ロンドンの、船上の鍼灸師の日記

2012年から客船で鍼師として働いていましたが、2017年からロンドンで治療家として働いています。治療のこと、クルーズのこと。色々綴っていこうと思います。ウェブサイトはこちら。https://www.junjapaneseacupunctureandshiatsuclinic.com/

経絡の存在を信じるか

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経絡の存在を信じるか

 

この問いにどう考えるかと言うのは、鍼灸師もとい治療家の治療スタンスを知るよい尺度になるのではないかと思っています。

例えば、治療を受けるにあたってその質問をし、回答に納得したら施術してもらうのは、自分と施術家との相性を知る上でいいんじゃないかと思います。

 

私は、「経絡と呼べるかどうかわからないけど、内臓と手足につながりはあるが、12個に大別できるほど単純なものじゃない」と考えています。

 

まず経絡は何だったのかから復習していこうと思います。

10個の内臓(肝臓、心臓、脾臓、肺、腎臓、胆嚢、小腸、胃、大腸、膀胱)に心臓をサポートするもの(心包)、水の流れを調整しているもの(三焦、定義には諸説あります)の計12個がそれぞれ身体に固有の流れを持ち、その流れを経絡と呼びます。

その流れは各々の臓器(肝臓の流れだと肝経)が1番強い影響を持っていますが、その他の臓器とも関係を持ち、流れを形成しているとされ、手足の末端などで流れが入れ替わり、流れの名前も変わったりします。

 

鍼灸師を目指し、独学で東洋医学を学び始めた頃から、先ほど書いたような考えだったかと言えば、そうではありません。

経絡の流れを信じていましたし、それが絶対だと思っていました。

会社員だった時、週末だけお手伝いという形で、ある先生のもとへ勉強しに行っていました。

私が初めてこの業界でお世話になった先生になのですが、その先生は色々な診断法を用いるも、脈診を最重要視され、どの経絡の流れに問題があるかを判断し、経穴に鍼やもぐさを用いて施術をされる方でした。

例えば、腎が弱っているからどこそこに鍼をするなどなど。

 

私もそれに倣って、腰が痛いという患者さんが来られたら、患部に鍼をしつつ、腰を司るとされる腎と関係の深い腎系の経穴に遠隔治療として鍼をしていました。

 

しかし、その考えの壁にぶつかる時が来ました。

客船で働いて、新規の患者さんを週替わりで多くみるようになってから、1つの疑問にぶつかりました。

それは時々言われる次の症状からの出てきたものでした。

 

それは「胃の調子を改善させて欲しい。」というもの。

(余談ですが、船は有料のレストランに行くことも出来ますが、選ばなければ1日3食無料でついてきます。

しかも、朝昼は共にビュッフェのところが多く、すごく肥えたアメリカ人なんかが、皿に大量のアイスクリームをのせ、その上にストロベリーソースをかけているのを何度もみました。)

 

それがどう、私の経絡の考えに影響を及ぼすのか。

 

続きは次回に。

ヒトはロボットと動物の間の進化の過程か

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前回書いた、「ロボットでは効率のわるいことを人間が仕事としてする時代」の続きにもなりますが、タイトルのように考えれば、様々なことがすっきりするかもと思っています。

 

ヒトは様々な進化を経て、ヒトとなりました。単細胞生物から、魚類、両生類爬虫類などなどを経て。

そしてまた、ヒトから様々なものが誕生しました。

火、計算機、車、電気、コンピューター、人工知能などなど。

 

これらは無生物とされ、ヒトから進化を経たものじゃなくて、ヒトが作り出したものとされています。

でもよく考えたら、ヒト以外に無生物のものを作り出した生物っているのだろうか。

 

自然にあるものを活用して生活することが生命にとって生きる内容であるなら、ヒトのそうした創作活動もそれに含まれる。そこに入らないものなんてありません。

で、あるなら、そうした無生物のものたちもまた進化の歴史から見て、ヒトから進化した形態の1つ1つになるんじゃないのか。

 

そう思うのです。

単純な例でいえば、計算機はヒトの「計算をする」という能力を特化して進化したもの。

その他もっと複雑なものも、計算機のようなシンプルな進化を遂げたものが大きくなっただけのものであったり、また大きなことをなし遂げたいヒトの欲の結晶の進化の先にあるものと考えられないでしょうか。

 

そうであるなら、ヒトが犬や猫をペットとして飼うように、人工知能がヒトをペットとして飼う時代が来るのかもしれません。

「ロボットでは効率のわるいことを人間が仕事としてする時代」で、「ロボットによって人が動かされている」というような内容を書きましたが、それも見方を変えれば、ロボットがヒトを飼っているというように言えそうです。

 

人工知能がヒトの進化の先にあり、ヒトを支配する。

想像すると怖いもののように思うかもしれませんが、既に私たちはもう支配されているのでしょう。

 

犬や猫にとって、ヒトに飼われているという感覚はあるのでしょうか。

食べ物をくれる素敵な生物と思っているかもしれません。

 

その感覚は私たちが将来人工知能に抱く感覚と同じなのかも。

ロボットでは効率のわるいことを人間が仕事としてする時代2

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ロボットは私たちの社会のためにスマートフォンを製造するお手伝いをしている一方で、ミクロにロボットと私の関係を考えた場合にロボットが私のために働いているのではなく、「私がロボットのために働いている」な、と。

 

工場において、私とロボットどちらにより価値があるかといえば、ロボットです。

人間でもロボットがしていることをできるかもしれませんが、ロボットほど正確に早くすることはできません。しかも24時間フル稼働なんて不可能です。

 

その意味でロボットに代わりはききませんが(同じものを勿論作ることはお金を出せば可能)、人は代わりがききます。

だからこそ、日雇いのような入れ替わり立ち替わりで人が変わる体制でも工場を回すことができるわけです。

そこは日本語が話せるという条件もないにこしたことはありませんが、絶対に必要でもない。

前回にも書いたように、人はそこでロボットと話すわけですし、事実、工場では外国人労働者がいっぱいいました。

作業自体はボディランゲージや片言の英語で理解できる内容だと私は思います。

 

「お金をもらう」

には経済を回すお手伝いをしないといけません。

 

以前はどんな仕事も人間がしていましたが、ロボットが開発されたり、工場が海外に移転されていく中で、日本でより高い給料をいただくためにコミュニケーション能力を求められる時代になったとききます。

 

そうした中で、日雇いという不安定であり、社会的立場で言うと、決して高くないポジションにいる人達にとっては、人とのコミュニケーション能力というよりはむしろ、自分たちがロボットに寄り添い、ロボットとコミュニケーションをする能力が必要なのかもしれません。

そこでは自己主張は必要とされません。ただ、ロボットと共に製造工程の一歯車となることが求められます。

 

それはいいのか悪いのかという話ではなく、第二次産業で、そこに従事した経験がない人に残っている仕事がそれぐらいしかないという現実なのではないでしょうか。

サービス産業のように人と対話をして経済を回すのが苦手な人にとっては、こういった仕事しか、もしかしたら残らないのかもしれないなぁと、周りで一緒に働いた1日限りの同僚を見ながら思いました。

 

工場から出ると、すっかり暗くなっていました。

定時になるとバスが出発し、三宮や明石などの都市へ戻され、ニンゲンは電車などで家に帰り、明日またロボットとコミュニケートするために充電を始める(ご飯を食べて寝る)。

 

私たちの20年後はどうなってるんだろう。

もっと真剣に考えないと。

ロボットでは効率のわるいことを人間が仕事としてする時代1

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クルーズ船で働いている時、契約と契約の間で日雇いのバイトを時々していました。

主に行っていたのは、スマートフォンの部品を組み立てていく作業です。

 

時給は1000円で残業すれば1日1万円に手が届くというものでした。

 

ロボットがスマートフォン製造するために作業した部品が私が立っている手元に運ばれます。そして、私がその部品に少し処理を施し、次のロボットだったり人に渡していく。

そんな作業を1日中やります。

 

時給が1000円に届くバイトはそんなにないため、入れ替わり立ち替り(固定で数ヶ月入る人もいました)、常時何十人もの人が神戸や明石、姫路などの大都市からバスで片田舎に運ばれます。

このまま誘拐されることもあるんじゃないかなと真剣に思うことすら正直ありました苦笑

 

工場のロッカールームでマスクと帽子を被って(誰が昨日被ったかなどはわからない)、中に入ります。

 

チャイムが鳴ると、私が組み立て作業の流れの中でどのパートを担うか教えてもらい、あとはひたすら同じ作業です。

再びチャイムが鳴り、10分の休憩→再び作業→昼休み→作業→小休憩→作業→残業もしくは終了。

 

という1日です。

そこではほぼプライベートな会話をすることなく、回ってきたスマホの基盤に処理を施し、次の工程に回していました。

人と会話をすることはありませんが、作業中、自分とはずっと独り言のように話しています。

 

「何でこんなことしてるんだろう?」「今日は何を食べようか。」「周りの人はこんなことをずっとしていて幸せなんだろうか。」などなど。

妄想が頭を駆け巡ります。

 

仕事が終わりその日を振り返った時にきう思いました。

「今日は誰とも話してないな。」

 

その理由は簡単で、仕事の相手がロボットだったからです。

ロボットが相手だと、当たり前ですが、会話はしません。

ある作業をさせるために、数値を入力したり、故障したらその原因を探して修理するのが、もしかしたら「人とロボットとの対話」になるのかもしれません。

 

しかし、いわゆる人同士の会話のようなものは、ロボット、特に産業用のロボットの場合はありません。

そのロボットとのコミュニケーションと言えば、私が作業したものをロボットが作業するための台に置くことぐらいです。

 

そういうことを考え続けていて気づくことがありました。

 

 

続きは次回に。

AIが人間に興味がないのは、人間が他の動物に興味がないのと同じなのかも2

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優生保護法という法律が日本の戦後にもあり、最近まで存在していたのをご存知でしょうか。

 

この法律は知的な障害を持っている人に対して避妊手術を行い、彼らの子孫ができないようにするものです。

いわゆる健常者を優性のものとみなして出来た法律だそうです。

 

私はこの法律が存在していたことを、恥ずかしながら知りませんでした。

こんな非人道的なことを私たちはしていたんだということを知り、恥ずかしいと思う一方、時代の倫理観なんて時代時代で全く違うんだなと納得しました。

 

LGBTの問題も同じようなものです。

イギリスでは同性愛の結婚を認められているそうですが、エニグマを作った博士の映画(イミテーションゲームだったかな)の中で、同性愛者である主人公が同性愛でなくなるために薬物療法を受けていたのも、今では考えられません。壮絶なシーンでした。

しかし、今から振り返ってみるとそれもまた非人道的にみえますが、その当時はそれがある種「当たり前」と捉えられていたんだなと思います。

 

ヨーロッパではそういった歴史があるからこそ、LGBTの方への配慮がとても進んでいるんでしょう。

 

話を戻すと、優生保護法について放送後あれこれ考えていた時に気付いたことがありました。

 

私たちは犬や猫に避妊手術をさせているということに。

また、そのことに何の違和感を持っていない飼い主が少なくとも私の周りには何人かいました。

 

私が犬や猫の立場であるなら、避妊手術を受け、子孫ができないようにされるのは絶対に嫌です。

あなたならどうでしょうか。

でも、「無意識のうちに避妊手術はしなくちゃということで受けさせる。」

 

この行為は、優生保護法で避妊手術を受けさせられた人や、昔に同性愛者だからと薬物療法を受けさせられた人たちへの行為と全く差はないと思うのです。

 

それがなぜ問題になるかといえば、人が人に行うからです。

同じ種同士がそういうことを行うとありえない話になるのが、違う種となると盲目になってしまう。

 

これは人工知能と人間との関係にも言えるんじゃないでしょうか。

 

前回書いた、「人工知能が人の職を奪っているかどうかなんて人工知能自体は全く興味がない。」はきっとそうなんだろうなと、優生保護法の考察から思いを深めました。

 

それにしても将来、どうなるんだろう。

AIが人間に興味がないのは、人間が他の動物に興味がないのと同じなのかも1

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人工知能は将来人間の活動にどんな影響を与えるのか。

 

囲碁のプロに人工知能が勝ったことが話題になりました。

私たち治療家の業界では触診の研究が進んでいるそうで、もしロボットが人間のように人に触れることが出来るようになれば、何がどのように変わるのだろうと勝手にわくわくしています。

高級なマッサージ機は、下手な人間のマッサージより気持ちいいらしいとも聞いたことがあります。

 

その一方で、人工知能が私たちの今の仕事が奪われるなどの懸念も噂され、今後どうなっていくのか予想もつきません。

 

私は、人工知能がこういうことを将来するだろうと想像した範囲は全部現実で起こるだろうと思っています。

それどころか、想像以上のことが起きると思っています。

 

例えば、人間の医師以上に、コンピューターはMRIなどの画像からガンなどの腫瘍を見つけられるそうです。

今はそのコンピューターの診断をもとに医師が、そのガンにたいしどう対処するかというステップですが、コンピューターに医師がどう判断するかの情報が蓄積すれば、その判断もコンピューターでできるのでしょう。

病院で患者の顔を見ずに画面だけ見て会話するのがどうなんだと言われていますが、あれは、医師という人間がする必要はなく、コンピューターであれぐらいはもうできることを物語っているなと感じています。

 

他にも、今、有機食品の配達員をやっていて思うのは、自動運転が現実化すれば、トラックのドライバーは確実に必要とされなくなるなということです。

配送業にとってやはりネックになるのは人件費です。

配達員にかかる人件費が抑えられるようになるなら、配送会社の上層部は喉から手が出るほど欲しいと思います。

私がその立場なら絶対に欲しいですし。求人などを出す必要もなくなるなら、様々な手が省けるので、一石多丁でしょう。

 

その流れは抵抗して止められるものではなく、もう今からの将来、そうなるものと仮定して自分がどうその仮定の中で生き残っていくかを考えていかないとどんどん貧しい側に追いやられていくなと思います。

 

で、今回のテーマです。

以前テレビで、誰かは忘れましたが、人工知能を研究している方が、「人工知能が人の職を奪っているかどうかなんて人工知能自体は全く興味がない。」

 

と、言っていました。

なるほど、そういう意見もあるなぁと思って心に留めていたのですが、その意見を思い起こすドキュメントを見ました。

NHK教育の「ハートネットTV」でやっていた「優生保護法」に関するものです。

 

続きは次回に。

ラジオでのリスナーとパーソナリティのすれ違い それは甘えなのか愚痴なのか

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先日のラジオでの一コマ。

リスナーが、自分たちの不満をぶちまけるというコーナーでした。

 

「ある主婦からの投稿で、旦那さんが大きなマラソン大会に行くことにした。トレーニングをするのはいいが、トレーニングしてない日でもマッサージをさせられたり(トレーニング後はもちろん)、当日には応援かけつけたりしないといけない。こんな旦那にうんざりです。」

と言った内容。

 

これに対して、パーソナリティの人が、「旦那さん甘えてるなぁ。微笑ましいね。」というコメント。

同情というよりは、そんな関係いいなぁというようなコメントをされておられました。

 

皆さんはどう思われますか?

リスナーは同情して欲しいから投稿したものの、パーソナリティからはその逆でむしろやっかみ的なものを受けてしまう。

 

実はラジオで時々あるシーンです。

リスナーが精神的に落ち着いていて、自分の状況を相対的にみれる人であれば、そのコメントを聞いて嬉しいと思えるでしょう。

でも、とりあえず聞いて欲しい!自分の不満にパーソナリティの人達が理解して旦那にきつく言って欲しい!という気持ちで投稿してたら、私ならそのラジオを嫌いになります汗

 

投稿の場合、とりあげてもらうのはそれだけで有り難いですが、そのコメントが期待していたものでないと、投稿なんてしなければよかったと思われてしまうでしょう。

 

当たり前かもしれませんが、投稿者は投稿したあと、何もできないことが多いんだなと気づきました。

先ほどの例で言うと、パーソナリティのコメントに対して、「そんなつもりで言ったんじゃない。」とリスナーがツイッターやメールで再度投稿しても、まあ取り上げられませんよね。。。

討論番組だと取り上げられる可能性はあるでしょうが。

その一方で、パーソナリティの場合は、仮に自分が失言したとしても、すぐに自分でフォローできるので挽回できるチャンスはあります。

 

ラジオはほとんど生放送であり、リスナーとパーソナリティのやり取りが生で行われるとても魅力的なメディアだと、私は今の仕事に就いてから思うようになりました。

でもだからこそ、投稿でのディスコミュニケーションが起きても訂正がききません。

 

生放送、特にリスナーのコメントを紹介して番組を展開するラジオはパーソナリティのコミュニケーションスキルが相当に求められることを知った一コマでした。