英国の、船上の鍼灸師の日記 the diary of acupuncturist on Great Britain, cruise ship

2012年から客船で鍼師として働いていましたが、2015年はイギリスで働くために有機食品の会社で働き、2017年からロンドンで再び治療家として働いています。治療のこと、クルーズのこと、食べ物のこと。色々綴っていこうと思います。

治療家は僧侶と医者の間にいる その2 心を診るってなんだ

治療家は僧侶と医者の間にいる。

なぜなら、「心と身体両方からアプローチするからだ」と書きました。

 

じゃあ、心を診るって何なんだろう。

 

人の話を聞く。

それだけでいいのかもしれないし、それだけじゃ不十分なのかもしれません。

 

励ます。

励まされたい人もいれば、励まされたくない人もいるかもしれません。

 

それは音楽に近いものなのかもしれない。

女性の声が聞きたい時もあれば、男性の声が聞きたい時もある。

また、歌声が聞きたい時もあれば、声が邪魔で、楽器からの音だけを聞きたい時もある。

 

混乱していると、でも、どういう音楽が聞きたいかわからなくなることがありませんか?

i-Tunesを立ち上げて、ランダムに音楽を流して行くと、どうも落ち着かないなと、どんどんスキップしていく。その行為がまた、集中力を削ぐのですが笑、ふとした時に、▶︎▶ボタンを押さずに音楽が流れていることがあります。

そして、私は、こんな音楽が聞きたかったのだと、ざわざわしていた心が落ち着きます。(このブログを書きながら、あれこれ考えていた時に、流れてきて心に落ちた音楽は DucktailsのPorch Projectorでした。)

それは、川から桃が流れてきた桃太郎の一節みたいに、音楽の大河から、自分が何かをつかみ取ったようでした。

 

これが心を診るということかも。

ふいに思います。

その人が悩んだり、苦しんだりしていると、何がどうだか冷静に自分を客観視できなくなってしまいます。

 

治療家のもてる財産の1つは、治療を通して得られた多くの患者さんの身体と心の人生を過去・現在・未来でもって知っていることだと思います。

上に書いた音楽の大河から、その時聞きたい音楽がふっと届くように、私の財産が、その時知りたい言葉を贈ることが出来るのかもしれません。

 

治療院には、身体に表出する症状を改善するために来院されます。

それが心の癖から来ていたら、心を診ないといけません。(その1に書いたように、心身一如ですから。)

その時、知りたい言葉を贈ることが出来れば、心は癖を修正出来るかもしれません。

(それを身体に置き換えると、「身体にその時受けたい刺激を贈ることが出来れば、身体は姿勢を修正出来るかもしれない」と言えるかもしれません。)

 

でも、身体の姿勢が元に戻るように、心も癖が戻ってしまう。

 その時に応じて、患者さんへ言葉を贈ることが出来れば。

 

そうありたいな。

 

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