英国の、船上の鍼灸師の日記 the diary of acupuncturist on Great Britain, cruise ship

2012年から客船で鍼師として働いていましたが、2017年からロンドンで再び治療家として働いています。治療のこと、クルーズのこと、食べ物のこと。色々綴っていこうと思います。

20年後の「8月31日の夜に」

お題「夏休みの思い出」

 

「どうしていつでも緊張がとれないんだろう」

 

日本に戻ってしばらく立ちますが、先日参加したセミナーで自分の手の緊張がとれず、セミナーでのテーマだった「骨膜に触れる」ということがうまく出来ずに終わりました。

それが僕の施術家として致命的なことになるのかなぁと考え始めると、どうしてそもそも手の緊張がとれないのかなと、落ち込みます。

 

手を揉むと自律神経の機能が回復すると謳う健康法があったり、気の流れとされる経絡には手や足の先に経絡の終わりと始まりのツボがあるなど、手や足は自分の内部の感覚の状態が現れるとされていますし、手が凝るという人は緊張しやすい人が多いなと臨床経験から感じています。

僕もいつの頃からか手と前腕の緊張があって、その緊張がとれていることが中々ありません。ヨガやフェルデンクライスなど、自分の内と外とを繋ごうとする活動はそういう自分の身体の内外の緊張をほぐすものではないのでしょうか。

 

手足に緊張があるのか、そもそも自分はいつから自分の内と外とに壁を感じ、緊張を感じ始めたのかなと、瞑想をしながら潜ってみることにしました。

緊張を分解すると、緊=かたい、しめる、ちぢむ、張=はると読み直せます。つまり、何かが「かたく」、「はった」なった状態のことを言うことになります。

つまり、自分が「かたくはった」状態なわけですが、自分が外に対してかたくはったのはいつからなんだろう。自分の外と内が別れる前までは、かたくはる必要がないわけですから、自分が外と内を意識してしたのはいつなのでしょうか。

究極的に言えば、自分が生を受けて受精卵として1つの細胞になった時点で、自分は世界とわかれたことになるし、全ての有機物は同じ時点で世界とたもとを分けたことになりますね。

それは神秘的というより神秘ですが、そこに浸れる余裕がなかったので、自分の一番古い記憶の中で、いつ自分が外を意識したのかを思い出してみる。

 

弟が生まれたことなんじゃないのかなというのが、今の僕の古い記憶です。記憶というより、感情が生まれた。

親の寵愛を受けてきたのに、弟が生まれてくるとその愛が減る。僕の弟は未熟児として生まれたそうで、どうしても手がかかったそう。そうなれば、どうしても健康優良児として生まれてきたこっちを見る余裕はどうしてもなくなってしまう。

そこで喪失、不安を識り、そして僕を見て欲しいという感情(一般的なものより執着に近い感じか)と欲が生まれたんじゃないだろうか。

(「お兄ちゃんなんだからなになに」、「お姉ちゃんなんだからなになに」という言葉がどうしても好きになれないのはそういう気持ちを幼少期に持ったことが原因で、その時の記憶が自動的に反応してしまうんだと思う。)

人より強い「僕を見て欲しい」という欲は、自分を作り上げる上で色々な反応を引き起こしたことに文章を書き始めて気付きました。

 

・人よりも何がどこにあるなどの情報を拾い上げるのが早くなる

・見て欲しいという欲のカウンターで見て欲しくないと思いになり、人見知りになる、心の鎧を作る

・人と同じようにいることに居心地が悪くなる(これの真反対として、人と同じでいたいという人もいるだろう)

 

その一方で、どうしたらこの「不安や喪失」、「自分を見て欲しい」が減るのだろう。

「そんなもん誰だって持ってる」「自分が思ってるより大したことない」なんて人から言われて安心出来るぐらいならもうとっくに安心してるので、それは自分で見つけるしかない。

 

そう思って自分の記憶を確かめようと思い、親が残していた自分の写真を見始めました。そこには自分が思い出せない自分が確かに存在していた。

自分のようで自分じゃない存在というのは不思議で、僕の身体の細胞が分裂して大きくなって今の僕になっているのに、その過去の形はまるで別人のようです。

でも1枚だけ自分がなぜか覚えているような顔があり、それに何かを言ってあげるのが大切なような気がしています。

 

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何を言ってあげるべきか。 

この文章を書きながらずっと考えていますが、わかりません。それがわかったら写真を抱きしめて言ってあげようと思います。

 

そしたら、手の緊張が少しはとれるかな。