豊島の内藤礼さん。「感情が生まれる前の何か」と「生命や物質に宿るおぼろげ」という治療の原点
豊島をご存知でしょうか?
知らない方も直島なら聞いたことがあるかもしれません。
http://benesse-artsite.jp/art/teshima-artmuseum.html
2つとも瀬戸内海に浮かぶ島で、アートと建築と環境が1つとなる場所を目指した場所です。
僕は大学2回生の時に初めて直島を訪れました。それは2004年なのでもう15年ぐらい前ですか。
その当時は今ほど人もおらず、静かな場所でした。
地中美術館が出来た時は中のボランティアスタッフとして働いたこともありましたが、遠い思い出です。
僕が初めて訪れた時でもすでに有名でしたが、その後どんどん有名になり、瀬戸内国際芸術祭がスタートしてからは本土や四国と島々を結ぶ船がいっぱいで溢れるほどになったと聞きました。
人が訪れれば訪れるほど、お金が落ち経済が回りますが、個人的には初めての瀬戸内芸術祭で訪れた時ほど美術と建築と環境との繋がりを感じられなくなり、あと単純に前ほど魅力的に感じなくなったので足が遠のいてしまいました。
しかし、どうしても訪れたい場所がありました。それは豊島美術館です。内藤礼さんという作家さんがこの豊島という島のために作った作品がそこにはあります。
僕が今鍼灸師ないしマッサージ師として働く原点の1つは直島で出会った作品です。
ジェームズ・タレルやウォルター・デ・マリアといった作家の作品に直島で出会い、感銘を受けた作家が共にミニマリズムという美術運動に端を発していたことから、大学の卒論にミニマリズムを取り上げました。美を、美術を掘っていくことの面白さを僕はそこで初めて知りました。
そしてその体験は、僕が治療を行う原点にある「生命や物質に宿るおぼろげ」に触れた初めて触れた原体験と言っても過言じゃない。
その感動があったからこそ、患者さんの横隔膜が膨らんで腹式呼吸になる瞬間だったり、頭蓋仙骨療法で生じるさざ波のリズムに「おぼろげ」を感じることができたし、至福と言っていい程の感動が僕の中に起きるのだと思うし、患者さんのそこに触れて彼らが生命として健全になってほしいと願ってしまいます。
主観的な話に逸れたので戻すと、内藤礼さんの作品は実は今まで見たことがありませんでした。
直島の家プロジェクトという作品群の中にあるのですが、それは予約制で15年前から予約がとれない。。。
つまり彼女の作品は写真で見ただけだったのですが、どうしても行きたいという気持ちは常にあり、今回日本で時間があったので、念願叶い豊島美術館へ行ってきました。
ちなみに、奇跡的に家プロジェクトの方の作品も毎日サイトをチェックしてたら奇跡的にキャンセルが出てたので、行けることになりました。
それでまあ行ってきたのですが、私の感想、感じたことは「感情が生まれる前の何か」があるんだというものです。
豊島美術館での内藤さんの作品は簡単に言ってしまえば、穴あきのコンクリートの中で紐が揺れ、地面から湧き出た水がこぼれ、風が吹く。雲が流れ、(夏だったので)蝉が鳴く。
これだけでした。
僕にはそこに心を動かされるという「何かが動いた」という意味での感動は自分の中に起きなかったし、すごいなぁとか、圧倒されるなぁとかもありませんでした。
でも、自分の知覚が何かを知覚しているのはわかり、それは感動というには大げさな何かでした。
それは何なんだろうと、自分の知覚を整理したら、「感情が生まれる前の何か」なんじゃないのかと思います。感動というのは、自分が知覚し、心が動かされたからこそ感動と呼べるわけですが、それはドミノのように、何かが伝っていかなければ動きません。
では、その感動の源泉となる「何か」ってなんなんだろう。
その琴線に触れた気がしました。
僕が好きな映画のシーンに「『アメリカン・ビューティー』という映画の中で1組のカップルがテレビに映し出されるゴミ袋がただ舞っているのを見る」というのがあるのですが、それに近い感覚です。
今思い出して見ても、その感覚はうまく表現できず、例えば、「すごいなぁ」という一切の感情を排して、植物の種から芽が出て地面に出てきた瞬間を垣間見たような感覚とも思います。
生命が生まれて大きくなって子孫を作る。それは死ぬことと隣り合わせという感覚を僕らが持っているからこそ、いちいち反応して感情を持つわけですが、その一方でその生から死、死から生というプロセスは、感動なんか起きる必要がないくらい当然にあるもので、それは人間を含めた感情を持つ動物が勝手に解釈してそう思ってるだけに過ぎないものでもあります。
その後者の提示を豊島美術館ではしているんじゃないかなというのが僕の感想でした。
瀬戸内国際芸術祭のない年の冬にまたひっそりと訪れて、内藤さんの作品「母型」と話をしたいなぁ。
鶏を殺める2 死が食に変わる。デジタルではなくアナログの生→死を
前回は鶏の首に包丁を入れ、殺めたところまで書きました。
前回も最後に書きましたが、屠殺を行う前に包丁を研ぐ人の気持ちが今思い返すとわかる気がします。
「いのちの食べかた」なんかを観ると、そういう価値観とは全く違う、車にガソリンを入れるように私たちの食べ物が作られてる様子が映されていますが、本当に私たちは「死」を目の当たりにする機会が減ったし、「死」を実感することも減ったなと思います。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/いのちの食べかた
きっとそれはいいも悪いもなく、人類のある地域の意識の総意としてそういう選択をしたんだろうな。
話を戻すと、まず首から下の鶏を逆さまにして、血を鍋の中に全て入れます。モツ煮で食べる時に使うためです。
普段イギリスにいると蚊がいないため、滅多に肌をかかず血を見る機会が減りました。こうして鶏に流れていた血を集めて固まっていく様子を見るのは不思議な感じです。
想像以上に早く固まっていき、血小板の凝固作用の凄さを垣間見た気がしました。
次のステップが前回書いたお湯です。
お湯で何をするかといえば、鶏についている羽や毛をむしります。プチプチっという音を立てながら、羽は思ってるより簡単にむしれました。
きちんとむしらないと、食べる時に毛が口に絡まってとても食べにくいらしいのでピンセットまで使って丁寧に全ての羽・毛を抜きす。
友人がむしる前に言っていました。
「この行程が終わったら、よく知ってるあのチキンになるよ。」
その言葉はとても的を得ていて、イギリスだとよく売られてるあの形です。
当たり前なのですが、その当たり前ができる前と後の間を自分がしたのだと思うと、当たり前の後の姿に敬意を払いたくなります。
それはまるで、デジタルの0から1をアナログの0から1として認識し直したような感覚です。
そして、次に鶏を捌きます。
人によって様々なさばき方があるらしいです、例えば、まず内臓を出すかどうかなど。彼は基本農家で鶏をさばいた経験があまりないため、内臓を取り出すのではなく、モモ、手羽など表面にある筋肉をとっていくやり方をしていたので、僕もそれに倣いました。
内臓を先に取り出すのが、一般的らしいのですが、万が一内臓に傷が入り、糞などの汚物が筋肉などにまみれたり、尿が逆流して鶏が汚くなると、鶏肉が美味しくなくなるそうです。
まずは包丁を人でいう剣状突起からお尻まで入れ、剥けた皮をすべて取り除きます。
そして、肋骨のラインに合わせてモモを取り除き、次に手羽を取り除く。
これらは人の手足にあたる訳ですが、まずは取り除きやすくするために体幹と分離させる必要があります。そうでなければ、体幹と一緒に動くため、うまく捌けません。
そのためまず何をするかと言うと、脱臼させます。
書くと簡単で今思うとずいぶん機械的にやっていたなと思うのですが、「バキッ」と音をさせながら、体幹と手足を分離します。
僕らは手羽先を食べる時に、何も考えず関節部を取り外しますが、もしあれを生きている人間にやれば、猛烈に痛いんだろうなとさばきながら考えていました。
そして手羽とモモを除いて、次に剣状突起の下の部分から背中の方に手を入れ、胸郭を開きます。ここはコツがつかめず苦労しましたが、ぱかっと外すと、内臓が全て出てきます。
横隔膜はどこにあるのかと思うかもしれませんが、実はありません。横隔膜は進化論でいうとかなり最後に発生したもので、哺乳類にしか存在しません。
横隔膜ができたことで、哺乳類は呼吸器循環器と消化器系を分けることができ、2つの機能をより発達させることができたのです。それは口腔でも同じことが言え、人の場合、食べる機能としての口と呼吸する機能としての鼻が口蓋で分離していますが、例えば蛇はしていないので食べている間は呼吸ができません。
話を戻すと、横隔膜がないので、胸郭を外すと、心臓や大腸、肝臓、小腸など全てが突然出てきます。
それは背骨を軸にぶら下がっている果実のようにさえ見えます。
腹膜や心膜を剥がしつつ内臓を取り出していきますが、 心を揺さぶられたのが、心臓がまだ暖かかったことです。
血液は体温保持のために必要とは知識で知っていましたが、それを身をもって体感しました。
それはホルマリンに漬かった献体を対象にした解剖実習では知ることのなかった感覚であり、医者が人に麻酔をかけて手術している時に体感する感覚なのでしょう。
でも、その心臓の暖かさはただヤカンに触って熱いというのではなく、もっと物質的な熱さ、柔らかい熱さ、実感のこもった熱さ、いや、赤ちゃんを抱っこした時に感じる生々しい熱さのもっと柔らかい熱さでした。
死がどういうものか説明出来ないように、生もまた、根源的な意味、つまり心臓が止まるという物質的な意味において、説明が難しいです。
それは21グラムのように、魂の熱さなのかもしれません。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/21グラム
内臓を食べられるものと食べられないものにわけ、食べられるものはモツ煮としていただき、他は炭で焼いて、食べました。
スイスに住んでいる友人は動物を肉として食すことに抵抗があり、もう20年以上ベジタリアンです。彼はスイスではその当時義務だった兵役を拒否して刑務所を選んだ、自分の意思を貫く人でした。
彼のその姿勢はずっと僕の心にあり、初めは食べるのに抵抗がありましたが、美味しく食し、何も罪の意識と言うものは今のところ感じていません。
それがいいのか悪いのか。正直わかりません。
ただ、誤って切断してしまい生気を失った、鶏の首は忘れません。
今日は広島に原爆が落とされた日です。
死についてもう少し思いをめぐらし、デジタルの1から0への死じゃなくて、アナログの死の余白について少しでも埋められたらと思います。
長崎のものですが、行ったことがあります@原爆犠牲者慰霊平和記念式典
今でもなんとなく、この紙を見てると、少なくとも僕はこの時生かされたのかなと思ってしまいます。実家の神戸だって落とされたかもしれないわけだし。
鶏を殺める1 生が死に、物体に変わる
前回は自給自足をする友達のもとで鹿を捌く経験をさせてもらったことを書きました。
今回は鶏です。
鹿よりも鶏を入手することは田舎の方では簡単というか、家畜として飼っている方が多く、鹿を持ってきてくれた方に鶏を譲ってもらえないか相談したところ、2つ返事でいただくことになりました。
今回は彼の家の外で飼っている鶏を2羽いただきました。
基本動物とかを触るのが苦手な私です。動物を殺めてみたいというのが主旨だったので、「鶏をまずは捉まえて」と言われました。
鶏を捉まえるのって難しい。周りに言われたのは、「こっちがびびってたら、向こうもびびって逃げる」ということ。間合いの問題です。
びびることなんて昔はありませんでした。
小学生の時はカマキリをつかまえ、コオロギやバッタを捕獲し、カマキリに食べさせたりしていました。今思い返すとどうしてあんな残酷なことをしたのだろうと思いますし、コオロギのぷにぷにした感触とカマキリが食べて肉がはみ出てくるのは記憶に残っています。
それがトラウマになっているからなのかはわかりませんが、僕は思春期を迎えてから動物が苦手で見る分にはいいのですが、触るとあの生々しい感じが、触った先にいわゆる無機物の温度とは違う、生の「暖かさ」が怖くなってしまいます。
それが前回のブログで書いた「どろっ」とした感覚に近いとは自分でもわかっているのですが、触りたくない近寄りたくないという気持ちと同じぐらい、触れてみたいという感覚があります。
磁石のN極とS極のように。
話を元に戻します。10羽ぐらいその囲いにはいましたが、いざ捉まえようと思うと中々出来ません。「足を捉まえるんだ」と言われても、逃げようとする相手の足を捉まえるって、相手が捉えられないために羽をばたつかせる中で足を狙うのは覚悟がいります。そうです、結局僕は覚悟が足りないのです。
覚悟が足りないというのが相手に怖さとして伝わり、余計に逃げられてしまうのです。
それでまあ、冷静に覚悟を(やや)決めて、捉まえたら端に追いやられて逃げ場をなくした2羽の鶏の足をようたく捉まえることが出来ました。
それまでギャーギャー僕も鶏も騒いでいたのですが、足を捉まえたら大人しくしてくれました。足を縛った後、左右の羽を持ち上げて羽の隙間に紐を通します。
足と羽を縛る、4足動物でいう手足を縛って米袋の中に入れて捕獲完了です。
ありがとう@今回お世話になった鶏
時間がある時に捌くということで、捕獲して2、3日後にまず1匹目を捌くことになりました。その間に実は卵を産み、生まれて初めてできたての卵を食べました。
鶏を殺めるにあたってまず何をするのかご存知ですか?
それはお湯をわかすことです。薪をくべてお湯をわかしながら、友人から鶏の殺め方を手ほどきしてもらいます。なぜお湯を沸かすのかは次回に書きます。
まず鶏を捉まえ、足を右脇に挟み、羽を前腕と大腿部に挟む。そうすることで両手足を抱きかかえることになります。
挟む間に左手で鶏の頭と首の付け根を持ち、頸動脈をはっきりさせるために鶏の首を伸ばします。人間で言うと、頭を空の方向に向け、さらに顎を突き出すような感じでしょうか。
右の脇と前腕で手足を固定するため、実は右手は空いています。その右手で包丁を持ち(固定した段階でもう持っている)、左手ではっきりさせた頸動脈に刃を入れて鶏の命を絶つわけです。
友達はいとも簡単に操作して、刃元を鶏の頸動脈まで近づけていましたが、びびりまくりの私がいざやろうとすると、右腕と大腿部の挟みが緩いため、羽をばたつかせてまあ暴れる。ここでも友人が一言。「こっちが怖がっているから相手も怖がるんだ。」と。
ばたつかせる鶏を相手にようやく固定できるコツが掴めたため、きっちりと挟めるようになりました。
友人はまた一言。
「鶏の首を伸ばしてこっちが殺めようとすると、鶏は覚悟を決めたように大人しくして、目をつむる。これはきっと鶏が長年人間として一緒に住んで家畜としていきる中でこうなる運命をDNAとして知ってるからだと思う」と。
彼の言うように、最後、刃を入れる前、観念したように目をつむります。
そして覚悟を決め、刃を首にいれました。
鶏は暴れます。とても暴れます。刃のあて方が悪いと中途半端に動脈が切れるため、痛がるからか羽と首を一生懸命動かします。血が首から垂れてきても渾身の力を込めて暴れます。
私は怖くなって刃を入れるのを止めてしまいましたが、すっと楽にさせるのが殺める側のせめてもの責任だと言われ、我に返り、再び刃を入れました。
ノコギリのように包丁を押したり引いたりしてしまったからか、最後鶏の首が取れ、地面に落ちてしまいました。
それでもまだ、羽は少しばたついていたけど、そのうちそれも止まります。
1つの生命が終わった瞬間でした。
人によっては動物を殺める前に、包丁を研ぐ人もいるそうです。命をいただく側としてせめてできることが、楽に早く逝ってもらうことだからそうです。
その気持ちがよくわかりました。
これ以上書くのは、思い出してくるとちょっとしんどいので、続きは次回に。
*この記事を書いていたら、ランダムでi Tunesの中からマタイ受難曲が流れていました。偶然なのか必然なのか。
この経験は、カマキリの思い出も含めて、一生忘れちゃいけないなと改めて思います。
ハントされた動物を捌く〜自給自足の友人のもとで〜
今週のお題「ゲームの思い出」
イギリスでは猟で仕留めた動物の肉を「ゲームミート」よ呼ぶので、この記事を書くことにしました。
先日まで自給自足をする友人の元で1週間ほど居候をしていました。
その中では色々なことがったのですが、思いついた時に、ポツポツと書いていこうと思います。
一思い出の1つは動物を捌いたことでした。
初日に皮なめ師をしている友人の友人にたまたま出会い、彼が知り合いにもらった鹿をもらってきたということで、僕の希望で捌くのをお手伝いさせていただきました。
鹿は植物の新芽だけを食べるらしく、農業を営む方々にとってはとても頭を悩ませる動物だそうで、自治体は鹿の耳を役所に持っていけば駆除料として幾らかのお金がもらえるそうです。そのまま鹿をすてるわけにもいかないため、皮なめ師の彼のところに回ってきたとのこと。
僕はかねがね、肉をいただく限りは、1度は殺めて動物が肉になるという過程をみないとなぁと思っていました。そうしないと有り難みが全然わかない。
その残酷な感じはどろっとしてまして、感覚的な表現で申し訳ないのですが、僕がクライミングで危険とわかりながらも外岩や崖に挑戦したかった時の衝動って、その身体に起きるどろっとしたものを体験したいからだと思っています。リストカットをして安心したい人って、そういう感覚を求めてるからなんじゃないかなと思ったりします。
また、生きた体に触れることを生業とする身にとって、生きたものが死に変わるというのはやはり、言葉でなく実感として感じておきたいというのもありました。
それで初日から有難いことに鹿を捌かせもらう手伝いをすることになりました。
あいにくの雨の中、まず驚いたのは動物が死んでしまうともう物体になってしまうということでした。
死後硬直なんてのがサスペンスドラマとかで使われますが、本当に重い。しかも、同じ重さの石や物体を持つときよりもなぜか重い気がします。あれは元々命がないものと、命・魂が抜けてしまうからという差なのか。よくわかりません。
話を戻すと、鹿を捌くのにまず、肛門の方から刃物をいれ、首の付け根の方にやる。皮がめくれる。
次にお腹に対して垂直に出ている下肢を折り、下肢を横にやります。つまり、鹿の背骨側に下肢を押し付け、大腿骨と骨盤を分離させます。そして、後脚だけを彼に切り分けてもらって、僕は脚をさらに細かく肉ごとに切り分けました。
スーパーなどで売っている肉(イギリスは塊で売っていることもあり、薄切りはない)を包丁で捌いたことはありますが、それよりもすごく切り分けにくい。
筋膜は勝手に想像していた以上に、身体の組織に張り巡らされていました。解剖生理の本などで「筋繊維の周りにそれを束ねる膜があり、その束ねられた筋肉を大きな単位で束ねる膜があり、例えば上腕二頭筋という筋肉が出来上がる。」という説明がありますが、まさしくその通りです。そのネットワークはとても緻密で、何層もある薄い霧という膜を切り分けていってようやく筋線維が出てきました。
@トートラ標準解剖生理学より
実感として僕らは筋肉と骨でできているような感覚をどうしてももってしまいますが、それを支える裏方の感覚・システムが存在してこそ、その実感しやすい実感が機能できるのだと思います。
その時は、自分の手際の悪さもあり、それに没頭していたところ、皮なめ師の彼はほとんどさばきおわり、皮と骨と肉とが分離されていた。
最後に今回とった肉を七輪で焼きながら、酒盛り。
こんなに出来立てのお肉を食べたのは初めてで、とても美味しかった。
当たり前の話だが、動物の皮の中には筋肉があって、究極的に言えば、どんな動物のものだって食べられます。(戦時中はどんなものも食べたという話だから。)
でも、スーパーにはその皮や生命がのぞかれた、いわばあまり重みのないお肉がずらりと並んでいる。それは、言い方は悪いが他にいい言い方が思いつかなかったので書くと、死後硬直になぜか重いと感じた肉というよりは、はじめから命がなかったような肉のように感じてしまいます。
僕らが食べ物を美味しいと感じる理由の1つは、その食べ物・素材が持つ重さや上に書いた「どろっと」さなのではないのだろうか。
実は、その後居候生活の中で、鶏を殺めて捌くという経験もしました。それはまた今後書きます。
この経験が出来て、本当にありがたかったな。
「細胞は入れ替わる、身体には知らないことがある」からの「『今が幸せならいいんじゃないか再考』と万引き家族」
30代に入って、同世代と話すトピックの1つに「子供は欲しいか。」ということがあります。特に女性は35歳を過ぎると卵子の状態も悪く、また数も減るため、その現実に向き合わないといけません。
僕はあまり子供が欲しくありませんでした。それは、自分と同じような境遇に子供も置かれるんじゃないかという不安です。小学生の頃から、割に「空気が読めない」と言われ続け、周りから物心がついたころから「変わってるなぁ」と言われました。
そういうこともあり、自分が周りの環境に馴染んだということがほとんどありません。
船で働いていた時に快適に思ったのは、僕が「異邦人」でよく、日本人であることを強制されないからです。
そういう自分の意識に囚われているのは承知しています。しかし、そういう気持ちで育ってきたため、自分に仮に子供が出来たら、自分の子供も僕と同じような気持ちになってしまうんじゃないかと思ってしまい、子供は要らないかなと考えてました。
一種のトラウマに近いものなのでしょう。(家庭内暴力を受けて育ってきた人が、それが愛情表現と錯覚してしまい、自分の子供にもしてしまうような理屈に近いのではないでしょうか)
どうしてこんなに囚われてしまっているのか。自分でもよくわかりません。でも一方で、自分はその考えを客観視している部分もあり、だからこそ友人だけでなく患者さんにもそういう話になれば、自分のこの考えを言います。
贔屓にしていただいている方からは、「自己愛が強すぎる!」と言われたり、「過去は過去で色々あったにせよ、今が幸せならいいんじゃない?」とか言われたりします。
でも、生みたくて生んだんじゃないということで虐待に会っている子供のいたたまれない事件なんかを見聞きしていると、もし万が一、そういう後悔(自分の子供が自分のような気持ちになる)をしてしまうなら、「しない」という選択をする方が、大きな間違いをしなくて済むのかもしれません。
最近いくつかのトピックを知る中で、その思考のままでいいのかなと思うようになりました。
1つ目は、「身体はトラウマを記憶する」を読んだこと。
身体はトラウマを記録する / ヴァン・デア・コーク,ベッセル【著】〈van der Kolk,Bessel〉/柴田 裕之【訳】/杉山 登志郎【解説】 - 紀伊國屋書店ウェブストア
その中でユダヤに迫害された、身体的・精神的トラウマを抱えた生存者のインタビューが掲載されてありました。(私の記憶の中の再現なので、記憶違いがあるかもしれません)
「私がその当時に体験したことを消すことは出来ないし、忘れることも出来ない。(中略)フラッシュバックにも襲われるが、一番その当時のことを思い出さないようにする方法は今の精神状態を安定させること」
2つ目は、テレビの番組の中で「身体の細胞は入れ替わる」ということ言及していて、改めて思い出したこと。人体の細胞更新速度
3つ目は、野口三千三先生の養老孟司先生の「野口体操」という本の中(
http://www.shunjusha.co.jp/detail/isbn/978-4-393-97018-8/)で、
養老先生が
「体のこの部分が何の役に立ちますか?」という質問に対して、「われわれのもって生まれたものが何の役に立つかはわからない。役に立つ機能というのは、必ずある状況が前提になっている。状況がなければ機能・働きを考える必要がない。(中略)(われわれの体は順ぐりに作られているから、)古い旅館のように建て増しして作っていくのです。建て増しの理由が(魚類からの進化の過程で)色々残っている。(中略)だからあまり単純にお考えにならない方がいいんじゃないでしょうか。」という答え。
そして最後に、「私も若いときは「これ何の役に立ちますか」と聞かれると、「お前さんが生きていて何の役に立つの」といった。それがわかったら教えてやると」という対談の一節があったこと。
1つ目はずっと心に残っていて、2・3が最近重なってため、自分が過去にどういう経験をしたかなんて、今にとっては「全く意味がない」し、刷新できることなのではないかと思うようになりました。
「今が幸せならいんじゃないか」という言葉を言われた時には、いや、でも、とか言って口答えしていたのですが、その意味がもう少し自分にとって腑に落ちてきたような気がしています。とはいえ、完全にそう自分から言えるかと言えば、そうでもありません。
なぜなら、こういうことを考えられることになったのは、子供の時にそういうことがあったからです。でもとはいえ、囚われてはだめなんだと思う。
囚われてしまっては、目の前にある現実を歪んでみてしまう気がするから。
囚われるんじゃなく、逝かして活かす。そういうスタンスで自分の過去を思い返してみたい。
昨日、最近話題の万引き家族を観てきたのですが、そこで安藤サクラさんが「親に虐待を受けていた自分が虐待を受けていた子供を抱きしめて、ただ抱きしめるシーン」がありました。
つまりは、そういうこと。
過去を活かすも殺すも人次第@エフェソス遺跡、トルコ
今と昔の感性にどんな違いがあるのだろうら。1万年の旅路を読んで
一万年の旅路という本をご存知ですか?
イロコイ族という実際に存在するネイティヴ・アメリカンが一万年前にアジアからベーリング陸橋を渡りアメリカ大陸に渡ってきて、いかに五大湖のほとりに定住するかまでを綴った口承史です。
みんなのレビュー:一万年の旅路 ネイティヴ・アメリカンの口承史/ポーラ・アンダーウッド - 紙の本:honto本の通販ストア
これはアジア大陸で生活していたイロコイ族が氷河期の天変地異に見舞われた後に、アジア大陸にいてはまたこのような天変地異に見舞われるということで、アメリカ大陸に渡ってくるところから始まります。
その物語はなんだろう、単なるフィクションにしては言葉が生きていて、本当にこういうことがあったんだなと本当に思わせる不思議な本です。
この本は口承史という「口伝えの物語」であるということを字面では知っていますが、実際にどんなものかはもちろんよくわかりません。
アイヌなんかも似たような形で自分たちの歴史を伝承していたようです。
この本で面白いと感じたのは、一万年前も現在もそんなに変わらないなということです。ただ、何でもインターネットで調べると情報を入手出来る現在と比べて、情報を知る手段が、その一族のコミュニティの中だけでのみとなり、また違う一族で当たり前となっていることがイロコイ族の中では全く新鮮なことです。
例えば、子供を産むのは女性だけであるということとか、寒さをしのぐために毛皮を身につけた人がイロコイ族の他の人たちから怪しまれて一族になじむまでにすごく時間を要したことなど。
今では当たり前になっていることって、よく考えれば当たり前じゃない。
あと、狩りで生活を立てている一族がある一方、イロコイ族は様々な穀物の種を地面に植えて生活していましたが、イロコイ族のような生活は他の一族からは理解し難いものであったようです。
すでに定住している一族の縄張りにイロコイ族が入り込んで、共生しようとしている一節も面白いです。
イロコイ族は一族で話し合いを通して様々な知恵を身につけてきましたが、他の一族は男尊女卑として女子供を低くあつかっていたり(イロコイ族は男女同権です)、違う一族とは交わりを拒否したりして、中々イロコイ族と共生したがりません。
そこで、イロコイ族はまず言葉を理解しようとし、ある時は女性や子供を定住している一族に送り込んでその一族が持つ知恵をイロコイ族にもたらしたり。
その衝突は数年前にNHKでやっていた「大アマゾン」に近いような緊張感があり、イロコイ族のような柔軟な姿勢で他の一族と付き合おうとするのは、今の時代にも中々出来ないよなと思いました。
鍼灸の学生だった時に、食べ物や生活スタイルの変化によって現代の人たちは昔に比べて、身体に鈍感になっているというような話を学生同士でしてました。
でも僕はそうは考えません。
鈍感の定義によるのでしょうが、例えば僕たちが今携帯電話でもって目の前に存在していない人とコミュニケーションがとれることを、昔の人はどう思うでしょうか?
それは、昔の人が自然にもっと近くて、今の私たちには感じ取れない何かを感じられることとどんな違いがあるのだろうと思います。
きっとそんなに違いがないというか、人として本来持っている性質が時代時代によって適応しているだけなんじゃないのかな、と。
昔の当たり前と今の当たり前と思っていることは本質として違いがあるようでないんじゃない。
でもだからこそ、1万年前の話が今でも面白いんだろうな笑
アジアとヨーロッパを結ぶボスボラス海峡@イスタンブール、トルコ
1万年前にもこの海峡はあったのだろうか
「世界は広いかもしれないけど、世間は狭い」とおざけんの天使たちのシーンの一節
「世間って狭い」
自分の知っている人が僕の知ってる人の知り合いだった時に、この言葉使ったりしたことってありませんか?
先日も大学時代の友人(=A)がイギリスで修士を取りに1年間来ているのですが、僕の患者さんがその友人の知り合いだったことがありました。
また、Aの上司は、Aの友人も知ってたりして、関係が鎖のように繋がってたりします。
でも、こういう経験を何度もしてきて学んだことがあります。「世間は狭いもんなんだ。」と。
小学校に入学して、中学高校と進んでいくにつれて、いじめって少なくなると思いませんか?そして、大学になると所属してる部活などではあるのかもしれませんが、学部では僕の大学ではそんなの一切ありませんでした。
なぜかと言えば、「中高と進んでいくにつれて、自分がどういう人間かわかってくるので、合わない人とは交わろうとしないから」だと思います。
自分がどういう人間かわかれば、例えば自分の趣味が会う人同士で固まるので趣味趣向の合わない人と話はしません。
でも、学校という強制的に共生する場所があると、自分と合わない人とでも生活して過ごさないといけないから、そういう人を排除しようとして「いじめ」が例えばおきるのではないでしょうか。
そういう人生の通過儀礼を終えて社会人になったにも関わらず、イギリスで駐在員同士で人間関係のいざこざが起きるという話を聞く時、学校の時のように「合わないにも関わらず日本人コミュニティの一員として強制的に共生しないといけなくなる」からこういうことが起きるんじゃないだろうか。
話がそれましたが、一方で、そういういざこざが好きな人もいます。人の悪口やうわさ話を酒のつまみにして盛り上がったり。僕も嫌いなわけじゃもちろんないですが、すぐ飽きるというか今に生きてないなと思って、そういう話に付き合わなくなります。
それでこういう感性を持っている僕の友達も、だいたいそういうのが苦手な人が多いです。つまり、そういう似たような属性というわけです。
そこから想像を膨らませると、(僕は知らない)僕の友達の友達もそういうのが苦手な人が多い。つまり、A=B, B=CならばA=Cというわけです。
だからこそ、始めに書いた、僕の友人と僕の患者さんが知り合いだったにするわけです。
その時にはたと気づいたのです、
だから「世間は広い」なじゃなくて、「世間は狭い」もんなんだと。全世界の人口は60億人以上いるとされていますが、その中で自分と気が合う人なんてたかがしれてます。きっと500人もいないんじゃないでしょうか。
だとすれば、その500人はお互いどこかで繋がり合うもんですよ。今の時代じゃ尚更です。
その時に、僕の好きなオザケンの歌の一節が浮かんできました。(「天使たちのシーン」より。)
愛すべき 生まれて育ってくサークル
君や僕を 繋いでる緩やかな止まらない 法則
10分以上続く長いもので、詩の朗読を聞いているような歌です。その中で繰り返し歌われているのがこのフレーズ。
どういう意味なのかなぁと聞く度に思ってたのですが、僕なりの1つの答えがこの「世間は狭い」ということなのかなと。
これは「歳を重ねれば重ねるほど、少し話しただけで初めて話した人とは仲良くなれるかがわかる」というのにも似てるなと思ってます。
自分に正直になっていれば、色んな繋がりが生まれて、素敵な出会いが起きたりする。それは次会うことはもうなかったとしても、そこで繋がった瞬間は、各々の心の中にどこかに残ってたりしませんか?
それが「過去にあったなぁ」って思うんじゃなくて、いつでも今日でもそのサークルは育って作れると僕は思ってます。
治療家として僕は色んな人と出会いがありますが、僕を介して他人が出会えないかなといつも思います。
自分で店を持った時には、そういうことをしたいな。
ストーンヘンジ@イギリス
途切れない虹@St.Kits and Navis