英国の、船上の鍼灸師の日記 the diary of acupuncturist on Great Britain, cruise ship

2012年から客船で鍼師として働いていましたが、2017年からロンドンで再び治療家として働いています。治療のこと、クルーズのこと、食べ物のこと。色々綴っていこうと思います。

豊島の内藤礼さん。「感情が生まれる前の何か」と「生命や物質に宿るおぼろげ」という治療の原点

お題「もう一度行きたい場所」

 

豊島をご存知でしょうか?

知らない方も直島なら聞いたことがあるかもしれません。

http://benesse-artsite.jp/art/teshima-artmuseum.html

 

2つとも瀬戸内海に浮かぶ島で、アートと建築と環境が1つとなる場所を目指した場所です。

僕は大学2回生の時に初めて直島を訪れました。それは2004年なのでもう15年ぐらい前ですか。

その当時は今ほど人もおらず、静かな場所でした。

地中美術館が出来た時は中のボランティアスタッフとして働いたこともありましたが、遠い思い出です。

 

僕が初めて訪れた時でもすでに有名でしたが、その後どんどん有名になり、瀬戸内国際芸術祭がスタートしてからは本土や四国と島々を結ぶ船がいっぱいで溢れるほどになったと聞きました。

人が訪れれば訪れるほど、お金が落ち経済が回りますが、個人的には初めての瀬戸内芸術祭で訪れた時ほど美術と建築と環境との繋がりを感じられなくなり、あと単純に前ほど魅力的に感じなくなったので足が遠のいてしまいました。

 

しかし、どうしても訪れたい場所がありました。それは豊島美術館です。内藤礼さんという作家さんがこの豊島という島のために作った作品がそこにはあります。

 

僕が今鍼灸師ないしマッサージ師として働く原点の1つは直島で出会った作品です。

ジェームズ・タレルやウォルター・デ・マリアといった作家の作品に直島で出会い、感銘を受けた作家が共にミニマリズムという美術運動に端を発していたことから、大学の卒論にミニマリズムを取り上げました。美を、美術を掘っていくことの面白さを僕はそこで初めて知りました。

そしてその体験は、僕が治療を行う原点にある「生命や物質に宿るおぼろげ」に触れた初めて触れた原体験と言っても過言じゃない。

その感動があったからこそ、患者さんの横隔膜が膨らんで腹式呼吸になる瞬間だったり、頭蓋仙骨療法で生じるさざ波のリズムに「おぼろげ」を感じることができたし、至福と言っていい程の感動が僕の中に起きるのだと思うし、患者さんのそこに触れて彼らが生命として健全になってほしいと願ってしまいます。

 

主観的な話に逸れたので戻すと、内藤礼さんの作品は実は今まで見たことがありませんでした。

直島の家プロジェクトという作品群の中にあるのですが、それは予約制で15年前から予約がとれない。。。

つまり彼女の作品は写真で見ただけだったのですが、どうしても行きたいという気持ちは常にあり、今回日本で時間があったので、念願叶い豊島美術館へ行ってきました。

ちなみに、奇跡的に家プロジェクトの方の作品も毎日サイトをチェックしてたら奇跡的にキャンセルが出てたので、行けることになりました。

 

それでまあ行ってきたのですが、私の感想、感じたことは「感情が生まれる前の何か」があるんだというものです。

豊島美術館での内藤さんの作品は簡単に言ってしまえば、穴あきのコンクリートの中で紐が揺れ、地面から湧き出た水がこぼれ、風が吹く。雲が流れ、(夏だったので)蝉が鳴く。

これだけでした。

 

僕にはそこに心を動かされるという「何かが動いた」という意味での感動は自分の中に起きなかったし、すごいなぁとか、圧倒されるなぁとかもありませんでした。

でも、自分の知覚が何かを知覚しているのはわかり、それは感動というには大げさな何かでした。

 

それは何なんだろうと、自分の知覚を整理したら、「感情が生まれる前の何か」なんじゃないのかと思います。感動というのは、自分が知覚し、心が動かされたからこそ感動と呼べるわけですが、それはドミノのように、何かが伝っていかなければ動きません。

では、その感動の源泉となる「何か」ってなんなんだろう。

その琴線に触れた気がしました。

 

僕が好きな映画のシーンに「『アメリカン・ビューティー』という映画の中で1組のカップルがテレビに映し出されるゴミ袋がただ舞っているのを見る」というのがあるのですが、それに近い感覚です。

今思い出して見ても、その感覚はうまく表現できず、例えば、「すごいなぁ」という一切の感情を排して、植物の種から芽が出て地面に出てきた瞬間を垣間見たような感覚とも思います。

 

生命が生まれて大きくなって子孫を作る。それは死ぬことと隣り合わせという感覚を僕らが持っているからこそ、いちいち反応して感情を持つわけですが、その一方でその生から死、死から生というプロセスは、感動なんか起きる必要がないくらい当然にあるもので、それは人間を含めた感情を持つ動物が勝手に解釈してそう思ってるだけに過ぎないものでもあります。

 

その後者の提示を豊島美術館ではしているんじゃないかなというのが僕の感想でした。

 

瀬戸内国際芸術祭のない年の冬にまたひっそりと訪れて、内藤さんの作品「母型」と話をしたいなぁ。

 

 

 

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