましたが、2017年からロンドンで再び治療家として働いています。治療のこと、クルーズのこと、食べ物のこと。色々綴っていこうと思います。

20年後の「8月31日の夜に」 その2。2歳の僕は何を僕に言いたいんだろう。

お題「夏休みの思い出」

 

前回の最後に、2歳の時の自分の写真を載せました。

あの写真を見て、彼は僕に何を言いたいんだろうとずっと考えていました。

 

考えてもらちがあかず、その後、母親をお茶に誘い自分の幼少期がどういう風に見えていたのかを聞いてみようと思って、2人で話をしました。

僕がその当時はずっと不安だったことを伝えると、母はとても驚いて、彼女はとてもそのようには見えなかったとのこと。

彼女は未熟児で生まれた弟にかかりきりだったでしょうし、そらそうかなと今30数年後になれば冷静に受け止められますが、その当時の自分自身にとっては、寵愛を受けていたのが突如引き離されて一人になってしまったことにショックを受けていたんじゃないかと思っていました。

 

小一時間ほど話し、家に帰って部屋に戻った時のこと。

また写真を取り出してみていたら、不意に言葉が彼から返ってきたように思いました。

それは、

 

「おかえり。」

 

という言葉だった。

それを聞いたとき、僕は正直「ん!?」という反応しか出なかった。

だって、僕は2歳の時の自分を励ます言葉を探していたからです。

例えば、「ずっと不安に思っているかもしれないし、今でもそうだけど、今でも元気にやってるよ。」とか、ある人に聞いたのは、その子を抱きしめてあげるといいとか言ってたのに…

 

なので、「おかえり」という言葉にあっけにとられました。

でも、そういう言葉を言われたのには意味があるはずだと思ったし、なぜかその言葉に安心する自分がいたので、またその意味を考える。

ねじまき鳥クロニクルの1シーン、井戸の底で主人公が考え事をするように。

 

それからさらに数日。

「おかえり」に対して、彼に「ただいま」ととりあえず返したままでしたが、自分なりに出た結論は、なぜか生じてしまう不安、きっとそれは未来がある限りずっと持ち続けるものかのかもしれませんが、その不安を2歳の時に起きた出来事のせいにしてないかということ。

自分が幼い時に(記憶している限り生まれて初めて)感じた「不安」のせいで今も「不安」を感じていると錯覚している。

つまり、過去の自分に不安の責任を押し付けてるんじゃないのかなと思ったわけです。

 

それに気付いた時に、「甘ったれるんじゃない」という言葉も降ってきました笑

 

2歳の時、母親が大変で父親も忙しく、弟も頑張って生きようとしている、そのことに言葉には出来なくてもきっと気付いていたはず。

でも、それに不満を言うこともなく、不安を悟られまいと隠しながら、一生懸命生きていた。

言語を獲得していないからこそ、色々な感情を言葉で区別しないまま、感じて飲み込んだからこそ、衝撃がその当時の僕には大きかったのかもしれないけど、それでもなお平然としていた。

だからこそ、母はそのように見えなかったんだから。

 

そんな彼に、大きくなった自分が「甘えていいんだよ」というのは、僕の場合違ったようです。(きっとそう言うことで、解放される人もいると思います。)

 

34年と数ヶ月しか経っていませんが、自分を振り返る中で1周回って戻ってきた。

2歳の自分は、自分を起点に1周回ってくることを知っていたのかもしれない。

だからこそ、

 

「おかえり」

 

と言ってくれたんじゃないのか。

そう思うと、なぜか、すっと楽になれました。

 

自分の家のように、自分が不安定になった時に戻れる記憶という名の場所を手に入れた気がします。

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