あなたは本当に優しいですか。
優しい。
自分はそうありたいし、また家族や恋人、友人もそうあってほしい。
でも、優しいってどういう意味なのでしょう。
「趣味は音楽を聴くこと」
と書いたことに対して、意味があるようでないのと似た(音楽を聴かない人はいないので、聴くのを趣味とするなら相当な教養がいると思うため)、意味を掴むのが難しい。
「優しい人が好きです」と好きなタイプで書く人もいますが、その意図ってのは何なんだろう。複雑な意味を持っていると思っています。
深読みしてるだけなのでしょうが笑、何気なく書いたり思ったりしてるものやことこそ、そこに隠れた意識があるように思います。
「優しい=相手のことを思いやる」だとするなら、「優しい人が好き」=「私のことを思いやって欲しい」となり、私は自己中心的な人と宣言してるのか!?
などと、若い時は理屈をこねまわしていました汗
言葉の意味がわからない時には漢字を分解してみます。
優とは人を憂う。なので、相手を憂いている人が優しい人ということになります。
でも、憂は憂鬱につながるので、優しい人は憂鬱になりやすいのかもしれません。
じゃあこの「憂う」。
どういう時に憂いてもらったら嬉しいでしょうか。
そこが大切になってきます。
気遣いと優しいは表面上意味が似ているけど、本当は全然違っているんじゃないかと考えています。
以前は気遣い=優しいと思っていました。
でも、「あなたは自分が優しくしたい時に優しくして、自分がしたくない時に、優しくしない。」
親しい人からのこの一言で、私は打ちのめされました。
自分が相手を想ってしようとしていたことの薄さを知らされました。
その時私は私が優しくないんだなと思い知らされました。
その時は何も言い返せずただただ凹み、時間が経ち振り返ってみた時に、あぁ、私がしてたのは「気遣い」なんだなと思ったのです。
気遣いとは気を遣る。遣るは派遣社員などでも使われるように、そこに送るなどの意味がある(と辞書はひいてませんが、私なりに解釈しています)。
つまり気遣いとは、「自分の気を送る」ということです。
「気遣いができる人」と思い浮かべた時、その意味はそんなに間違ってないと思います。
でも、その「気遣い」。一方的だと思うんです。
つまり「気を送る」に、相手の気が考慮されているかはわからない。
だって、派遣のように「送る」なわけですから。。。
だから上に書いた、「自分が優しくしたい時に優しくして、自分がしたくない時に、優しくしない。」
は気遣いはできるけど、優しくない人の
ことを指し、まさしくの私のようなことを言うのでしょう。
優しいとは人を憂う。
気を遣るのではなく、憂いて相手が助けを求めている時にこそ、手を差し伸べられるようになりたい。