人に触れること 侵害刺激のない触診3
先生が仰られるには、侵害刺激のない触診をすることが施術の初めの一歩で、そこからまだまだステップがあるとのこと。
次に患者さんのエネルギーを感じ取る訓練をし、患者さんに流れている凹凸で不均一なエネルギーを均一にする。
そうして初めて、内臓や頭蓋に触れてから治療をすることが出来る。
とのこと。
私は何の気なしに船や陸地で患者さんの身体や頭蓋に触れてきました。
しかし、先生にとっては、触れる・治療をするという行為がいかに繊細で脆く、それは同時に影響を及ぼすものであるものなのだろうと思いました。
患者さんが発するシグナルに、耳を・手を・意識を研ぎ澄まし感じることが出来るなら、人を診ることはもしかしたらそんなに難しくないのかもしれません。(現にその先生は短いと8分程度、患者さんの感情が問題となっている場合は2-30分程度で施術を終わられるそうです。)
先生はこうも続けていました。
「私の領域へ来れるかどうかはあなた次第。近づけるものと信じて努力し続けるか諦めるか。」
我々治療家の仕事が1つの芸であることを痛感する言葉です。
話を戻します。
「侵害刺激と認識されない触診が出来たと仮定して」と前奥きした後で、エネルギーを患者さんに送る方法も説明してくれました。
「自分の頭から天の気が通り、足から地の気が通る。その気を下腹部から太い管を通すイメージで患者さんに流す。」
絵を描いて説明してくれました。
イメージは出来るのですが、実際にエネルギーを通せるかと言えばそれはまた別で、「エネルギーを通そう」という意識自体がすでに邪念だったりします。
禅問答だったりしますが笑、私が「自分で侵害刺激のない触診を訓練するにはどうしたらいいですか?」と質問したところ、「瞑想だろうね。」と仰られていました。
今回のセミナーを知る機会になった先生のブログでも、「自分がどういう心持ちや意識でいるかが一番大切です。」というようなことを書かれていました。
この2人の先生の人柄や発せられる気は全然違いますが、その態度や意識の根っこには共通している部分があるのだと思いました。
それに関連してですが、先日運転している時にハンドルを持つ両手にとても力が入っていることに気づきました。
そこで「できるだけ力を入れずにハンドルを握って運転してみよう。」と思って試したところ、普段よりも車内で流しているポッドキャストをより集中して聞くことができました。
この感覚はなぜ起きたのか。
車を運転している場合、信号や人に気をやるなど事故に遭わないために常に自分の意識を外にやります。
それは受動的意識ではなく、能動的、つまりこちらから情報を掴みにいく意識の状態です。
その一方で、聴くという行為は多分に受動的だなと思うことがあります。
まず、耳という構造自体が受動的な構造ではないでしょうか。音を拾うためにほら貝のようになっている。
構造という観点で言えば、味覚も受動的、触覚と視覚と嗅覚は能動的ではないかと、これは完全に主観ですが思っています。
話が逸れましたが、能動的な感覚を下げることで受動的感覚が高まり、より集中して音が聴けたのかなと解釈しています。
そして、この受動的感覚の感度をもっと上げることができれば侵害刺激と認識されない触診ができるように思いました。