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英国の、船上の鍼灸師の日記 the diary of acupuncturist on Great Britain, cruise ship

2012年から客船で鍼師として働いていましたが、2015年はイギリスで働くために有機食品の会社で働き、2017年からロンドンで再び治療家として働いています。治療のこと、クルーズのこと、食べ物のこと。色々綴っていこうと思います。

共感と認知症への私見 初めて人の役に立てたのかもしれない その2 寄り道

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「今まで人の役に立てたことってある?」

 

これを私に尋ねてきた人は、「どうすれば役に立てるのか?」という私からの質問にこう答えました。

 

「共感する」ことだと。

 

相手の立場に立ってみる。

よく言われる言葉です。

 

なんでも明らかにするのは正しいことでしょうか。

とても難しい質問です。

 

共感する相手が近しい人間関係であった場合、それを長期で捉えると問題が起きることもあるのではないでしょうか。

それは共感した側の人間が、共感した相手に自分の気持ち・意見を合わせるばかりに、自分の気持ちを抑えることになるからです。

 

私が臨床経験の中で、認知症について思うことがあります。

認知症という病態の奥にあるのは、患った人の「怒り」ではないかと。

 

「介護殺人」というドキュメント番組を最近見ました。

その中で、奥さんが旦那さんに罵詈雑言を浴びせ、男のかたが精神的に参ってしまうという場面がありました。

 

私が診た人の中でも、すごく穏やかでいい人であった方が認知症を患い、周りに迷惑をかけるといったことがありました。

そして、その過程が終わると、何もせずただ静かにしていました。抜け殻のように。

 

それほど認知症を診てきたとは思いません。でも、その方々に共通するものがあるなぁと感じていて、それを「怒り」、それは意識より深い場所にあるもの、に置き換えると私には腑に落ちるのです。

 

そして、その怒りが生まれてしまった基が、自分の気持ちを抑え込んだことにあるように感じるのです。

 

これは私が主観で感じて述べていることですが、認知症の方を近しい人に持つ方に、その私の感覚を述べた時に、なんとなくわかるという方もおられたので、もしかしたら、ある種の認知症の原因の1つになり得ているのかもしれません。

 

それが仮に当たっているとして、予防のために治療するとなっても、それはなかなかやっかいです。

なぜなら、本人に自分の気持ちを抑制している自覚がなかったり、たとえそう当人がそう思えても、それをどう解放してよいのかわからないことが多いからです。(そういう方には、その方を頼ってくる人を引き付けることが多々あり、人間関係としてややこしいことが多く、その人が我慢すれば(表面上)うまくいっていることが多いように思います。)

 

気づいてない場合は、当人に自覚を持ってもらえるようにこちらが働きかければいいですが、自覚している場合はどうすればよいのか。

 

それは巡り巡って「共感する」ことなのかもしれません。

 

治療家と患者さん。

どれだけ距離が近くなっても、最終的には血縁関係のない他人です。

でもだからこそ、距離が近くなれることがあり、共感しやすかったりします。

それは以前書いた、「痛ましい事件に心を傷めるのに、身内にはすぐイライラしてしまう」状況に似たものがあります。

他人への共感したその思いを身近な人にも忘れないうちに持つ。

 

そして、どちらか一方が他方に頼り、我慢させ続けるのを防ぐために、お互いが言葉にして共感し合えたら1番いいのかなと考えています。(言葉にしないと、絶対に自分の共感してる内容が独り善がりになる可能性は高いなぁと思っています。)

 

 

今回は寄り道でした。