英国の、船上の鍼灸師の日記 the diary of acupuncturist on Great Britain, cruise ship

2012年から客船で鍼師として働いていましたが、2017年からロンドンで再び治療家として働いています。治療のこと、クルーズのこと、食べ物のこと。色々綴っていこうと思います。

「細胞は入れ替わる、身体には知らないことがある」からの「『今が幸せならいいんじゃないか再考』と万引き家族」

お題「これって私だけ?」

 

30代に入って、同世代と話すトピックの1つに「子供は欲しいか。」ということがあります。特に女性は35歳を過ぎると卵子の状態も悪く、また数も減るため、その現実に向き合わないといけません。

 

僕はあまり子供が欲しくありませんでした。それは、自分と同じような境遇に子供も置かれるんじゃないかという不安です。小学生の頃から、割に「空気が読めない」と言われ続け、周りから物心がついたころから「変わってるなぁ」と言われました。

そういうこともあり、自分が周りの環境に馴染んだということがほとんどありません。

船で働いていた時に快適に思ったのは、僕が「異邦人」でよく、日本人であることを強制されないからです。

 

そういう自分の意識に囚われているのは承知しています。しかし、そういう気持ちで育ってきたため、自分に仮に子供が出来たら、自分の子供も僕と同じような気持ちになってしまうんじゃないかと思ってしまい、子供は要らないかなと考えてました。

一種のトラウマに近いものなのでしょう。(家庭内暴力を受けて育ってきた人が、それが愛情表現と錯覚してしまい、自分の子供にもしてしまうような理屈に近いのではないでしょうか)

 

どうしてこんなに囚われてしまっているのか。自分でもよくわかりません。でも一方で、自分はその考えを客観視している部分もあり、だからこそ友人だけでなく患者さんにもそういう話になれば、自分のこの考えを言います。

贔屓にしていただいている方からは、「自己愛が強すぎる!」と言われたり、「過去は過去で色々あったにせよ、今が幸せならいいんじゃない?」とか言われたりします。

 

でも、生みたくて生んだんじゃないということで虐待に会っている子供のいたたまれない事件なんかを見聞きしていると、もし万が一、そういう後悔(自分の子供が自分のような気持ちになる)をしてしまうなら、「しない」という選択をする方が、大きな間違いをしなくて済むのかもしれません。

 

 最近いくつかのトピックを知る中で、その思考のままでいいのかなと思うようになりました。

1つ目は、「身体はトラウマを記憶する」を読んだこと。

身体はトラウマを記録する / ヴァン・デア・コーク,ベッセル【著】〈van der Kolk,Bessel〉/柴田 裕之【訳】/杉山 登志郎【解説】 - 紀伊國屋書店ウェブストア

その中でユダヤに迫害された、身体的・精神的トラウマを抱えた生存者のインタビューが掲載されてありました。(私の記憶の中の再現なので、記憶違いがあるかもしれません)

「私がその当時に体験したことを消すことは出来ないし、忘れることも出来ない。(中略)フラッシュバックにも襲われるが、一番その当時のことを思い出さないようにする方法は今の精神状態を安定させること」

 

2つ目は、テレビの番組の中で「身体の細胞は入れ替わる」ということ言及していて、改めて思い出したこと。人体の細胞更新速度

 

3つ目は、野口三千三先生の養老孟司先生の「野口体操」という本の中(

http://www.shunjusha.co.jp/detail/isbn/978-4-393-97018-8/)で、

養老先生が

「体のこの部分が何の役に立ちますか?」という質問に対して、「われわれのもって生まれたものが何の役に立つかはわからない。役に立つ機能というのは、必ずある状況が前提になっている。状況がなければ機能・働きを考える必要がない。(中略)(われわれの体は順ぐりに作られているから、)古い旅館のように建て増しして作っていくのです。建て増しの理由が(魚類からの進化の過程で)色々残っている。(中略)だからあまり単純にお考えにならない方がいいんじゃないでしょうか。」という答え。

そして最後に、「私も若いときは「これ何の役に立ちますか」と聞かれると、「お前さんが生きていて何の役に立つの」といった。それがわかったら教えてやると」という対談の一節があったこと。

 

1つ目はずっと心に残っていて、2・3が最近重なってため、自分が過去にどういう経験をしたかなんて、今にとっては「全く意味がない」し、刷新できることなのではないかと思うようになりました。

「今が幸せならいんじゃないか」という言葉を言われた時には、いや、でも、とか言って口答えしていたのですが、その意味がもう少し自分にとって腑に落ちてきたような気がしています。とはいえ、完全にそう自分から言えるかと言えば、そうでもありません。

なぜなら、こういうことを考えられることになったのは、子供の時にそういうことがあったからです。でもとはいえ、囚われてはだめなんだと思う。

 

囚われてしまっては、目の前にある現実を歪んでみてしまう気がするから。

囚われるんじゃなく、逝かして活かす。そういうスタンスで自分の過去を思い返してみたい。

昨日、最近話題の万引き家族を観てきたのですが、そこで安藤サクラさんが「親に虐待を受けていた自分が虐待を受けていた子供を抱きしめて、ただ抱きしめるシーン」がありました。

 

つまりは、そういうこと。

 

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過去を活かすも殺すも人次第@エフェソス遺跡、トルコ