私なりの傾聴の仕方 初めて人の役に立てたかもしれない その3
どうすれば人の役に表面的な意味ではなく立てるのか。
前回は、「共感するとは、自分を抑制すること」なら、共感することへの長期的な落とし穴?について考えました。
私は近しい間柄の人に共感するのが苦手であり、それはつまり、自分を抑制することが苦手だということになります。
実際そうですが。。。
抑制を違うものとして捉えられないか。新しい見方で共感を考えなおせれば、私でも共感ができそうな気がしています。
傾聴ってご存知ですか?
震災の時によく言われます。傾聴ボランティアなんてのもあるらしく、テレビで取り上げられていました。
聴くに傾く。
聴く側がこちらから意見を発さずに、ただただ相手の話していることを聞くこと。
「被災した」というキーワードがあればいいですが、何も自分に関わるキーワードがないという人にどう傾聴しますか?
私たち治療家には診断という手があります。
東洋医学には望(観る)聞問切(触れる)の4つの診断法で判断します。
私は特に望診と問診を重視します。船であまりコミュニケーションが取れない中で治療を行ってきたからか、その2の方法を通して、私は患者さんの気持ちの奥にあるイメージをつかむことができるようになりました。(もちろん全員ではないですし、相手が心をどこかで開きたいと思ってる場合に限りますが)
例えば、船でみた20代前半のアメリカ人男性。
大学生の時から起業し、ビジネスで成功を収め、船にバカンスでやってきていました。(6つ星のクルーズに来るぐらいですから、相当なもんです)
リラックスしてくつろいだ顔をしており、特に身体の問題もないということでした。(試しに受けてみたいという人はどんな国でもいます笑)
しかし私には、一目見てなぜか彼が退屈そうにみえたのです。それは仕事で疲れているとはまら別の質のものでした。(感覚的なもののため、言葉にしにくいです。)
私にはそういうイメージが入ってくる患者さんと入ってこない患者さんとがあり(入ってこないから治らない、仲良くならないとは別)、入ってきたらそれをそのまま伝えるようにしています。
すると彼は驚いた顔で、「その通りだ。」「自分の始めたビジネスがうまく行って順風満帆なのだが、刺激が足りない。売却するか考えている。」と言っていました。
こういう感じで、初対面でその人の少し奥を感じられることがあります。
そして、それ以降、彼は私に心を開くようになり、自分の思うことなどを素直に話してくれるようになりました。
治療家と患者さんという関係の時点で上下関係が存在し、患者さんが聞かれたことを話す。という図式が存在しやすいですが、中には心の中に隠しておきたいこと、また、どうしてこいつなんかに話さないといけないのかという反発など、そう単純なものでないこともあります。
でも、望聞問切を通して、アクティブに相手のことを知り、掴んだイメージをそのまま伝えることで、相手の心が開くという瞬間が確かに在ります。
それは1つの傾聴の形ではないかと思うのです。(毎回アクティブではなく、何個かボールをほってみて相手から何も返ってこなければ、私はそれ以上何も尋ねず話しません。なぜなら、その時はそれがその方への傾聴だと思うからです。)
そして、そのようにして相手が話し出すと、「ああこの人は心が緩んだな。」と感じることができます。
ちなみにそれは、私が今まで観てきたどんな美術作品よりも美しい瞬間です。
自分を抑制するのは苦手です。
でも、抑制の意味・やり方を変えれば私でも傾聴し、共感し、人のお役に立てるのかもしれない。
抑制とは逆の解放の気持ちを持って、相手が心を開くように心を砕く。
そして、人がその人が本来持つ声・気持ちで話し始めたら(仲の良い友達と話しているとそうなることがあります)、自分を抑制する。
ちなみに、相手がそのように話し始めたら、自分は抑制してるつもりはないのに、抑制していることはよくあります。理由はよくわからないのですが。。。
それなら私にもできそうです。
傾聴。
聴くに傾く。
それが共感となり、人のお役に立つ。
もっとお役に立てるよう、精進していきたいと思います。