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英国の、船上の鍼灸師の日記 the diary of acupuncturist on Great Britain, cruise ship

2012年から客船で鍼師として働いていましたが、2015年はイギリスで働くために有機食品の会社で働き、2017年からロンドンで再び治療家として働いています。治療のこと、クルーズのこと、食べ物のこと。色々綴っていこうと思います。

なぜメキシコ人は英語を話せるのにスペイン語を話すのか?への考察 その2

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「私たちはメキシコ人なんだ。どうして英語を話す必要があるんだ?」

この答えを聞いた時、私はまず「日本人ならこういう回答はしないよな。と思いました。

日本人には英語を話すことに対する憧れ、逆の見方をすれば話せる人への劣等感があるように思います。

それはメディアなどからのイメージ操作によりものもあるでしょうし、事実として英語を話せれば自分の活躍出来る可能性が広がります。

つまり、英語という語学は自分にとってプラスαであると言えます。

しかし、メキシコ人にとってはその認識が違ってくるのではないでしょうか。

地続きであるにもかかわらず、誰かが引いた線によって区切られる境界線。

その線を境に、国がそしてまた貧富の差が違う。

地続きだからこそ、その相手の言語を話すことで容易にそこで仕事を見つけることができる。なぜなら雇用する側は賃金を安く抑えられるから。(もちろん、そのお金も自国へ持ち帰ると大金となる。)

そうした状況を考えれば、英語という語学は日本人にとってプラスαだったとしても、メキシカンにとってはそういう側面というよりはむしろ、生活のための手段と言えないでしょうか。

クルーズでカリブ海を巡ると、船に乗ったアメリカ人やその他外国人が自分たちの国を我が物顔で、自分たちが買えないものを易々と買っていく。

現地の人は何も言いませんが、きっと感じることはあるはずです。

私も三菱重工在籍時にインドネシアへ出張に行ったことがありますが、同じようなことを現地の代理店の人に言われました。彼から、出身国だけである種の地位が決まってしまうことに対する諦め、というのを勉強したように思います。

話が逸れましたが、英語が生活のための手段となると、自分たちの言語が自分たちを形成しているんだ!と感じるのは当然なのかもしれません。

それが、見かけは同じでもアメリカ人とメキシコ人を唯一分けるものなのかもしれないわけですから。

日本は英語が話せなくても、生活ができます。GDP世界第3位なわけですから。

なので、言語をアイデンティティと思う必要がないのではないか。

だから英語を話せる人をかっこいいと思うのではないでしょうか。

「私たちはメキシコ人なんだ。どうして英語を話す必要があるんだ?」

改めて、色々と考えさせてくれる言葉だなぁと思います。