ロンドンの、船上の鍼灸師の日記

2012年から客船で鍼師として働いていましたが、2017年からロンドンで治療家として働いています。治療のこと、クルーズのこと。色々綴っていこうと思います。ウェブサイトはこちら。https://www.junjapaneseacupunctureandshiatsuclinic.com/

メモ。どうして、右、左、腰、首に痛みが出るのかの試案と私案。

お題「マイブーム」

左右差というのが最近気になっています。

 

どうして右が痛い人もいれば左が痛い人もいるのだろう。手が痛い人もいれば足が、肩が腰が痛くなる人がいるのだろうか。

 

それがわかれば苦労しません汗

でも、原因があるはずです。

 今回はノープランの手探りで左右差について考えてみようと思います。

まず、身体の左右差について僕が知っている情報。

 

1)右半身は交感神経支配、左半身は副交感神経支配

2)右脳は直感、空間認識などを司る、左脳は言語、論理的思考を司る

3)肝臓は右半身に主に鎮座し、心臓は真ん中から左。S状結腸は左から始まり、最後は真ん中で終わる。脾臓は左。

4)肝臓、心臓の影響で肺や腎臓は形や位置が左右で違う。

5)リンパの流れ。右上半身は右リンパ本幹に流れ込み、右静脈角(右内頸静脈と右鎖骨下静脈へ流れ込む)それ以外は胸管へ流れ込み左静脈角へ流れ込む。

 6)左腎静脈は腹大動脈をまたぐ

 

まだまだあるのかもしれません。でも、パッと思いついたのはこれぐらい。

ここで書いてて面白いことに気づいたのですが、臓器の中で脾臓だけが明確に左に位置している。(他は中心または反対側に存在したり、位置したりしている)

 

また、

一方で、上記5)で書いたリンパ液の流れも動脈静脈に比べて左右差があることとも絡むが、脾臓はリンパ球を多量に蓄え、体内で最大のリンパ器官と言える。

脾臓の概要 - 13. 血液の病気 - MSDマニュアル家庭版

脾臓の病気|東京慈恵会医科大学 肝胆膵外科

 

つまり、左右上下で痛みが出やすい原因の一つを体の構造から求めるなら、一つの原因は動脈静脈よりもリンパの流れの問題と言えるのではないだろうか。(特に右肩と右腕)

 

そもそもどうして体の臓器に左右差が生じるのだろうかとインターネットで色々検索してみたら、面白いものがいくつか出てきた。

臓器の左右の配置と形を決める遺伝子〜日経サイエンス2006年6月号より | 日経サイエンス

https://www.chart.co.jp/subject/rika/scnet/34/sc34-3.pdf

 

僕らの胚の中で「ノード」と呼ばれる組織の中にある繊毛が回転運動をし、それによって生じる水流(ノード流)というものが左右対称性を破るきっかけとなるらしい。

ちなみに、上のサイトにあったけど、その遺伝子を操作することで左右の後腸(人の大腸小腸に該当)の位置が逆転したハエを作ることに成功したとのこと。

 

それ自体にどういう意味が生じてくるのか、正直僕にはわかりませんが、このノード及びノード流が形成するものが脾臓とリンパ液の流れとどうにか関わってくるのかな。調べてみてもわかりませんでした。

 

どうして、人は局所的に痛みが出てくるのだろう。

ひとまずリンパ液に着目して、施術を考えてみたいと思います。

 

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自分の施術の特徴の考察 〜関節の詰まりと隙間を見つける〜

ご贔屓にしていただいている患者さんから僕の施術の特徴をうまく表現していただきました。

 

「先生は関節の隙間を見つけて施術するのが得意ですね。」

 

自分の施術の強みって何なんだろうとずっと考えていました。

人より強く揉むことに抵抗はない(強く揉むのが嫌いという人もいれば、強い刺激に対する拒否感など色々なセラピストがいます)し、人より強い刺激を入れられるとは思っています。

でもそれって本当に強みと言えるのかとも思いますし、患者さんの身体の反応から強い刺激を入れているだけであって、何でもかんでも強く刺激したいわけではありません。

 

個人的には誰よりも強い刺激と誰よりも弱い刺激ができる施術家になりたいと思っています。

 

「骨盤矯正」や「美顔鍼」など短く表現できる自分の施術の特徴がないことに戸惑いがあったのですが、今回指摘してもらった言葉に自信を持って「関節の隙間」を見つけるのが得意だと言っていけるように頑張りたいです。

 

「関節の隙間」って何なのかも改めて考えておきたいと思います。関節は骨と骨をつなぐ場所で、ドアでいう蝶番に当たるところです。

 

マッサージといえば筋肉をほぐすもので、酸素不足によって硬くなった筋肉に対し刺激を加えることで酸素ないし栄養を与え柔らかくするというイメージを持たれると思います。

僕の施術はマッサージを通して筋肉を柔らかくしますが、それとは別に動きの中で生じる不具合にも重点を置いています。

「動き」というのは「骨が筋肉や種々の膜によって動かされ、関節を通して力が体幹から抹消へ、また、末梢から体幹へ伝わっていく様子」をいいます。

関節には理想とされる動きがありますが、重力や食べ物、日常の動作などで固まってしまい、クセができて関節に偏り、強張りができます。

それは単純に筋肉をほぐすことで解消される部分もありますが、一方で、関節を動かすことでしか現れない筋肉の表情というのがあります。

 

骨も関節も筋肉も三次元で構成されており、立体です。

当たり前の話に思われるかもしれませんが、案外見落とされな部分であり、関節を動かすことでしか表出しない筋肉の硬さが存在し、それは動かさなければ感知できません。

 

関節の隙間に焦点を置く施術は他にもあります。関節のアライメントを調整するカイロプラクティックだってそういう施術と言えるかもしれません。(間違っていたら申し訳ありません。)

でも、マッサージや鍼をを起点としてそこに焦点を当てているのが僕の施術であり、だから患者さんに冒頭に書いた言葉をいただいたんだと考えています。

 

まだ考えが断片的だし他にも自分の特徴ってありそうなのですが、思いつきません。

とりあえずここで筆を置こうと思います。

 

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気管支喘息に手首のツボが効く!という考察

 

 

この症状にこのツボが効きます!

という謳い文句を、仕事柄よく耳にするというか、どうしても治療業界、しかも鍼の業界に携わっているとピックアップしてしまいます。

 

どの業界でもよく使われる言葉なんてのがあり、IT業界にいる人は違う謳い文句をよく耳にするんだと思います。

鍼灸の学生だった時や資格取り立ての時には僕もよくそれを参考にして施術していました。

 

ところが、年数を経て患者さんを診ていくようになると、この症状ならこれが効くはず!と思っているものが全く効かずに焦る。。。というシチュエーションは誰にでもあります。(逆になかったらすごい!)それでまた試行錯誤が続き、少しずつ施術家としての幹が太くなるというのが、施術家の現実でしょう。

 

船で働いていた時は持ってきた本も限られていたし、ネットの環境も限られていたので、自分で試行錯誤するしかありませんでした。

そういう中で考えていったのが「どうして気管支喘息に手首のツボが効くのか。」また、「どういう時に手首のツボは気管支喘息に効くのか。」ということです。

 

手足など末端にあるツボが首や肩、腰などの体幹にどうして効くのか。

全部とは言いませんがその理屈の大半は連動という概念で説明できると考えています。連動→連なって動く。(その全てのベースは呼吸と歩行だと個人的には考えています。)

末端と体幹が関係を持ちながら動きは成立し、末端は体幹体幹は末端へと力が伝わります。

つまり、手を振って前へ出ると、その力は前腕→上腕→鎖骨を経て体幹に伝わる。(上腕から胸郭というルートもあり。)

例えばスマホやパソコンのし過ぎで指の筋肉を使いすぎ、手首が内に捻られていたら、その内に捻られている力が鎖骨へ行き、体幹、特に上位肋骨へ伝わる。

肋骨が硬くなるということは、肺の動きも制限されてうまく呼吸ができなくなります。すると、元からアレルギー体質である身体であれば、喘息を引き起こしてしまうかもしれない。(アレルギー体質にならないように気をつけていれば喘息にはならずただの肩こりで終わるかもしれません。)

 

じゃあ全ての喘息に手首のツボが効くのかといえばそうではなく、「手首を内に捻る筋肉が硬くなり、上位肋骨の動きが悪い場合」に限るのではないでしょうか。

(それ以外でも条件しだいでは手首のツボが効くケースもありますが、それは手首と肋骨との別のつながりを説明しないといけないので今回は省略。)

 

これは勿論僕の考察であり、異論を唱える人もいるでしょう。でも、この症状にこれが効くと覚えるより、このツボはなぜこれが効くのかを考える方がどう考えても合理的だし、応用が効きます。

そうすることで、臨床で焦らなくてもいいように僕はなっていきました笑笑

 

これっていつも思うのですが、歴史の学習に似ているなと思います。ただただ人物名を覚えるだけじゃなくて、どうしてこの人物がこの時に出てきたんだろうというように。また、ソニーパナソニックが昔は白物家電を席巻していたのに、アップルがなぜ今世界中のシェアを伸ばせたのかを考えるように。

 

ツボの意味を考えることは世界の成り立ちの意味を考えるんじゃないか!

なんてたいそうなことを考える今日この頃です。

 

 

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自分の感覚と客観視と

文章っていろいろな書き方があると思うんですが、最近気になったのが、自分の感覚を伝えるか、状況を客観視して伝えるかということです。

 

例えば怪我をして血が出たときに、
自分の感覚で書けば「道端で転んで怪我をした。膝からどろどろとした赤いものが流れてきた。」となるのに対し、客観的に書くと「道端で転んで怪我をした。膝をすりむいて血が出てきた」となる。

 

その後、歩いていて痛みを感じたときに、
「歩くと血が出たところから、いなずまのようなものが走り、膝から下が自分のものじゃないような気がする」
「歩くたびに転んだ箇所に痛みが走り、自分の体重をのせられなかった」

と書き分けられたりする。

 

ある女優さんのエッセーを読んでいるときに、この人の文章なんか素敵だなーと思っていて、どうして素敵なのかと考えたところ、一番はじめに書いたことに思い当たったわけです。

僕は堅い文章を書く人間で、例だと後者の書き方をブログでも日常生活でもしてきました。ちなみにその女優さんは前者のような書き方をされてるように感じています。

前者のような書き方を真似てみたときに感じたのが、「言葉は呪文だ」ということ。「どろどろとした赤いもの」ってもちろん「血」のことなんですが、「血」が誰にとっても同じように「血」であることは、客観的に伝えるという意味では正しいと思うのです。
でもその「血」ってどういう感じ、感覚なのかを考えると、人によって違ってきます。状況によってももちろん。そうなら「血」は「血」であるようで「血」じゃなくなる。

 

だから、その転んだときの「血」を「血」というただの記号で伝えないその時の「私の血」を文章として書くために、「血」ということばを使わずに血を表現する。
その時に、文章は書いた人独自の個性を持つんだろうし、小説家というのはその文章を紡いで物語を書く人のことなんじゃないでしょうか。

文章を書いて自分の独自の感覚を伝えるってすごく難しいなぁと改めて思います。

 

施術家でも、理論的に考えて身体をみる人と感覚を大事にして身体をみる人とにわかれる気がします。

僕はどうなんだろう。。。と考えたのですが、理論的に考えていそうで、最後は感覚を大事にしているなと思います。

 

カイロプラクターは背骨の骨の何番がどう傾いているかを分析して調整します。そこはとても理論的で、細かいところまで見る必要もあります。

僕はそれに挑戦しようと何度もしましたが、全然できない。ある程度のイメージを理論的に見ますが、そこまで精密にみる時間も集中力ももてません。。。

全体を触ってイメージを持って得た違和感からアプローチしていっています。

 

どっちが正しいのかはわかりませんし答えはありませんが、自分は全体のイメージから絞っていくやり方の方が性に合っている気がします。

精密さはもてていませんし、持つ努力はしていますが、どうしてもできないので自分に合うと感じるやり方で精緻さを持てないかなと今は考えています。

 

師匠に怒られる気もしますが、まあ仕方ないと諦めて頑張ります。

 

自分にもっと素直に。文章も自分の感覚を磨いて書いていこうかな。

 

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「身体が弱い」の考察。横隔膜と肝臓、胃、食道がどう繋がっているんだろう。

お題「マイブーム」

 

施術家にとって施術を考えるのは、マイブームという名のライフワークですが、前回に続いてお腹について考えます。

 

横隔膜の動きを撮影した動画があります。

www.youtube.com

 

これを見ると、吐く動き、つまり、横隔膜が縮まる(=上に上がる)動きは活動的に見えます。その一方、吸う動き、つまり、横隔膜が緩み下に拡がる動きはほとんど見られません。(付いている胸郭の底部より下にはほとんど下がりません。)

普段意識して呼吸をしてみると、少なくとも私にとっては横隔膜が胸郭より下に下がって大きく吸えてるなぁと勝手に思っていましたが、実際身体に起こっている動きは私たちが勝手に想像している動きとは全然違うことがよくわかります。

 

身体が弱っている高齢者や、そうでなくても体調が優れなかったり、元々身体が弱い人で胸郭と臓器とが離れているなと思う人がいます。胸郭の底部つまり、横隔膜がつくところがくっきりと浮き出ている方です。

どうしてこの方は身体が弱いのかなと考えていたのですが、この呼吸の動画を見て思いついたのが、吸う時に胸郭・横隔膜が密接に接続する胃・肝臓・食道をうまく押せないからだと思うのです。

 

オステオパシーという治療法にヴィセラルマニュピレーションというテクニックがあり、これは内臓が持つ独自の動きを回復させようとするものがあります。

例えば肝臓と胃の間には肝胃間膜というものがあり、この膜が何らかの理由で硬くなってしまうと、肝臓と胃はそれに邪魔されて独自の動きができません。この膜をセラピストの手で緩めて、独自の動きを回復させるわけです。

セラピストの圧でもって膜の圧・抵抗を感知し、その膜の硬さをとるわけですが、よく考えると呼吸という動作が胸郭と腹部臓器の隔たりとなっている膜を仕切りとして上と下が押し競饅頭のように押し合いっこしているわけです。

ところが、上記の方のように肋骨が浮き出ているとような方だと、横隔膜が胃や肝臓を押そうと思っても、うまく押せません。

つまり、硬くなってしまった肝胃間膜を横隔膜で押して緩めることが出来ないわけで、自分で自分の身体に対してヴィセラルマニュピレーションができないということになります。

それは自分で自分を治療する力が弱い→免疫力が弱いということになり、一般的に言われる「身体が弱い」人になります。

 

一方その逆もあり、特に今のような忘年会シーズンに多いのですが、食べ過ぎ飲み過ぎで、胃や肝臓が横隔膜を押し上げてしまい、胸郭にストレスがかかって肩がこる人。

食べ過ぎ飲み過ぎの方の肩こりというのは、独特の硬さがあり、初めにうつぶせで肩を触った時になんとなくわかります。

これはまさしく、押し競饅頭で腹部臓器の圧が勝り、上に圧を押し上げた結果といっていいでしょう。重力にも勝るわけですから、相当な圧であることは間違いありません。

 

お互い気をつけましょう。

 

呼吸の動画を見て抱いた違和感を実はこの1ヶ月ぼんやり考えていたのですが、今回ブログにするにあたってかなりクリアになりました。

文章にするというのはやっぱりいいもんですね。

 

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内蔵の輪郭

最近施術をしていて、内蔵の輪郭が気になっています。

というより、以前からそういう変化が生じていたのに、気づいていなかったというのが正しいんだと思う。

僕の仕事が鍼や指を通して、身体に圧を加え調整していく仕事なら、どこかに偏っていた圧を解放することで、圧が分散して圧の足りてないところに移動する。

 

始めは弱っていたのでだらしなかったお腹にいつのまにか圧が集まってきて引き締まっていく。それは肩や腰に溜まっていた圧が移動していった結果ではないのかと思うのです。

(その一方で、輪郭が出て来たと思ったら、また少し緩んだりしている。これはうまくいったのかいってないのか。まだはっきりわかっていません汗。。。)

 

身体は部分と全体がお互いに関連しあいながら引っ張り合いっこをしているなぁとよく思います。

純粋な物理現象に対して、感情や記憶(外傷含む)が物理というものを超えた存在として圧の偏りを生じさせる。

東洋医学に気と血という概念があり、気が血を動かすなんて言いますが、それはまさしくこういうことを指しているのかもと思います。

 

便秘も考えようによれば、「腹圧が弱ったお腹に圧を生じてかろうじて身体が立てるようにしている」とも撮れます。そうであるなら、なぜ便秘が起きるのかの糸口になりそうな気がするのです。

じゃあ下痢はどうなんだろう。圧を保持すらできないのか。もしくは、圧を保持する必要がないのか。その両方か。

 

お腹に圧が戻ると、横隔膜が下がって、胸郭も落ち着き呼吸がしやすくなります。

深呼吸は深く息をすると書きますが、最近それは注意しないといけないと思っていて、「楽に」深く息をしないとかえって、息が浅くなるんじゃないのかな。

なぜなら、楽にしないと呼吸をさせようとする神経が無理に興奮してしまって、いたずらに交感神経を煽るからです。

 つまり、自分の身体が無理をしない範囲で深く呼吸をする。

これはやってみると、案外気持ちがいいです。

 

今日アトピーの人が来られたが、全体がむくんで圧の偏重がとてもわかりにくかった。内蔵が弱るというのはこのことか!という典型例だったと思う。一回では難しいけど、回数重ねればある程度改善できるはず。 

 

もっとうまくさばけるよう、さばけるよう。

 

 

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方法論より原理原則

お題「マイブーム」

 

人を施療し、改善が見込めるようにする。

その意味ってすごく広い。肉体的なものもあれば、精神的なもの、神経的なもの筋肉系、はたまたそれ以外。。。

 

それは複合的なものでその中でも得意なものお、自分が好きなものを選んで仕事にしていきます。

占いを通して施療する人もいれば、マッサージを通してする人もいるわけで。

 

僕はもちろん鍼灸師あん摩マッサージ指圧師なので、身体の組織(筋肉や神経、臓器などはすべて細胞なわけで)を勉強して施療するわけですが、組織をどのように勉強するかというのは本当に色々ある。

脈診や腹診、筋肉の起始停止などなどあげればもちろんキリがないけれど、その中で今ハマっているというかずっとやっているのが、骨です。

骨の解剖図を見て、ここにはこういう筋肉がこうついているとかを妄想する。

 

基礎中の基礎と言えばそれまでなのですが、だからこそ自分の中でまだまだ見落としていることがあり、その見落としていることが、身体にとってとても重要なことじゃないのかと改めて思っています。

例えば、この絵。(ネッターより拝借)

 

 

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肩甲骨から肘までの写真で、筋肉がどこについているかを色分けしています。

これで僕が注目したのが、上腕筋と上腕三頭筋

よく見ると肘より上の上腕筋の下半分はこの2つの筋肉に包まれていることがわかります。

上腕筋なんてのはあまり僕の中では施術のアンテナにひっかからなかったのですが、こうみると肘の安定性においてとても重要な機能を果たしているんじゃないかと思うのです。(そんなことは知ってるわ!という声も聞こえてきそうですが。)

 


解剖の教科書だけではわからないことというのが、骨の形や筋肉の位置情報をみることでみえてきます。そしてそれは、言葉だけを羅列して覚えるより生きたものとして僕の中に出てきます。

治療法という方法論をたくさん知るより、骨に事実として存在する、身体の原理原則を知る方が応用も効くし大切なんじゃないかと思う今日この頃。